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後世に意図的に遺すこと

Onkalo (ydinjätteen loppusijoitustila) + Svalbard globale frøhvelv


二つの全く異なる施設に関する記事(雑文)である:

・Onkalo spent nuclear fuel repository 放射性廃棄物最終処分場(オンカロ)
Svalbard Global Seed Vault スヴァールバル世界種子貯蔵庫

前者は Finland、後者は Norway における取組みである。

  • 放射性廃棄物処分場:危険を封じるための「警告のアーカイブ

  • 現代版 Noah's Ark:生命を守るための「希望のアーカイブ

全く異なるように見えるが、数千年後、数万年後の世界を考えている。
未来のことは未来の人達が考えれば良い、という姿勢に対する挑戦である。
詳しいことは両者共に後半の【資料全般(英語)】にある資料に記述されている。少し気になることがあったので、記事にしてみたが解説ではない。


Svalbard Global Seed Vault

彗星の地球への衝突を回避することを扱った二本の映画が1998年のほぼ同時期に公開され話題を呼んだ:

  • "Deep Impact"

  • "Armageddon"

映画の興行という視点での比較は別として、前者はとても内容が濃かったと思っている。話の中に選ばれた人達向けの核シェルターの話が出てくるが、この Norway の取り組みは現代版 Noah's Ark である。但し、対象は人類でも動物でもなく植物の種子である。一行で表現すると:
戦争・気候変動・疫病・政治崩壊等、文明の断絶を想定した、未来の人類が「再起動」できるようにする為の氷の中に眠る「農業文明のバックアップ」装置

By Google-Map
via Pinterest

すこし距離を置いて観ると、『風の谷のナウシカ』(原作)に登場した庭園に似ている。ナウシカではその意味を理解する為にセルムによる説明が必要になるが、一万年後この貯蔵庫を「発見」した人類(或いはその後継種)がこの貯蔵庫の意味をきちんと理解するのに物語が必要なのではと感じる。


Onkalo

SDG 云々を真剣に推進するのであれば、放射性廃棄物の処分を軽く考えるというのはナンセンスだと考える。
核兵器が使われるのは仕方が無い、と考える人達には全く無縁な話である。

念の為、私は原子力発電を否定するものではない。但し、根拠もなく安全性を論じるのはまさに幼稚園或いは高度な政治的判断である。これは嫌味でも何でもない。政治家が高度な政治的判断をしているか否かは「高度」という形容詞を先ず確定する必要があるが、私の理力を超えるので割愛する。

The place where no humans will tread for 100,000 years (via Pinterest)

Finland の Onkalo の話で驚いたのが、放射性廃棄物の危険性を遠い将来言語の連続性が失われることを前提として伝えるにはどうしたら良いか?という点である。危険を伝えるメッセージが将来の人類にきちんと理解される保証はない。ユニバーサル・デザインも信用することが出来ない…
将来の人類或いはその後継者は Onkalo を「聖地」と考えるかもしれない…

Communicating danger without shared language requires transcending linguistic communication, relying instead on visceral architecture, universal geometry, and cultural semiotics. For the ONKALO spent nuclear fuel repository in Finland, experts have proposed several non-linguistic methods.

Onkalo に関する幾つかの資料を読んで、一般に核廃棄物の長期隔離施設を建設する上で以下のようなことを考えて進めていたことが判った。
言語の連続性を前提とせずに危険性を伝達する為の工夫の数々である。
細かいことを言えば本当に機能するのかという疑問を持つが、他に代替案はあるのか?

参考にしたのは以下の資料である。


WIPP

1970年代、New Mexico において Waste Isolation Pilot Plant - WIPP(【日】核廃棄物隔離試験施設)を建設する上で以下のようなことを考えていたことが知られている:

"We need a religion that warns future generations never to dig here."

Salman Rushdie の "We need stories" を想起させるが、また別の話である。
最終的には「人工的な」宗教に頼らずに、以下のようなマーカーを多言語で表示することに決めたということである:

https://wipp.info/

--- Update on 2026/07/25 (begin) ---

以前タウシュベツ川橋梁に関して以下の記事を書いた:

既に退会された理生(りしゃう)様からの当記事⬆️に関するコメントは以下の通り(念写):

人類は「建設文明」であり「維持文明」ではない。
冷静に考えれば:

  • タウシュベツ川橋梁は不要になったので放置された。

  • 放置されたものが朽ちて行くのは当然の摂理であり、感傷的に捉えるべきではない。

  • 既に役割を終えて現代では遺産となっている例は世界中に沢山存在する。例えば Sewell Mining Town (Chile)。

とは言え放射性廃棄物最終処分場を同列に論ずることは出来ない。

--- Update on 2026/07/25 (end) ---


【資料全般(英語)】


倭国での取り組み

因みにこのような実験に近い取り組みは豊葦原瑞穂国では行われているか?
I dunno. Leaving it up to bureaucrats and politicians, this is the best they can come up with:

  • 技術的安全性

  • 地元合意

  • 経済補助金

  • 政治的リスク

It's a waste of time to expect anything from them.

念の為
 「原子力発電に伴って発生する高レベル放射性廃棄物の地層処分場」
に関して調べてみると、以下の記述が見つかる:

日本では、2020年11月から北海道の寿都町(すっつちょう)と神恵内村(かもえないむら)において、また、2024年6月からは、佐賀県玄海町において、2026年5月からは、東京都小笠原村南鳥島において、最終処分場の選定に向けた調査の最初のステップとなる文献調査が開始されました。

出典:電気事業連合会

当然ながら科学的根拠に基づいた手法と住民の意思を尊重したプロセスが「丁寧に」書かれているが、数十年という単位ではなく、数千年・数万年という言語の連続性が保証されない将来のことを見据えた議論か否か、に関してはコメントする迄もない。


[Header Image] Ta Prohm, near the city of Siem Reap, Cambodia
📷taken in my trip back in August 2010
🟪

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