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私の親指が、メディアを淘汰している

これはメディアの構造論ではない。その構造の中で、実際に親指を動かしている自分の話だ。

スマホで記事リンクをタップした瞬間、本文の前に広告が現れる。スクロールしようとすると、フローティングバナーが画面の下から追ってくる。動画広告が自動再生され、音が出る。「本文はどこだ」と探しながら、画面を閉じる。週に何度、この体験を繰り返しているだろう。

苛立ちが自分だけのものではない、という感覚は多くの読者が持っているはずだ。問題は、その苛立ちが何を動かしているのか、ということだ。

きれいな一覧と、泥をかぶる末端

Google DiscoverやYahoo! NewsのフィードはUIとして整理されている。サムネイルと見出しが並び、広告は最小限だ。タップするまでは快適に見える。

問題はリンクの先にある。タップした先のメディアサイトが、広告まみれになっていることが多い。この落差は偶然ではない。フィードを運営するプラットフォームは、コンテンツ制作のコストをほぼ負わない。コストを負うのは記事を書く側だ。そのコストを回収する手段として、広告しか持っていないメディアが多い。

News Media Alliance(米国ニュースメディア業界団体)の試算によると、広告主が払う1ドルのうち、記事を書いた側に渡るのは30〜40セント程度という。Googleは異なる数値を示しており、業界団体の試算には立場上の誇張が含まれている可能性がある。ただ、パブリッシャーの手元に届く収益が薄いという実感は、多くのメディア関係者が共有している。残りは広告配信を仲介する技術インフラが吸収する。

日本においては、この構造はGoogle Discover以上にYahoo! NewsやLINE Newsに色濃く現れる。月間規模で見れば数千万単位のユーザーを持つ無料アグリゲータが入口になり、コンテンツを提供したメディア側の収益の大半が中間で抜かれる。便利な入口だけが整然とし、泥をかぶるのは末端だ。

うんざりは、一覧の側に戻ってくる

広告に辟易してページを閉じるとき、その怒りはどこへ向かうのか。「このサイトは広告が多くて使いにくい」という感想は、サイトに向かう。フィードに向かうことはない。

不快の記憶は、コンテンツを作ったメディア側への嫌悪として蓄積されていく。その庭だけが清潔なまま、メディア側だけが嫌悪を吸収し続ける。

結果として、読者は軽い方を選ぶ。個別のメディアサイトへのアクセスを減らし、フィードの中で消費を完結させようとする。そのシグナルが積み上がれば、個別サイトへのトラフィックは細くなる。DiscoverやYahoo! Newsが、嫌な体験の送り元ではなく安全な避難場所に見えてくる。

私は"表示しない"を押し続ける

Google Discoverのフィードでメニューをタップすると、「興味なし」や「このサイトを表示しない」という選択肢が出てくる。私はこれを、かなりの頻度で押している。

押す理由は単純だ。開いたら広告が邪魔だった、本文が薄かった、クリックベイト型の見出しなのに内容が伴わなかった。それだけのことで、そのメディアをフィードから消す。広告を置かなければ収支が回らない。でも広告が多ければ読者に嫌われる。その矛盾の中に挟まれた媒体から、順に押し出していることになる。

ここで正直に認めておく。私の親指一本の影響力は極小だ。本当の淘汰力は、Googleのアルゴリズム変更のほうが桁違いに大きい。あるメディア業界の報告によると、1日10万クリック以上をGoogle Discoverから得ていたニュースパブリッシャーが、コアアップデートを境にDiscoverからのトラフィックがほぼゼロになったケースが報告されている。一人のユーザーの操作では起こせないことが、アルゴリズムの更新1回で起きる。

だが、そのアルゴリズムは天から降ってきたものではない。私を含む読者の挙動を学習している。「このサイトを表示しない」という押下、滞在時間の短さ、すぐに戻るボタンを押した行動。それらが集積して、アルゴリズムの判定に影響を与えていると考えるのが自然だ。アルゴリズムは、私の親指の集合体だ。

そうした判定シグナルが積み重なれば、フィードはじわじわと、読者に本当に届けるためではなくアルゴリズムを通過するために最適化された記事だけを残していく。SEOに特化したタイトル、広告収益に最大化された構成の記事が残り、広告で食いつないでいる中規模メディアから順にフィードの外側へ押し出されていく。

見えていても、止めない

この構造が見えていても、明日も私は同じ操作をする。読み込みの遅いサイトを閉じ、広告だらけのページからすぐ離脱し、「表示しない」を押す。自分が何かを少しずつ押し出していることに気づきながら。

「質が高いメディアから消えていく」という因果は正確ではないかもしれない。「収益モデルが広告一本足打法だったメディアから消えていく」という因果のほうが正確だ。だがその中に、丹念な取材を続けていた媒体が混じっていることも、否定しにくい。

メディアシリーズの前2本では、この構造を外から観察した。無料で読めるニュースが減っているでは収益構造の変化を、続・無料のインターネットは「スラム化」したでは情報空間の劣化を書いた。今回は、その構造の中で実際に手を動かしている自分の話として書いた。淘汰の実行者は遠くのサーバルームにいるのではない。今、画面に触れているこの親指だ。

そしてこの告白を、私はnoteに書いている。広告を挟まず、月額課金とクリエイターへの直接支援で動くプラットフォームに。これが構造的な逃げ道なのか、それとも別の問題の先送りなのか、まだわからない。同じ親指で押しながら書いている、という事実だけが残る。

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