演歌バッグ探し
こんばんは、MARUです。
子供が9月に産まれるので、産む直前に演歌を歌おうと思いました。
今回は「演歌バッグ」について、現状で思っていることを書きました。
「演歌バッグ」とは?
高価なブランドバッグを買う背景にあるドラマチックな人生の物語のこと。離婚や仕事の節目など、大きな出来事を経て「それでは買います!」と覚悟を決める姿が、演歌の世界観と重なるため、そう名付けられた。
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鈍感だと思ってたけど繊細
私は、どうやらすごくセンシティブな人間らしい。
20年以上前、ゴスロリ雑誌のインタビューで、あるバンドマンが巷で見たゴスの人に対して、「血を流したり、病的なコンセプトの服なのに、なんで健康的に太ってるんだよ」と言っているのを読んでしまった。その一言で、「私はもうそっち系は着られない」と思い込んでしまった。当時はまだ10代で、心に深く刺さったまま抜けなかった。だから、少なくとも「骸骨系は(デブなのに)違う」と決意したのを、いまだに引きずっている。
そして最近、あるブランドの定番バッグが気に入って、夏に買おうと思い調べていたら、創業デザイナーが過去にアジア人差別発言をしていたことを知ってしまった。その瞬間、「このブランドが好きだけど、自分はデザイナーに嫌われているのかもしれない」とショックを受け、公式サイトすら開けなくなった。気にしすぎと言われればそれまでだけど、一度気になったらもう無理なのだ。
こういう性格だからこそ、人との距離をとることが多い。職場でも、プライベートな話をすることはない。そもそも一人の部署だし、他部署に行くときも用件が終わればすぐ戻る。妊娠のことさえ、人事に伝えただけで、今のところは特に誰かと話してない(たった一人の職種なので誰かが私の仕事を肩代わりできるわけではないのもある)。休憩時間も一人で過ごすのが普通。笑顔は見せるけれど、それはあくまで“仮面”のようなものだ。
憧れのマックイーン
そんな私が「持ちたい」と思ったのはアレキサンダー・マックイーンだった。彼は、生い立ちや個人的な経験をもとに、ファッションで社会や個人の内面を表現した天才デザイナーだ。虐げられた人々への共感、歴史や映画からのインスピレーション……美しさと残酷さが共存するコレクションに心を動かされた。だからこそ、彼のバッグを持ちたいと思った。でも、定番バッグは骸骨のモチーフがあしらわれていて、「骸骨系は違う」と20年前に決めたものだから、どうしても踏み切れなかった。
マルジェラが好き
そこで、考えに考えてたどり着いたのがマルタン・マルジェラ。彼は公の場に姿を見せず、顔写真すら公開しない。モデルの顔を隠したショーも有名だ。その匿名性に、自分の生き方を重ねてしまう。今の私は「自己紹介バッグ」として、マルジェラの5ACの真っ赤なバッグを使っている。でも、それは二次流通で買ったものだから、まだ“お試し”という感覚が抜けない。
この時の記事を読み返すと、「これはMARUの赤色やで」と言い切るのも、区別がつかないからというのもあるが、「だからあなたと私は別の人間です。お間違えないようにお願いします」と境界を濃くしているんだろうなとも思えた。
そうでもしないと、沢山の人間の「こうしてほしい」が流れてくる気がするのだ。今になって義母にヴィトンのバッグを返したい。やっぱ人からもらったバッグを使うのは自分には重かった。昨年、自問自答ファッション教室の旅に持って行ったっきり使ってない。
今はもっぱら、KENZOの虎ちゃんリュックが旅のお供である。ちょっと威嚇気味。

グラムスラムが気になる
今、候補にしているのはマルジェラのグラムスラム。このフワフワの枕みたいな触感がずっと気になっていた。お店でいくつか試してみた結果、スモールサイズのトートがショルダーにもなっていて、両手も空くしちょうど良い感じがした。ファスナー付きのスポーツタイプも大好きだ。
しかもより匿名性を重視して、今度は「黒」にしようと思った。黒は使い勝手もいいし、汚れも目立たないこともあるが、誰でもない感じが自分に合ってると感じた。そして、今の自分なら、赤色で線引きしなくても十分人と距離はとれる気がした。
それで実際、「じゃあお迎えするぞ!」という気持ちで改めてグラムスラムを試着したら、なんかちょっと違った。デザインはとても好きなのに、これをもって過ごしている自分が何処にも想像できなかった。
一番の理由は「子供ができるから」。
結局「子供中心」の生活なんでは?
最近ふと気づいたんですが、私がバッグを持って外に出るとき、結局いつも家族と一緒。
もちろん、今は夫婦2人だけの生活だけど、これから子供が生まれれば、ますます単独行動の機会は減るはず。そもそも交友関係が狭すぎて、一人で出かけること自体が少ない。結果として、バッグ=家族との外出という図式が成り立つわけである。
そんな私が、ある日「これはどうだろう?」と思ったバッグに出会った。たまたま寄ったバレンシアガで見つけた、カジュアルなメンズバッグ。
実用性バツグンのバレンシアガ
このバッグ、なかなか良い。ショルダーにもなるし、ナイロン製だから汚れたらサッと拭ける。ポケットもたくさんあって、開口部もガバッと開く。これから子供が生まれることを考えると、こういう実用的なバッグは重宝しそう。
しかも、今の私の定番であるヨウジヤマモト系の服とも相性がいい。見た目もカジュアルで、持ちやすい。これはアリかも。
……と思いつつ、心が躍らない。
「日常向け」のバッグ問題
これは間違いなく日常使いに適したバッグ。でも、日常向けのバッグを買うべきじゃないかと思いつつ、いざ「日常向けです!」って顔をされた瞬間に、なんか違う気がしてくる。この矛盾、分かりますか?
「ときめきがない」「でも実用性はある」「でもときめかない」「いやでも日常的に使える」……このループにハマり、結局買わずに帰宅。
おわりに
「好き」と「自分には無理」と「実用性」に振り回されながら、それでも自分にフィットするものを探し続けている。
これからは、バッグを選ぶ基準も変わるかもしれない。単なる憧れや自己表現ではなく、子供との時間を快適にするためのツールとして(まだピンとこない)。日常向けのバッグを求めつつ、でも「ときめき」も諦めたくない。その狭間で迷うのも、私らしさなのかもしれない。
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