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『湘南14首長インタビューシリーズ』前編を終えて——なぜ僕は「まちで一番えらい人」に会いに行ったのか

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2025年、鎌倉市長を皮切りに、逗子市長、葉山町長、平塚市長、藤沢市長、寒川町長、横須賀市長、そして神奈川県知事に会い、インタビューを重ねてきた。

その動機と原点を、年の終わりにあらためて見つめ直してみたい。

はじめに|2025年の終わりを前に

12月29日。
2025年も、もうすぐ終わる。

今年1年を振り返ると、Googleカレンダーのかなりの枠を、「市長」「町長」「知事」といった肩書きが埋めていることに気づく。

湘南の「まちの顔」たちに順番に会いにいき、話を聞き、写真を撮り、原稿にしていく——そんな連続企画を、今年の僕は一人で回してきた。

湘南エリアを地盤とするWebメディアに、フリーのライターである僕が持ち込んだ企画だ。

湘南14首長インタビューシリーズ。

僕はそう、この企画を呼んだ。

そのメディアは、湘南エリアを14のまちと定義していた。
相模湾沿岸部を東から西へ、ぐるりと——三浦市、横須賀市、葉山町、逗子市、鎌倉市、藤沢市、茅ヶ崎市、寒川町、平塚市、二宮町、大磯町、小田原市、真鶴町、湯河原町。

その14のまちのトップ全員から、ロングインタビューをとる。

十数年ぶりに復帰した、無名の兼業ライターがやる企画としては、無茶だったと思う。
担当編集者がどうとらえたのかはわからないが、企画はすんなり通った。

なぜこの企画を始めたのか。
何を見てきて、何が見えてきたのか。
ここからどこへ向かうのか。

それを、年末の今、一度テーブルの上に並べておきたいと思う。

『神奈川県知事にインタビュー - 神奈川県知事 黒岩祐治の現在地』より

ちょうど、鹿児島のこの港町に帰郷しているところだ。

※本記事の写真は、Webメディア『湘南人』に掲載した『湘南14首長インタビューシリーズ』各記事の画面キャプチャを使用している。
※撮影はすべて川原リウ、著作権は版元である『湘南人』編集部に帰属する。


#1│2025年の終わりに、一度立ち止まる

繰り返しになるが、この1年で、7人の首長と1人の知事に会いにいった。

鎌倉市長 松尾崇。
逗子市長 桐ケ谷さとる。
葉山町長 山梨崇仁。
平塚市長 落合克宏。
藤沢市長 鈴木恒夫。
寒川町長 木村俊雄。
横須賀市長 上地克明。
神奈川県知事 黒岩祐治。

各自治体の庁舎内にある応接室で話を聞き、花火大会の本部や絵本作家かこさとし展の会場、七夕祭りのパレードのただ中など、そのまちらしさを表す場所で写真を撮ってきた。

『平塚市長にインタビュー -平塚市長 落合かつひろの現在地』より

やっていることだけを並べればシンプルだ。

首長と会い、聞きたいことを聞く。別日に、公務に同行してスナップやポートレートを撮る。

けれど、ここまで一人の人間が、同じエリアの首長を横断的に取材していくことは、大手報道機関でも、ローカルメディアでも、あまりやらないはずだ。まして、個人のライターがそれをやることは、ほぼ前例がないだろう。

なぜ、わざわざそれをやったのか。

そこには、はっきりした狙いがあった。
ただしそれは、「偉い人が好きだから」だからでも、「権力に近づきたいから」でもない。

もっと手触り感のある、個人的な事情から来ている。

#2│これは僕自身の「地図づくり」でもある

この企画を一言で言えば、湘南エリアの「地図」を描き直す試みだと思っている。

観光パンフレットに載る湘南のイメージ——海、江の島、パフェ、大仏、夕焼けとサーフボード。そうした絵は、もう嫌というほど世の中にあふれている。

一方で、その土地の意思決定を担っている人たちの輪郭はどうか。
この10年、20年をどう見ていて、何を優先し、どこで迷い、まちの強みを、弱みをどうとらえているのか。

その情報は、市井では意外なほど知られていない。

『藤沢市長にインタビュー -藤沢市長 鈴木恒夫の現在地』より

「湘南」という観光・レジャーのイメージではなく、「住宅のまち」としての湘南、「地方」としての湘南。そうとらえ直したときに見えてくるのは、日本各地の地方が直面している課題でもある。

僕はフリーのライターであり、カメラマンだ。
言葉と写真で、湘南の意思決定の輪郭を押さえておくことは、自分がこのエリアで仕事をしていくうえでの基本地図になると思った。

それは同時に、僕の出身地を含め、日本各地の地方がこれからどこへ向かうのかを考えるための、ちいさな試し書きの地図にもなる。

もちろん、仕事としての実務的な欲もある。

誰がどんな思想や価値観でまちを動かしているのか。それを一次情報として記録し、公開記事として残しておきたい。

ただ、その手前にもう一つ、ひそかな動機がある。

#3│「まちで一番えらい人」に会いにいくということ

市長や町長は、そのまちで一番えらい人だ。

フリーで取材を始めるとき、誰に話を聞きにいくかによって、その後見えてくる世界は大きく変わる。

人気のカフェの店主から始める。
ボランティア団体のリーダーから始める。
市役所の担当者から始める。

どれも正解だと思う。
自らの興味の先から行けばいい。

『横須賀市長にインタビュー - 横須賀市長 上地克明の現在地』より

僕は、20代ぶりにライターへ本格復帰したとき、「まちで一番えらい人」から行くことに決めた。

ひとつは、行政トップときちんと話をしておくと、「行政がそのまちをどう見ているか」という基準線が見えることだ。

その線を知った上で、市民や事業者、NPOの声を聞きにいくと、同じ言葉でも立体感が変わる。

もうひとつは、フリーランスとしての実利的な理由だ。

自治体に首長インタビューを受諾してもらえるということは、「この人間となら会って話してもいい」と行政側が判断したということでもある。

それは、ライターに復帰したばかりの、無名の、どこの馬の骨とも知れない人間にとって、名刺以上の意味を持つことがある。

ただ、「最初から一番えらい人のところへ行く」と決めた背景には、もう少し根の深い原体験がある。

それは、僕の地元のまち、鹿児島県阿久根市でかつて起きたことだ。

『葉山町長にインタビュー -葉山町長 山梨たかひとの現在地』より

#4│ふるさとの「分断」をYahoo!ニュース越しに見ていた

阿久根は、かつて港町として栄えたちいさなまちだ。

僕が上京した頃からすでに、漁業の不振やシャッター商店街、急速な過疎化といった問題を抱えていたが、それでも生活は「なんとか回っている」ように見えていた。

空気が一変したのは、当時「ブログ市長」と呼ばれたある首長の登場以降だ。

2008年、阿久根市では「改革」を掲げる一人の候補が市長に当選し、その後、全国ニュースの常連になった。

ブログで職員や議会を激しく批判し、市のウェブサイトには全職員の給与明細一覧を公開する。

議会を開かずに専決処分を連発し、県から是正勧告を受ける。

テレビのワイドショーやネットニュースでは、

「公務員の給料を晒したブログ市長」

といった煽り文句とともに、地元の賛否が連日切り取られていた。

市役所の前で右翼団体の拡声器の声が響き、まちの誰かがまちの誰かを「敵」と呼び始める。

『寒川町長にインタビュー - 寒川町長 木村俊雄の現在地』より

地元のまちの名がニュースで流れるたびに、胸の奥がざわついた。

阿久根の人たちは、決して炎上ショーを見たくて票を入れたわけではない。
行き場のない閉塞感のなかで、「誰かが強く何かを変えてくれるかもしれない」という期待が、あの選挙を生んだはずだ。

しかし、結果としてまちは深く分断され、「地方自治」という言葉は、僕にとってかなり重たい響きを持つものになった。

阿久根の一件は、「地方自治は、もう他人ごとではない」という実感を僕に突きつけた最初の出来事になった。

#5│渋谷のスクランブル交差点から人が消えた日

時間を少し飛ばして、コロナ禍の渋谷に移る。

当時の僕は、宮下公園(その頃はまだ「宮下パーク」は建設中だった)の向かいにある、渋谷キャストの最上階に住んでいた。

スクランブル交差点は「世界の交差点」などと呼ばれ、人の流れが絶えることはない場所のはずだった。

その交差点から、人が消えた。

大雪の日の渋谷キャスト

同じマンションには、場所柄、「自治体と組んで面白いプロジェクトをやっています」といった顔をした、ベンチャー企業の若手経営者がたくさん住んでいた。彼らはコロナ禍が長引く中で、一人、また一人と地方へ移住し、13Fのコモンスペースから消えていった。横浜や神戸のような地方都市ではなく、静岡、沖縄、宮崎の農地といった“ガチ”の地方へ。

2019年、渋谷キャストの13F・コモンスペースで開かれた住民クリスマスパーティ

マスク不足が社会課題になり、やがて不安はマスクだけでなく、食料品や日用品の買いだめにまで広がった。コンビニの棚からは物が消え、ウイスキーなど強い酒だけが取り残されていた。

人も、物もなくなった渋谷で、はっきり突きつけられた。

このまちの豊かさを支えていたのは、トラックを走らせていた物流だったのだと。

「shift」メンバーの料理研究家がパーティ料理を手掛けた

物流が途絶えた渋谷は、砂漠同然だ。

住む価値も、行く価値も、一気に揺らいだ。

若手経営者たちは、去るもっと前から、口を開けば「サステナ」「シェアリング」といった言葉を、うわ言のように繰り返していた。SDGs以降の、令和の「意識高い系」の流行語。

ものづくりの現場も、畑も、海もない都心に、「サステナビリティ」など本当にあるのか。

“ガチ”の地方へ去っていった彼らの後ろ姿は、その無言の問いを残していた。

2022年の4月だったか、5月だったか。

人影のない、静まり返った渋谷に、季節外れの牡丹雪が降った。

春のはずなのに、空を埋め尽くす雪片は、世界を燃やし尽くしたあとの灰が舞っているようで、ただただ不気味だった。

渋谷キャスト15階の窓から、その真っ白な景色を眺めながら、地方への移住を決めた。

コロナ禍中、コモンスペースで開催された農家支援イベント

#6│更地になった地方で、何を積み上げるか

地元のまちに話を戻す。

「ブログ市長」騒動から十数年が経ち、シャッター街はさらに老朽化し、やがて取り壊され、その跡地には“なにもない空間”だけが残る。

ぱっと見は、より寂しくなったようにも見える。

けれど僕には、それが一巡して、リセットされた状態にも見えた。

つまり、どの方向にも行ける状態になった、ということだ。

問題は、そこにどんな思想で「次の一手」を打つかだ。

全国どこにでもある空き家バンクやシティプロモーション、どこかで見たような移住・観光パンフレットを並べるだけでは、自治体同士が移住者や観光客を奪い合う消耗戦にしかならない。

『鎌倉市長にインタビュー -鎌倉市長 松尾崇の現在地』より

昭和のように都会を基準にしている限り、地方はただ「都会にある当たり前のものが足りない場所」でしかなくなる。マクドナルドや大学、量販店、総合病院といった“足りないものリスト”を、永遠に埋め続ける構図から抜け出せない。

湘南エリアで首長インタビューを続けているのは、この「更地になった地方」がどこへ向かい得るのか、その可能性の一端を、まちを動かしている人たちの言葉から確かめたかったからだ。

まちのトップは、まちの強みと弱みをどう見ているのか。
何を守り、何を変えようとしているのか。
住民の声と、自分の判断のあいだでどう折り合いをつけているのか。

それを一人ずつ聞いていくと、同じ「湘南」というラベルが貼られていても、中身はまったく違うまちが見えてくる。

その地図を描きたくて、僕は「まちで一番えらい人」に会い続けている。


おわりに|これはまだ途中経過だ

このnoteは、なぜここに立っているのかを、年の終わりに確認しておくためのメモだ。

地元のまちで起きた分断の景色と、渋谷で経験した空白の時間。

そのあいだに横たわっているのは、「この先世界はどう進むのか」「どんな価値観を選ぶのか」という、ずっと考え続けている問いだ。

その延長線上に、「湘南14首長インタビューシリーズ」という企画がある。

『逗子市長にインタビュー -逗子市長 桐ケ谷さとるの現在地』より

7人の首長から聞いた言葉は、まだ途中経過にすぎない。
これから数年かけて、実際のまちの変化とどう重なっていくのか、どこでズレていくのか、その答え合わせをするためのマーカーとして、この文章を残しておきたい。

来年のGoogleカレンダーをまた「市長」「町長」「知事」でぎゅうぎゅうにするのかどうかは、まだわからない。

前半戦が終わり、神奈川県知事という前後半をつなぐブリッジ回を経たところだが、県西部は町ばかりだ。

首長インタビューを読むのは、その自治体の市民か町民が中心になる。母数が限られていれば、閲覧数(PV)は伸びにくい。Webメディアの生命線であるSEOにも悪影響を及ぼす。

編集部が、フリーの一ライターのこんな無茶な企画をいつまで許してくれるのか。それも正直わからない。

けれど、もし来年も続けられるなら、少なくとも今の僕は、「まちで一番えらい人」に会いに行き、その言葉を記録し続けるほうを選びたいと思っている。

年末の港町の風は冷たいが、日も照っている。

この先も、この風の吹く方向を確かめながら、「地図」を描き足していくつもりだ。


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🐶この記事を書いた人:
湘南エリアの首長やまちづくりを取材しているライター/フォトグラファーの川原リウです。
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