がしらの記憶
「がしら」は、完全に僕の手から離れてしまっているように感じていました。
AIに頼りすぎた結果、どこか中身が空っぽになってしまったような感覚。
だから一度、自分の言葉で「僕」と「がしら」を繋ぎ直してみようと思います。
「観測者」の起源
僕の曲に繰り返し登場する「観測者」というテーマ。
その起源は、僕自身のプロジェクト「mob sup jodo」の『Servare』という曲にあります。この曲は、元々あった『Mendacium』という曲からAIを介して再構築されたもので、歌詞もその時にGeminiと一緒に作った記憶があります。
この『Servare』の歌詞と世界観が、自分でも驚くほどしっくりきたんです。そこから「観測者」というネタが僕の表現の核になっていきました。
「がしら」という名前の由来
「がしら」という名前に、実は深い意味があったわけではありません。「Andlele」という枠から一度飛び出して、自由になりたかった。だから名前は何でもよかったんです。
ただ、ふと思い出したのが、昔飼っていた「カサゴ」のことでした。関西では「ガシラ」と呼ぶ魚です。
ちょうど僕が大学時代に体調を崩していた時期、そのガシラも死んでしまいました。
手からエサを食べるような、人懐っこい可愛い奴だったんですけどね。単にエサが欲しかっただけかもしれませんが。
「思い出」から「記録」へ
Andleleの曲に『思い出』という曲があります。
改めて「自分の思い出」について考えてみたけれど、正直、あまり良い記憶はありません。これまでの人生、散々なことばかりでしたから。
「観測者」や「記録」というワードは、そんな僕の過去から生まれました。
大学は理数系でしたが、科学者のように何かを「証明」したかったわけじゃない。人間不信に陥るような違和感の中で、病を抱え、休学して農業を始めたりもしました。
「証明」は誰かに認めさせるためのものですが、「記録」はただそこに在るもの。
「ただ見ているだけでいい」というスタンスは、どこか気楽で、今の僕にはちょうどいい救いになっています。
