本気と書いてマジと読む〜がんばると本気の違い〜
長年「真面目」という言葉に対して、とても気になっていることがあります。とても多くの人が本来の意味を誤解しているという点です。
いろんな場面で「言われたことをきちんとこなす」「ルールに従順」「人に逆らわない」といった、いわば“都合のいい人となる”という象徴として「真面目」が使われています。
しかし、そんな意味はどの辞書にも記載がありません。
「真面目」という言葉が本来持っている意味は「本気で取り組む姿勢」「ありのままの自分で向き合う態度」といったものです。
要するに、マンガのセリフなどで見かけたことがある「本気と書いてマジと読む」というのは、全くもってその通りなんですね。
しかも「自分の想いに本気で向き合っているのではなく、目上の人に従順で良い子と評価されるためにがんばること」が真面目であると誤解をしている人は、若い学生達よりも社会で働くオトナのほうが多かったりします。
一体どうして、本来の意味とかけ離れていくのでしょう。
誤解が蔓延する社会背景
ここからは個人的な考察ですが、この誤解が蔓延るのは、日本の教育システムや社会風土において以下の三つの背景が挙げられます。
1.同質性の重視
日本社会は、集団の調和を非常に重んじる文化です。
学校教育でも「みんなと同じ」が良しとされやすい傾向があります。
それは「人と違うこと」や「個性」はトラブルの元と捉えられやすく、それに適応するために「目立たないこと=良い子=真面目」と認識されてしまいがちです。
会社であっても結果的に同質性を求める職場は多いのではないでしょうか。

2.対話の機会の欠如
子どもたちが自分の意見を述べたり、異なる意見を持つ他者と対話したりする機会はとても限られています。
そのため、自分の考えや感情を言語化する経験が不足し、「自分がどう感じたか」よりも「先生にどう思われるか」「みんなに合わせるにはどうすればよいか」が優先されるようになります。
また、学級運営などでも多数決がよく用いられますが、少数派は結果として多数派に従うことになるだけの歪んだ従順さを生みかねません。
そうした多数決というものは、本来の民主主義にはなっていなことから、小中学生のうちは、決議をするための「議論」よりも、多様な価値観を受け入れる「対話」のほうが大切だと考えます。
生徒同士の「対話」の機会をより多く設けて、さまざまな価値観は主体的な意見交換から合意点を目指していく経験値の方が遥かに大切だからです。
ファシリテーターに徹することができる教師が非常に少ないから実現できないという可能性も考えられますが、生徒たちだけで多数決をさせて少数派を従わせるという環境は即刻辞めるべきではないでしょうか。

3.主体性より“自主性”
学校ら家庭だけではなく、実はオトナの職場でも「自主的にやっているように見せかけた従順さ」が奨励されがちです。
これは「自分で考えて動く主体性」ではなく「言われなくても空気を読んで動く能力」ばかりが評価されていることが背景にあるのかもしれません。
これが「真面目=空気を読んで動く=従順」という誤解につながります。
会社が掲げるビジョンは形骸化してヒエラルキーが強い会社でも、表面的には主体性が認められることはあっても、権力者は社員の主体性など求めていないのが実態です。
それに、子どもたちの大半は従順な親の背中もしっかりと見透かすので「オトナになって働くとは…本来の自分らしさを押し殺すことを我慢してお金を得ること」というイメージを持っているのが事実です。

また、いろんな教育現場でも「言われたことを守る」ことが「真面目な子」とされ、それに反する態度(質問する・異議を唱える・自分のペースを大事にする)は「わがまま」「協調性がない」と評価される傾向にあります。
実際に、自分が納得できることを封印してまでも教師が期待する答えに迎合することは一切しなかった私の小学生時代は、通信簿には毎回のように「積極性は認められるが協調性はない」と書かれていました。
結局は子どもが通う学校でも、オトナが通う職場と同様で「本気」「自分らしさを貫く真摯さ」という本来の「真面目」は評価されづらくなり、ますます「従順」になってしまいます。
がんばると本気の違い
それでは、どうすれば良いのでしょう。
この認識を変えていくには、家庭でも学校でもオトナの職場でも「対話」と「自己表現」の場を増やすことが大切だと考えています。
「あなたはどう思う?」を繰り返す場をつくる
「ルールや規則に従う」ではなく「なぜそのルールや規則があるのか」を一緒に考える(会社での業務マニュアルも同じ)
失敗や違いを恐れない風土を目上の者から身をもって体現する
上司、教師、親自身のそれぞれが率先して「真面目って…自分の想いと考えを持って誠実に行動することなんだよ」ということを体現し、言葉で伝えていくことが、部下も学生もわが子も少しずつ社会の見方を変える力になるのではないかと考えています。
そして、この「真面目」の意味の誤解を解く一つのキッカケとして、長年運営を担っている交流会で、「"がんばる"と"本気"の違い」について、参加者全員で対話をしてみてもらいました。
3名ずつのグループに分かれてもらい、30代~60代までの幅広い世代のこの日の参加者の大半は、戸惑いながら対話を始めました。
「がんばる」と「本気」の違いは普段考えたこともないけれど、結果として価値観の奥深いところに触れる対話テーマとなったようです。
徐々に「真面目さって何だろう?」「自分らしさって何?」という話が自然体で出てきます。
「あなたが“がんばった”って思えるときってどんなとき?」
「“本気で取り組んだ”と思える経験ってありますか?」
「“がんばる”って、誰のため?何のため?」
「“本気”って、どんな気持ちや姿勢がある状態?」
徐々に、どのグループでもそんな話が飛び交い始めます。
こうした問いをみんなで持ち寄って話すだけでも、自分の中の言葉の解像度が上がっていくようです。
人によってこんなに捉え方が違うんだ!という発見も生まれ、終了時間となってもまだまだ話し足りないほど盛り上がりました。
各グループの代表に対話内容を発表してもらうと…大体こんな感じです。

その結果、総じて以下のような違いが露わになりました。
「がんばる」のは「無理してでも努力する、耐える、我慢する」というニュアンスで、視点の方向が自分の外側(評価・期待)にあるもの。
「本気」は「自分の内側から湧き出るエネルギーで向き合うもの」というニュアンスで、視点の方向が自分の内側(自分の意思・情熱)にあるもの。
この違いを対話の中で共有していくことで…
“がんばり屋さん”が報われる社会ではあるが…
“本気の人”が尊重される社会にはなっているのだろうか?
ということに目を向けてもらえたように思います。
なお、ファシリテーターを務める私としては「どちらが正しいか」という二項対立を明確にしたかったのではありません。
何より大事なのは…
「わが子にとって、部下にとって、あなた自身にとって“がんばる”ってどういうこと?」
「“本気”って、いつ・どんな時に感じる?」
というように、それぞれの言葉の意味を、自分の体験と照らして自らの言葉にしてもらうことでした。
このような対話機会を、職場・学校・家庭で設けることで、画一的な価値観から少しずつ抜け出す第一歩になるのではないかと考えられます。

本気だから続けられること
私がこの交流会の毎月のテーマ企画と、当日のファシリテーターを担うのはこの日が133回目でした。
つまりちょうど12年目に突入する日だったのですが…この日の企画内容について、主催者との事前の打ち合わせでも「あること」に気づきます。
20代~70代までの全世代が参加する日も少なくなく、リピーターや新規参加が絶えず、これだけ長く続けられる理由がどこにあるのか…。
この交流会は「次世代につながる価値づくりをテーマに、頭よりも心を動かして自分の持つ常識を疑う」というコンセプトで運営しています。
業種、経験、世代、地位、地域を超えた「ふらっと交流会」…多種多様な視点と視座の違いが入り混じる二時間ほどの対話交流です。
立ち上げ当初から企画運営者として掲げている運営コンセプトは以下の三つです。
心の鎧を脱いで自分を曝け出したくなる空気を漂わせる
問う力とプロセスの質を高めるだけで答えは散らかしっぱなしにしておく
人と比較する必要もなく誰からからの見返りや評価は求めない
この三つによって、どんな表現もイイんだという「心理的安全性を担保」をするのが私の役割です。
しかも、私自身がありがたい発育環境にあったことから、上記三点のコンセプトは私自身の生きざまそのものなので…何一つがんばっていないんです。
毎月血圧が上がるほどがんばっていたら、息切れしているでしょう。
がんばってはいないのですが、紛れもなくこれまでもこれからも「本気」のままなんですね。
自覚していませんでしたが、本気であることを今さら気づきました。
何事も本気で取り組んでいる時は、ラクなことは一切ありませんが、夢中になるほど楽しいので長く続くようです。

真面目の意味が誤解されない環境
「真面目」の意味が「ルールや規約を守る・人に従順になる」という誤解が生まれにくい環境設定
「真面目」の本当の意味が「ありのままの自分でいること・本気であること」ということが受け入れられる環境設定
これを実現するためには、どのような社会環境が必要でしょうか。
職場、学校、家庭のそれぞれの場での環境設定をグループ内で三つずつ挙げてみてください。
この日の交流会では、そこまで深掘りする時間がなかったため、これについては、ChatGPTで確認したところ、以下のようなレスポンスがありました。
「真面目」の意味が本来の「本気であること」「ありのままの自分でいること」として受け取られるには、「表面的な従順さを求める空気」から、「内面の誠実さや熱意が評価される空気」への環境づくりが必要です。
以下に、職場・学校・家庭それぞれでの環境設定の具体例を三つずつ挙げます。
🏢 職場における環境設定
「過程」を評価する文化をつくる
成果や効率だけでなく、何を大切にして取り組んだか、どんな思考で行動したかを振り返り、称える文化をつくる。正直な対話を促進する仕組み
立場に関係なく意見や違和感を伝え合える1on1やオープンな対話の時間を定例で持つ。「言った人が責められない」安心感が大切。マニュアル依存ではなく“意味”を問う姿勢
「なぜこのルールがあるのか」「この仕事の本質的な目的は何か」を常に問いながら進める。目的が理解できれば、自分なりの“本気”が宿りやすくなる。
🎒 学校における環境設定
「正解」を求めすぎない授業設計
話し合いや表現を通じて「自分なりの考え」を大切にする授業を増やす。「正しい答え」よりも「本気で考えたプロセス」に価値があると伝える。失敗を肯定する風土
挑戦や失敗をクラスでシェアする文化をつくり、「本気でやったからこそ失敗したんだ」と認め合える場をつくる。評価基準の多様化
学力だけでなく、探究心、他者へのまなざし、自分らしさの表現など、いろいろな“真面目さ”が評価される仕組みを入れる。

🏠 家庭における環境設定
親が“自分らしく本気で生きる姿”を見せる
子どもに「真面目にしなさい」というのではなく、自分が夢中になっていることや、考えを持って行動する姿を見せる。「頑張ったね」より「どうだった?」と問いかける
結果や評価より、本人の気持ちや体験に目を向けることで、“本気で向き合った”という価値を共有できる。「そのままのあなたでいいよ」というメッセージを伝える
人と比べず、親の理想像を押しつけず、子どもが「自分のままで尊重されている」と感じられる関係性を築く。
🔁 共通して言えるキーワード
対話・対話・対話/多様性の肯定/プロセスへのまなざし/「ありのままでいても大丈夫」と思える安心感…といったところでしょう。
このような環境が、誰かの顔色をうかがって「ちゃんとしなきゃ」ではなく「本気で向き合いたいからやる」という“真面目さ”を育むのだと思います。

「本気」と「愛」の共通点
最後に、これに触れて締めくくろうと思います。
先に「がんばる」と「本気」の違いについて述べました。総じて大きな違いの一つに次のことが挙げられます。
「がんばり」は「人からの見返りを期待するもの」
「本気」は「人からの見返りを期待しないもの」
この「人からの見返りを期待しない」という点では「愛」と同じという点に気づきました。
「愛」という漢字には心という字が真ん中に描かれているから「真心」
「恋」という漢字には下に心が描かれていることから「下心」
などと上手く表現する人がいますが…その上手い言い回しに乗っからせてもらうと、もしや「本気」というのは「真心」であるとも言えるのかもしれません。
ここで「がんばる」は「下心」であるというのは少し乱暴な気がしますので、それについては少し横に置いておいて…。
何かというと…
これまで「真面目」の意味を誤解したまま「周りの人に都合のいい人」と思い込んできた人は、本来の意味に修正してもらうためにも、周りの人のためばかりではなく、もう少し自分を愛してみても良いのではないでしょうか。
つまり「ご自愛ください」というアレです。
要するに「いつでも本気のオトナになれるためにご自愛ください」ということです。

会社のため、クラスのため、家族のため、わが子のため…
全てのことに自己犠牲的な域にもなりかねない献身的姿勢が沁み込みすぎてしまい、まず自分が幸せになることを蔑ろにしていることはありませんか。
嘘のない自分で、本気で自分らしさを活かして生きる者こそが「生活者」であると、あらゆる場所で提唱してきている者としては、そろそろ「真面目」の意味を誤解せずに、正しい認識で振る舞うオトナを殖やしたいと考えています。
そのために、京阪神エリアを中心に、私は「ありのままの自分で生きるセンスを磨くオトナ増殖活動」をすることをライフワークの一つに加えることを決意しています。
個の主体性と好奇心があらゆる価値づくりの土台となっている構造説明
子どもの主体性が育まれる土壌づくりをしている任意団体の活動背景
頭よりも心が動く生活者が中心となって「ありがとう」が循環する経済の実装化
この三つの題材を広めて、がんばり過ぎずに自分らしく本気で生きるオトナを殖やすこと、自分らしさを解放していくことに目覚めるオトナを増殖させて、本気のオトナの背中を次世代に示していきたいと社会活動の内容を組み立てているところです。
そして、その活動も私はがんばることはしないはずです。
本気でやるだけなので、自然体で長く続けることになりそうです。
Backstage,Inc.
事業文化デザイナー
河合 義徳
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参考コラム
「真面目以外にも言葉の意味を誤解してはいけないこと」
