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対話の期待値を上げすぎないで!

 人とコミュニケーションをするたびに、一喜一憂をしてしまう。そんなとき、自分の「がっかり感」の大本を振り返ると気づきがありそうです。


「がっかり」するのはなぜ?

 日常のコミュニケーションの中で、「がっかり」してしまうのは、なぜでしょうか。自分の側から見て、会話の質が期待値に届かなかった。もっと良いコミュニケーションが取れると思っていたのに。という話になると思います。

 一方で、相手側から見ると、どうなるでしょうか。自分があからさまに「がっかり」感を示したとしたら、相手には伝わってしまっているかもしれません。そうであれば、相手もがっかりしたり、悪いことをしたなあ、とすら思ってしまっているかもしれません。

 自分は「良いコミュニケーション」を期待していた。そこで、自分側の何らかの要因で(例:相手の話がつまらなかった、話が通じなかった)、自分は「がっかり」してしまった。

 この状態で、会話を始めたときに欲しかったものは、果たして手に入ったでしょうか。

この驚くべき状況が日常にあふれています

 「こういった良い関係性、良い状況があるべき」と過剰な期待を抱けば抱くほど、対話へのハードルが上がり、それが達せられない確率は高くなってしまう。こんな当たり前のことが、気づかれることもなく、身の回りにあふれています。

 例を挙げてみましょう。自分としては、相手に響く話をしたつもりなのに、相手の反応がイマイチ。そんな簡単なことで、自分の自信は揺らぎ始め、イライラし始め、「なんで、この話が通じないんだろう」と相手に責任をすら求め始めます。

 すべての起点は、自分自身が相手に対して必要以上に抱いてしまった期待値。感じている悪感情は、相手の至らなさに責任があるわけではなく、自分自身の思い込みから来てしまっています。

相手の理解に意識を向ける

 まずは、相手の理解に意識を向けてみます。対話を始めるときに、自分はワクワクしていたかもしれない。でも、相手はどうなんだろう。どういった事を、どのレベル感で期待しているんだろう、と想像をしてみます。

 この対話に何かを期待しているのは自分だけかもしれない。相手の期待値は、自分よりはずっと低いのかもしれない。逆の状況もあるかもしれません。自分は相手との対話に、ほとんど、何も期待していない。でも、相手は、何かをがっつり期待しているのではないか。

 そういった形で、相手の期待値を知ることで、対話の最後に勝手に、お互いが「がっかり」してしまうことを防げそうです。

前向きな取り組みは否定しない

 反することを言うようですが、自分自身の期待値、もしくは、相手の期待値に寄り添って、対話を良いものにしようと前向きな取り組みをすることは否定されるべきではありません。

 ただ、その努力によって、「この期待は満たされるべき」と考えた時点で、対話に流れる空気は重くなってしまう。「期待値は期待値」、そう冷静に考えることで、自然とリラックスした空気が流れてきます。

 期待値を満たそうと、あれこれ工夫をすること自体は、素晴らしいことです。ただ、その努力が実るかどうかは、分からない。相手の期待値も、その人の気分によって上がり下がりしているかもしれない。そんな事に、自分の気分が左右される必要はありません。

まとめ

 「あの人とのコミュニケーションにはがっかりした」そういった場合、自分の意識や期待値だけに目が向いていて、相手には向いていない可能性が高いのかもしれません。

 「期待値」をキーワードとして、自分だけではなく、相手にも意識を向けて、理解しようとすると、自然と二人の方向性も揃ってくるのかもしれません。

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