見出し画像

【追悼】”超人” ハルクホーガン、永遠に。

超人の訃報に涙

2025年7月24日(現地時間)、世界的プロレスラー、ハルク・ホーガンさんが米国・フロリダ州の自宅で心停止状態となり、病院に搬送されるも帰らぬ人となった。

8月11日に、72歳の誕生日を目前に控えたなかでの死去となった。

ホーガンが亡くなった日は、日本時間だと7月25日の金曜日であり、彼が頻繁に来日していた40年ほど前の毎週金曜日は、日本中といってもいいくらい、プロレスに熱狂していた・・そんな時代だった。

金曜夜8時、テレビの前で出会ったヒーロー

1980年代、日本中がプロレスに熱狂していた時代。

テレビ朝日系「ワールド・プロレスリング」は、毎週20%超の視聴率を記録し,きら星の如くのスーパースター達が躍動していたものだった。

アントニオ猪木、初代タイガーマスク、藤波辰爾、長州力らの日本勢に加え、外国人エースの ”大巨人” アンドレ・ザ・ジャイアントに並び立とうかという勢いがあった若き日のホーガン。

他の多くの外国人レスラーがレスリングやアメフトなどを経歴に持つ「アスリート」なのに対し、この頃のホーガンは「ロック・バンドでプロを夢見ていたボディビルダー」と、一風変わった経歴のレスラーだった。

金髪の長髪、特徴的な髭を蓄え、筋肉質で褐色の肌の肉体。 
銀のリングシューズを履き、黒のトランクスに漢字で書かれた「一番」。
当時のテーマ曲「ギャラクティカのテーマ」に乗り、颯爽とリングインするや、右手の人差し指を突き上げ、「イチバーン!」と叫ぶ!

ハルク・ホーガンは華があって格好良かった!

不器用だった ”超人”が世界一へと駆け上がるまで

異色の経歴を持つホーガン。
当初はレスリング・ムーブも不恰好で、体がデカいのに ”チョン”と当てる様に映る技にも説得力が無いように感じていた。

しかし、日本マットで「スタン・ハンセン」や「アントニオ猪木」のタッグ・パートナーに抜擢されたり、アンドレ、ローデス、初代タイガーマスク、その他のトップレスラー達から多くを学び、成長していった。

やがて、必殺技「アックス・ボンバー」を考案し、その名を世界に轟かせるまでに。

ホーガンは、少年時代からプロレスが大好きだっただけでなく、人一倍の ”努力家” で常に創意工夫を怠らなかったからこそ、「業界最大最高のスーパー・スター」となり、世界的に顔と名前が知られる ”アイコン”たりえたと思う。


ロッキー3とアメリカンドリームの実現

ハルク・ホーガンの人生の大きな転機となったのは、1982年、シルベスター・スタローン主演の映画、「ロッキー3」の出演だった。

これは、当時のWWWF(現WWE)のオーナー、ビンス・マクマホン・シニアの反対を押し切り、チャンスを掴み獲ったホーガンの先見の明と行動力あってこそだ。

1985年、第1回レッスルマニア以降のホーガンの歩んだサクセス・ロードは、まさに ”アメリカンドリーム”そのものだった。

WWEの顔として、世界の希望と喜びに

今や、世界的に知られる「WWE」が、ここまで巨大になれたのも、ビンス・マクマホンとハルク・ホーガンの両輪で驀進したればこそであり、長きに渡って世界中の人々に「夢」や「喜び」を与えてくれたホーガンの功績は計り知れないものがある。

その功績は、リック・フレアーやアンダーテイカーをはじめとする多くの業界関係者だけでなく、トランプ大統領やバンス副大統領をはじめ、他業界からの追悼コメントにも表れている。

今は・・「ホーガン・ロス」状態

ホーガンの訃報は、NHKをはじめ民法各局のニュースで報じられ、たらい回しで視聴した。 中でも特にテレビ朝日の「報道ステーション」では、時間を割いて特集され、懐かしい映像群を見ていて ”こみ上げてくるもの”があり、今はちょっとした「ホーガン・ロス」状態である。

私たちに「夢」や「勇気」、「強さ」を見せてくれたヒーロー。

あの「イチバーン!」の叫びとともにリングインしてきた姿は、今も心の奥に焼き付いている・・。

『ハルク・スター✨』よ、永遠に😭

ありがとう。 ハルク・ホーガン!



いいなと思ったら応援しよう!