灰色の天蓋 第二話 正義の羊
雨が、アパートの窓を叩き続けている。
細かく、しつこく、逃げ場がない音。
部屋は、まだ無事だ。
壁も、床も、天井も、形を保っている。
天井のライトが、一定の間隔で明るさを変える。
停電ではない。
ただ、安定していないだけだ。
ベッドに腰を下ろして、スマホを手に取った。
バッテリーは残り30%。
画面の端に、未再生の通知がひとつ残っている。
留守番電話。
少しだけ間を置いてから、再生した。
「……保坂さん。
進捗が、少し遅れています。
処理は、継続中です。
……一緒に、残業、しましょう」
最後の言葉だけ、音量が微妙に違った。
ノイズなのか、仕様なのかは分からない。
胸の奥が、ほんの一瞬だけ、動いた。
以前なら、
「すみません、確認します」
そう返していたと思う。
……馬鹿だな。
再生を止めて、スマホを伏せた。
情が湧いたこと自体が、少し可笑しい。
インフラは不安定で、
明日どうなるかも分からない。
それでも、今日は戻らない。
戻っても、処理が増えるだけだ。
画面を起こして、
つい、いつもの癖で、SNSを開く。
読み込みに、少し時間がかかる。
電波はあるけど、信用できない感じだ。
タイムラインは、同じ言葉で埋まっていた。
「正義を疑うな」
「正義は多数だ」
「正義を壊すな」
表示がずれて、
同じ単語が重なって見える。
その中で、ひとつだけ、目に留まった投稿があった。
名前のないアカウント。
内容は、たいしたことがない。
「雨。
今日も灰色。
……まあ、嫌いじゃないかな……?」
指が、一瞬だけ止まる。
理由は考えなかった。
そのまま、またスクロールする。
すぐに、同じ言葉が流れ込んでくる。
「正義を疑うな」
「正義はみんなのものだ」
気づいたときには、
リプ欄を開いていた。
「それ、正義じゃなくて、
ただ多いだけだろ」
送信。
通知が、遅れて、まとめて届く。
振動が、途切れない。
「正義に逆らうな」
「正義を疑うな」
「正義は多数だ」
画面が、赤く滲んで見える。
俺はスマホを握りしめて、
小さく呟いた。
「……これが正義とは、笑えるよ」
通知をオフにする。
画面を閉じる。
「……これも、いらないかな」
スマホを置いて、横になる。
雨は、まだ降っている。
電気も、完全には落ちない。
子供の頃を、少し思い出す。
停電の夜に、ろうそくで過ごしたこと。
不便でも、なんとかなった。
目を閉じる。
孤独は、消えない。
でも――
……これなら、耐えられる。
そう思ったところで、
意識が、静かに沈んでいった。
(続く)
