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反発力さえあればうまくいく!

 目標設定の考え方の一つとして、ハイドリーム、ロードリームがあります。二つはセットで語られることが多いのですが、今思うと、必ずしもそうでなくても良いのでは、という記事になります。


ハイドリーム・ロードリームとは

 ハイドリームとは、「是非、こうありたい!」という最高にポジティブな未来、ロードリームとは、「こんな将来は嫌だ・・・」という最悪にネガティブな未来になります。

 目標設定への使い方を端的に書きますと、ロードリームから逃げたい!という反発力と、ハイドリームに近づきたい!という引力をダブルで利用して、設定した目標に向かう意志を強固にしていく方法論になります。

 この二つを使って、どう対話を展開していくかについては、他の方のnoteに丁寧な解説がありますので、リンクをお示しいたします。

個人の特性が出やすい

 私個人が感じるところとしては、上記のWillMap株式会社さんの記事にもありますが、ハイドリームの方が語りやすい方と、ロードリームの方が語りやすい方の二通りが、結構くっきりと出てくる、ということです。

 私個人としてはハイドリームが好きな方ですので、意図的に行っている対話であったとしても、相手に問いかけをしながらロードリームを語ってもらう場面を作ると、何とも居心地の悪い、人を騙しているような気がします。

 私がそんな感じですので、ハイドリームを活き活きと語っている人に、あえてロードリームを語ってもらおうとは思いません。その時間があったら、他の事に使いたいと思います。ですので、あえての使用場面としては、「ちょっと、この人の目指している方向性が分からないな」、というときに、ロードリームを語ってもらう、という形で使っているような気がします。

 定法で言えば、ロードリームを語ってもらった後に、ハイドリームを語ってもらい、「ロードリームから逃げたい(反発力)、かつ、ハイドリームに近づきたい(引力)」状態を作るのだと思います。

 しかし、どうも、人によってはハイドリームの想像がしっくりといかない場面が何度かあり、悩んでいました。まれに、「そんな、これまでに、嬉しい経験とかあまりないのに、どうやって理想の状況を描けるんですか」と食ってかかられ、なぜか私が悲しい思いをする、という迷子状態になったこともありました。

ハイドリームは必要なのか

 ロードリームの、「こんな状態にはなりたくない」だけではなく、ハイドリームの、「こうありたい」もセットで考える理由として、「脳は否定語を理解できない」という考え方が背景にあります。

 上の記事にもありますように、願望を否定形で表すことは、脳の働きの観点から効率の悪いことであり、「こうなりたくない」よりは「こうなりたい」と願う方が素直に目標に近づける、ということになります。

 他の視点から見ると、「こうなりたくない」だけでは、穴から遠ざかっているだけであり、どこかの目標値を目指して志向的に動いているわけではありません。穴から遠ざかりつつ、ぼんやりとどこかに向かっている先に、自分の望んでいる状態があるとは限らない、ということもあります。

改めて思うと、考え方が固かった?

 しかし、今となっては、「ハイドリームありき」の自分を少し反省し、「ロードリームがあるということだけでも素晴らしいこと」と考えを変えつつあります。

 その理由として、もしかすると、ロードリームを語っている人は、昨日までは、その発想さえもなかったのかもしれず、ロードリームからの反発力もなく、いわば無重力で漂っていたのかもしれません。

 ロードリームを持てたということは、少なくとも、予見できる不幸せからは効率よく回避ができている状態であり、決して、悪い状態ではないのではないか。むしろ、自分自身の価値観をしっかりと持てている状態にも思えてきました。

まとめ

 目標設定の考え方の一つであるハイドリーム・ロードリームを取り上げながら、ロードリームだけしか描けずに反発力のみを有する状況って、どうなんだろう、という観点から考えてみました。

 ロードリームだけでは物足りなさを感じている自分がいましたが、そこを考えられているだけでも素晴らしい、と考えを変えてみると、無理にハイドリームを引き出すエネルギーを、他の事に使えそうな気もしています。

 「こんな将来はいやだ、というイメージが鮮明に出てきてよかった」、と思えることで、いつしか、ハイドリームを知らず知らずのうちに見つけるための、効率の良い準備運動にもなるのかもしれません。

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