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終章 これでも?


 記事公開から四十八時間で、怜奈の生活は画面に埋まった。

 圭吾からの着信は十三件残っていた。最初の数件は短い確認で、次第に文面が硬くなった。『出版社の怪談特集にも拾われ始めている』『これ以上広げると戻せない』『君が書いた注意書きは、読まれない部分に沈んでいる』。最後の一件だけ、言葉が違った。『頼むから、今夜は画面を見ないでくれ』。

 通知が止まらない。メールが来る。SNSの言及が増える。知らないアカウントが彼女を呼び、知らない誰かが彼女の記事を切り抜き、要約し、怖い部分だけを拡散する。病院への配慮を書いた段落はあまり読まれなかった。沢井文江の怒りも、兄弟の沈黙も、野上辰夫の作業灯も、長い本文の中に沈んでいく。

 代わりに残ったのは、分かりやすい言葉だった。

 水の中を走る口裂け女。

 反射面に出る女。

 答えなければ消えない問い。

 怜奈は、記事のタイトルを後悔し始めていた。

 あの見出しは強すぎた。読まれるために必要だった。だが、読まれるための言葉は、怪異にとっても通りやすい道になる。彼女はそのことを、公開前から分かっていたはずだった。

 午前三時、彼女は記事を非公開にする画面を開いた。

 指が止まる。

 非公開にしても、もう遅い。転載がある。スクリーンショットがある。引用投稿がある。動画配信者が朗読している。まとめサイトが作られている。誰かが地図まで作り、水代市の場所を特定しようとしている。怜奈は慌てて、実在地名ではないこと、病院や学校を探さないでほしいことを追記した。

 それでも、噂は動いた。

 現代の噂は、削除より速い。

 昭和五十四年の子どもたちは、休み時間と下校中に噂を運んだ。新聞や週刊誌が後から追いかけた。いまは逆だった。記事が先に走り、読者が追いつき、SNSが服を着せる。噂は一晩で県境を越え、国境も越える。

 怜奈は、ヒロシから届いたメッセージを読んだ。

 その前に、番号のない短い通知が一つ届いていた。『また見つけたな』。差出人は分からない。だが、怜奈はその文の湿った調子に覚えがあった。昔、暗い店の出口で、守ってやると言った人間が同じような文を送ってきたことがある。幽霊よりも、人が人を見張ることの方が怖かった時期が、彼女にはあった。

 それでも、その通知が本当に人間から来たのかどうかを、いまの怜奈は断定できなかった。

 「弟から連絡がありました。あの記事を読んでから、また夢を見るそうです。自分も少し落ち着きません。病院のことを丁寧に書いてくれたのは感謝しています。ただ、あの女のことを、もう一度呼んでしまったのではないかと考えています」

 返事を書こうとして、消した。

 どんな言葉も軽かった。

 沢井からも電話があった。

 「患者さんを怪物にしないでくれたことは、ありがとうございます」

 声は疲れていた。

 「でも、三崎さん。あの女を記事にした以上、あなたももう、見る側ではありませんよ」

 「どういう意味ですか」

 「見られる側です」

 通話はそこで切れた。

 怜奈はスマートフォンを机に置いた。画面が黒くなり、そこに自分の顔が映る。彼女はすぐに伏せた。黒い画面を見るのが嫌になっていた。窓も嫌だった。洗面所の鏡も、電車のドアも、コンビニの自動ドアも、夜の車の窓も。

 反射するものは、生活から消せない。

 水も、ガラスも、液晶も、磨かれた金属も、目の表面さえも。

 午後、怜奈は記事の続報を書こうとした。

 拡散された情報の多くは検証不能であること。画像加工の可能性。便乗投稿の多さ。病院や関係者への迷惑行為をやめてほしいこと。土地を特定しないこと。精神科医療への偏見を煽らないこと。

 必要な文章だった。

 だが、書けば書くほど、彼女は自分が消火ではなく、燃料を足しているように感じた。

 「検証不能」と書けば、読者は検証しようとする。

 「探さないで」と書けば、探す者が出る。

 「答えないで」と書けば、問いを待つ者が出る。

 禁止は、噂を止めない。形を与える。

 怜奈は続報の下書きを閉じた。

 夜になり、部屋の明かりを落とした。眠らなければならない。けれど、寝室の窓が怖くてカーテンを二重に閉めた。洗面所へ行くときは、鏡を見ないようにした。子どもじみていると分かっていた。自分は三十四歳で、怪談を信じていない記者だったはずだ。

 はずだった、という言い方が頭に浮かび、怜奈は苦笑した。

 信じるとは何か。

 怪異が実在すると認めることではない。夜の画面を見る前に、一瞬だけ息を止めること。写真を開く前に、白いものを探してしまうこと。窓の反射に自分以外の輪郭がないか確認すること。そういう小さな行動の変化が、信じるということなのかもしれない。

 午前一時十七分。

 イヤホンから音がした。

 怜奈は机に向かったまま固まった。イヤホンはスマートフォンにもパソコンにも接続していない。片耳だけが机の端から垂れ、もう片方はノートの上に転がっている。

 最初は、水音だった。

 細い水路を、何かが撫でるような音。田んぼの水面を、風ではないものが走る音。続いて、布越しの声がした。

 「わたし」

 怜奈は立ち上がれなかった。

 部屋は暗い。机の上にはパソコン、スマートフォン、プリントした写真、取材ノート。カーテンは閉まっている。窓ガラスは見えない。だが、反射面は目の前にいくつもあった。

 「きれい?」

 声は、イヤホンからだけではなかった。

 パソコンの黒い画面。

 伏せたスマートフォンの縁。

 写真の光沢。

 部屋の隅のガラス戸。

 それぞれの表面が、同じ問いを少しずつ遅れて返しているようだった。

 怜奈は答えなかった。

 答えないことだけが、彼女に残された抵抗だった。きれいとも、普通とも、ポマードとも言わない。言葉を返さない。物語へ参加しない。

 しかし、彼女はすでに記事を書いている。

 問いに答えなくても、語ってしまった。

 画面を見ないように、怜奈はパソコンを閉じた。スマートフォンも完全に伏せた。写真を裏返し、ノートを閉じた。部屋の中から反射を一つずつ消す。消せば消すほど、部屋は暗くなった。

 最後に、机の端のイヤホンを見た。

 白いコードが、蛇のように垂れている。片耳の小さな穴が、こちらを向いていた。

 そこから、また声がした。

 「これでも?」

 怜奈は息を止めた。

 見ていない。

 何も見ていない。

 だから「これ」が何か分からない。マスクを外した顔なのか。水面の中の顔なのか。画面の中で近づいてきた女なのか。それとも、記事によって全国へ広がった新しい姿そのものなのか。

 これでも。

 問いは、美醜を尋ねていなかった。

 あなたは、これでも私を語るのか。

 これでも記録するのか。

 これでも誰かに見せるのか。

 怜奈は答えなかった。

 朝まで、部屋の明かりをつけたまま座っていた。

 夜明け前、通知音がまた鳴り始めた。全国各地から、同じような投稿が増えていた。

 「イヤホンから声がした」

 「画面を伏せても聞こえる」

 「答えなかったのに『これでも?』って言われた」

 「水の音がする」

 「走ってはいない。反射の中で同じ速さでついてくる」

 怜奈は、ひとつも返信しなかった。

 午前九時、編集部名義で短い注記が掲載された。

 「本記事について、多数の情報提供が寄せられております。実在の医療機関、学校、個人への問い合わせや訪問はお控えください。現在、三崎怜奈は追加取材を停止しています」

 失踪とは書かなかった。

 怜奈は生きていた。電話にも出た。食事もした。必要な仕事の連絡も返した。けれど、彼女はもう、自分が取材の外側にいるとは思えなかった。

 記事は削除できる。

 だが、スクリーンショットは消えない。

 引用は消えない。

 誰かの記憶に入った問いは、消えない。

 昭和五十四年の水代で、子どもたちが病院の二階窓に白いマスクを見た。見たことを話した。話された女は、コートを着て、正門へ来て、農道へ来て、水の中を走った。

 そして今、怜奈の記事によって、女は新しい身体を得た。

 水田より広く、川より速く、窓より多い身体。

 画面。

 最後に怜奈が自分のノートへ書いた言葉は、記事には載らなかった。

 「私は、彼女を見つけたのではない。彼女に、見つかる場所を増やした」

 その夜、全国のどこかで、誰かが画面を消した。

 黒い液晶に、自分の顔が映った。

 背後に、白いマスクがあった。

 そして、接続されていないイヤホンから、女の声がした。

「 わたし、きれい?」

編集部注記

 本稿の公開後、三崎怜奈本人からの追加原稿は届いていない。

 ただし、失踪したわけではない。連絡は取れている。短い返信もある。彼女は「これ以上、私が語ると増える」とだけ書いた。編集部では、当初この一文を心理的な疲労によるものと判断した。取材対象と距離が近くなりすぎた記者が、一時的に記事から離れることは珍しくない。

 しかし、その後も読者からの情報提供は続いた。

 共通点は、反射面だった。

 水田、川、窓、鏡、スマートフォン、タブレット、車のミラー、駅のホームドア、夜の電車の窓、黒いテレビ画面。そこに白いマスクの女が映る。多くは錯覚であり、加工であり、便乗である。編集部はその立場を変えていない。

 それでも、複数の報告に同じ一文が含まれていたことは記しておく。

 「走ってはいなかった」

 「同じ速さで、画面の中をついてきた」

 この表現は、三崎の記事に由来する可能性が高い。読者が記事の言葉を借り、自分の体験を語っている。それが最も現実的な説明である。

 だが、現代民話とはそもそも、そのようにして生まれる。

 誰かが見たと言う。別の誰かが言葉を借りる。借りられた言葉は、次の体験の型になる。型に合うものだけが語られ、型に合わないものは忘れられる。そうして、最初は曖昧だった白い点が、白いマスクの女になる。

 三崎怜奈は、最後の電話でこう話した。

 「私は、記事を削除するかもしれません。でも、削除したという話もまた残ります。消したら本物だったと思われる。残したら広がる。どちらを選んでも、もう私はこの話の外に戻れません」

 それが、取材者としての彼女の結論だった。

 編集部は、この記事を閉じるにあたり、読者へ一つだけ求める。

 実在する場所を探さないでほしい。

 実在する病院や患者、関係者へ噂を向けないでほしい。

 そして、もし黒い画面や水面に白いマスクを見たとしても、慌てて誰かを怪物にしないでほしい。

 恐怖は、人の形を借りたがる。

 借りられた側に、罪があるとは限らない。

 なお、三崎が最後に残した取材ノートのページには、次の一文があった。

 「答えなければ助かる、という噂は間違っている。問いを聞いた時点で、もうこちらは物語の中にいる」

 この一文の真偽を、編集部は判断しない。

 ただ、掲載作業を終えたあと、担当者のモニターが自動で暗転した。

 黒い画面には、担当者自身の顔が映っていた。

 その背後に何が映っていたかについては、ここには書かない。

最後の画像

 三崎怜奈の端末には、未整理の画像が一枚残されていた。

 撮影時刻は、記事公開から五日後の午前一時十七分。

 場所情報は削除されている。画像は暗い。机の上に伏せたスマートフォン、閉じたノートパソコン、裏返された写真、片耳だけ垂れたイヤホン。部屋の全体は写っていない。

 画面の中央にあるのは、黒いスマートフォンの背面だった。

 背面は本来、画面ではない。反射は弱い。だが、そこに怜奈の顔が薄く映っている。目だけが分かる。彼女はカメラを見ていない。スマートフォンの背面に映った何かを見ている。

 その後ろに、白いものがある。

 編集部は、その画像を公開しなかった。公開すれば、また赤丸をつけられ、明るさを調整され、拡散される。誰かが「本物」と言い、誰かが「加工」と言い、誰かが同じ構図で写真を撮る。画像は証拠ではなく、次の噂の雛形になる。

 怜奈は、それを望まなかったはずだ。

 ただ、画像のファイル名だけが残っている。

 `kore_demo_001.jpg`

 誰がその名前をつけたのかは分からない。怜奈自身かもしれない。端末の自動命名ではない。編集部の誰かが変えた記録もない。

 画像は保管庫に移された。

 アクセス権は制限されている。

 それでも、担当者はときどき思う。

 保管とは、別の形の公開ではないのか。

 鍵をかけた場所は、いつか開けられる場所でもある。記録されたものは、削除されない限り、未来の誰かを待つ。昭和五十四年の窓の女が、写真と証言の中で怜奈を待っていたように。

 もしこの物語が読者の手元に残るなら、それもまた一つの反射面になる。

 紙は光らない。

 だが、読む人間の中には像が映る。














作者より

 最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

 この物語はフィクションです。作中に登場する地名、人物、施設、出来事はすべて架空のものであり、実在のものとは関係ありません。

 どうか、現実の場所を探さないでください。
 どうか、誰かを噂の中へ閉じ込めないでください。
 そして、読み終えたあとに黒い画面や窓ガラスや水面を見ても、そこに意味を探さないでください。

 反射面には、何もいないはずです。

 もし何かが見えたとしても、それはきっと、ただの光の加減です。
 疲れ目かもしれません。
 読み終えたばかりだから、そう見えただけかもしれません。

 当方では、一切感知いたしません。

 それでは、ここで物語を閉じます。

 どうか振り返らず、画面を消してください。









 





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