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年末ジャンボ宝くじ1等、ちゃんと絶望してみた

年末ジャンボ宝くじの1等が当たる確率は、だいたい2,000万分の1である。

2000万分の1。

数字だけ見ると、まだ冷静でいられる。

「へえ、2000万分の1ね」

などと、知ったような顔をしてしまう。

だが違う。

これはそんな落ち着いたテンションで受け止めていい数字ではない。

2,000万分の1とは、0.000005%である。

つまり、99.999995%外れる

ほぼ外れる。

だいたい外れる。

普通に外れる。

むしろ外れるのが正規ルートである。

宝くじ売り場に並んでいる我々は、当たりを買っているのではない。

外れる予定の紙に、夢という名前のリボンを巻いてもらっている。

もちろん悪いことではない。

夢は大事だ。

年末に、

「当たったら会社辞める」

と小声で言う時間は、日本人に許された合法的な現実逃避である。

ただし、2,000万分の1という数字を舐めてはいけない。

ワンチャンある、ではない。

チャンス側がこちらの存在を知らない。

では、2,000万分の1がどれほど無謀なのか。

いくつかの例で見ていこう。

東京ドーム364個分の観客から1人だけ選ばれる

まず日本人にとって一番お馴染みの単位である、お約束の東京ドームから。

東京ドームの収容人数を約55,000人とすると、

55,000人 × 364個 = 約2000万人。

つまり、満員の東京ドームを364個用意する。

その中にいる全員を対象にして、たった1人だけ選ぶ。

無理である。

東京ドーム1個でも人が多すぎる。

ライブで自分の席を探すだけでも軽く遭難する。

それを364個である。

もはやイベントではない。

国家行事である。

繰り返すが、怖いのは東京ドーム1個では全然足りないということだ。

「東京ドーム満員の中から1人」

でも十分すごい。

だが宝くじ1等は、その364倍である。

ドームに行った人ならわかるだろう。

自分がいるドームの他にもあと363個あって、その中からあなたが選ばれるかどうか。

そういう話だ。

それで「当たれ」と願うよりは、鼻クソをほじってた方がまだ生産的ですらある。

サイコロで1を9回連続で出して、最後にコイン表

6×6×6×6×6×6×6×6×6×2の世界

次に、サイコロで考えてみよう。

サイコロで1が出る確率は6分の1。

これを9回連続で出す確率は、

6の9乗。

つまり、約1007万分の1である。

ここまででも十分おかしい。

サイコロを振って、

1。

また1。ここまではいける。

また1。

4回目でまた1。一日やり続ければ一回あるかどうか。

また1。並のギャンブルなら圧勝する運気。数十万貰えるレベル。

また1。王の領域、カリスマが伴う。

7回目でまた1。一生に一度あるかどうかと言ってもいい。

また1。すでに1,679,616分の1。

9回目でまた1。パチスロGODのフリーズ確率の600倍。言い換えれば、フリーズ600回引く運と同等と言える。

だが、年末ジャンボ1等はそれだけでは足りない。

ここでやっとスタートライン。

さらに最後にコインを投げて、表を出す。

これで約2,015万分の1。

ほぼ2,000万分の1である。

つまり宝くじ1等とは、

「サイコロで1を9回連続で出したら、最後にコインチャレンジできます」

と言われているようなものだ。

怖い。

抽選というより、悪魔召喚の手順である。

赤信号につかまるようでは1等は無理


信号で例えてみる。

その場合、青信号が24回連続で続く以上の運がいる。

もちろん昼間の運転でだ。

赤と青が半々だとざっくり考えると、青信号が24回連続で続く確率は、

2の24乗。

約1,677万分の1である。

つまり2,000万分の1は、青信号24回連続より少し難しいくらい。

25回連続なら約3,355万分の1なので、その間くらいである。

昼に普通に運転していて、24回連続で青だったらどう思うか。

「今日は運がいい」

では済まない。

「私は世界に許されている」

くらい思っていい。

逆に、いつもの通勤で3回連続赤信号に引っかかっただけで不機嫌になる我々が、2,000万分の1に期待している。

情緒がバグっている。

信号3回でキレる人間が、青信号24回以上の奇跡を買っている。

冷静に考えると、かなりかわいい。

7か月半の中から、たった1秒を当てる

時間でも例えられる。

2,000万秒は、約231日。

約7か月半である。

1月1日から数えて、だいたい8月下旬くらいまで。

その中のどこか1秒を、ピンポイントで当てる。

「はい、今!」

違います。

「じゃあ今!」

違います。

「今でしょ!」

古いです。

7か月半の中から、たった1秒。

しかも一発勝負である。

無理である。

好きな人からLINEが返ってくる時間すら当てられない人類に、そんな芸当ができるわけがない。

既読がつく時間すら読めない。

上司が機嫌いいタイミングすら読めない。

電子レンジの「あと10秒」が意外と長いことすら見誤る。

そんな我々が、7か月半の中の1秒を当てにいっている。

人間は夢を見る生き物である。

30人クラスで代表に5回連続選ばれる

学校で考えると、さらにわかりやすい。

まず30人クラスがある。

その中から1人だけ代表を選ぶ。

確率は30分の1。

まだわかる。

次に、各クラスで選ばれた代表30人をまた集める。

その中から、さらに1人選ぶ。

確率は900分の1。

さらに、代表の代表30人を集めて、また1人選ぶ。

27,000分の1。

さらに繰り返す。

810,000分の1。

そして5回目。

24,300,000分の1。

つまり、ほぼ2000万分の1である。

最初はただのクラス代表だったのに、気づけば、

クラス代表の代表の代表の代表の代表。

肩書きが長い。

履歴書に書いたら面接官が困る。

「これは何の代表ですか?」

知らん。

選ばれ続けた者です。

しかもこれをやるには、最初に30人クラスが81万クラス必要である。

81万クラス。

つまり、81万クラスのTOPを決めようぜという話。

もはや学級委員や生徒会長どころの話ではない。

教育委員会主催の狂気のバトルロイヤルである。

「今から皆さんには81万クラスの頂点を目指してもらいます」という規模である。

少子化だというのにふざけるなという話だ。

(別に子供はおろか旦那もいないからと拗ねているワケではない)

それでも人は宝くじを買う

こうして見ると、年末ジャンボ1等の2,000万分の1は、もはや「低い確率」ではない。

人間の感覚の外である。

東京ドーム364個。

サイコロ9連続1からのコイン表。

青信号24回連続以上。

7か月半の中の1秒。

クラス代表を5回連続突破(81万クラス)。

どれも無理である。

冷静に考えれば、当たる気配などない。

それでも人は買う。

なぜか。

当たると思っているからではない。

当たったらどうしよう、と考える時間が楽しいからである。

会社を辞める。

家を買う。

親に渡す。

旅行する。

誰にも言わない。

その妄想に、数千円払っている。

つまり宝くじとは、紙の形をした年末の現実逃避である。

ただし、当たる前提で退職届を書くのは早い。

当たる前提で上司に強気になるのも早い。

ここで、少しだけ現実の話をしよう。

宝くじを2,000万枚、1枚300円で売ると、売上は60億円である。

1等前後賞10億円。

たしかに夢のある金額だ。

だが、その裏ではもっと大きなお金が動いている。

つまり、世の中の経済全体で見れば、10億円ですら巨大な流れの一部にすぎない。

もちろん、私の通帳から見れば10億円は完全に神である。

だが、視点を変えると少し見え方が変わる。

「10億円が当たったらどうしよう」と考えるだけでなく、

「なぜ10億円を配れる仕組みが成り立つのか」

「どこにお金が集まり、どこへ流れているのか」

そう考えることには、もしかすると10億円が当たる以上の価値があるかもしれない。

2,000万分の1という、何度生まれ変われば掴めるのかわからない確率で10億円を取りに行くより、現実的な方法で1億円を稼ぐ道を探す方が、私はまだ可能性がある気がする。

実際、私は宝くじ1等を当てた人間には会ったことがない。

だが、1億円以上を稼ぎ出した人間には何人も会ってきた。

現実とは残酷である。

さらに残酷な事実がある。

私はそのような傑物たちと出会っておきながら、恋愛に発展することはなかった。

理由は明白である。

私に魅力が足りなかった。

ちくしょう。

あいつら、今度見かけたらマジでしばいてやる。

私は今年も宝くじを買う。

なぜなら、人間は正しさだけでは生きられないからである。

そして何より。

宝くじ1等を当てて、私を選ばなかった俗物どもを見返してやりたいからである。

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