「もったいない」をやめて、ちょっと楽になった話
最近ふと、
「あ、これもう手放していいかも」
と思ったことがある。
それが、
子どもの習い事、振替はしなくてOK問題。
前までは
「もったいない!」と思って、
予定を調整して、別の日に振替していた。
でも考えてみたら、
そもそも一番いい曜日と時間帯を選んで通っている。
そこが崩れるなら、
無理して行かなくてもいいんじゃない?
と、ようやく思えるようになった。
行けるときに行けばいい。
行けない日は、それでいい。
同じ流れで、
子どもが体調を崩したときの自分にも気づいた。
「なるべく早く治して学校に行ってもらわないと!」
(私の時間がなくなるし、調整も増えるし、
なぜか湧いてくる謎の使命感)
でも、
いい加減このへんも手放していいのでは?、と。
家にいていい。
休んでいい。
ここまで書いていて、気づいた。
足が遅くても、
これだけは負けない!というものがなくても。
今回の話、
表面だけ見ると
「習い事の振替をやめる」とか
「無理に学校に行かせない」
そんな日常の話だが、
たぶん本当は、
成果が出なくても、
取りこぼしがあっても、
ちゃんとしていなくても、
価値は減らない。
そんな感覚を、
子どもにも、自分にも、
少しずつ許し始めた話なんだと思う。
振替しなきゃ → 取り戻さなきゃ → 遅れちゃいけない
休ませたら → 置いていかれる → ちゃんとさせなきゃ
こんな思考は、
たぶん気づかないうちに根っこにある。
人より遅れちゃいけないとか、
何かひとつでも「勝てるもの」がないと不安とか、
平均以下はダメ、みたいな感覚。
だから
「足が遅くても、
これだけは負けない!ってものがなくても。」
という言葉が、
するっと出てきたんだと思う。
突然じゃなくて、
競争や評価の土俵から
降りる場所を選び直しただけ。
これは子どもの話をしているようで、
たぶん自分への許可でもある。
何者かにならなくてもいい。
誇れる実績がなくてもいい。
とはいえ、
今年の私はわりとやる気がある。
去年、ちゃんと休んだから。
焦りも、比較の怖さも、
一度リセットされた。
その上で、
「よし、今年は数字を取りに行くぞ」
と、自分でアクセルを踏んでいる。
競争をやめたわけじゃない。
持ち込む場所を、選び直しただけ。
正直、
去年休んだ分、
遅れている感じもあるし、
時代の流れについていけていない感覚もある。
経験もスキルも、ある意味リセットされた。
それでも、
あの一年を休んだことに後悔はない。
そんな中でも
変わらず連絡をくれた人たちには、
本当に感謝している。
さて。
今日も、やることはいっぱいだ。
