沈丁花の香る時|掌編小説《百人百色》
ーここではない、どこか遠くへ。
確かに、そう思っていた。
だけど、本当にどこかに遠くにいくつもりなんてなくて。ただ、ブラつきたかっただけで。ついでにコンビニでアイスでも買おうかな、なんて。
いつもの近道で神社の横の路地を通り抜けると、まったく見覚えのない場所に出た。
広い庭園には池があり、小さな橋が架けられている。その向こうには大きな屋敷があった。格式めいた平屋はどこまでも横に広がり、神社のような清廉された佇まいを感じる。
「そこの者、こちらへ」
凛とした声が闇に響いてドキリとする。見ると、屋敷の中から着物を着た女性が手招きしていた。深夜、見知らぬ場所、着物の女性。薄気味悪さも感じるが、なぜかどこか会った事のあるような気がして、私はふらりと声の方に歩を進めた。道先の沈丁花が優しい香りで出迎える。
「して、そなたはどちらから参った?」
薄暗い灯りの下、広い和室の御簾の中に通される。女性は、上品そうな仕立ての良い着物で、その後ろにはモスグリーンとピンクの美しい上着が掛けてある。そして、床まで届く美しい髪。
なんていうんだっけ、こういうの..
いかにも平安時代のような..
あっ、十二単ってやつ?
そういう趣味のひとなのかな..
「あ、えっと、勝手に入ってすみません。近所に住んでるはずなんですが、迷子になっちゃったみたいで…」
「良い、たまにそなたのように迷う者がおる。おそらく何か惑う心、もしくは哀しい心があるのだろう。申してみよ」
といって、目の前に湯気の立つお茶を出してくれた。
一口飲むと、それはまろやかに喉を通り、ほのかな甘みがすとんと胃に落ちる。何かの花のようなこの香りは、いったい何だろう。
「あ…えっと実は、今日つきあってた人にフラれちゃいまして。しかも向こうは浮気してて、それが私の友達で。なんか、いつのまにか私がその子に意地悪してた、って話になってて。そしたら、ほかの友達もみんな、私が悪い、ってことになって..。ほんともう、なさけな…」
それ以上は、勝手に涙がボロボロ落ちてきて、言葉にできなかった。
言うつもりなんて、なかった。
でも、お茶を飲んだらするっと口から出てきたのだ。
彼女は何も言わず筆を取り、和紙に何かを書いている。その優雅な姿を私はぼやけた視界でじっと見つめていた。
「いつの世も、そんな輩ばかりじゃな。みな欲を満たす事しか考えておらぬ。本質を超えることなどできぬのに。そんな奴らと共にある必要はないであろう。人を好きになるとは、己を知ること。そなたが欲してるものはもう、その胸の中にある」
といいながら、書いた紙を私に渡す。
恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ
達筆過ぎて読めないのに、なぜか意味はわかる。
そしてその紙から、お茶と同じような香りがした。
「そなたのこころは、そこにしかと写し込めた。いかようにでもせよ。あと、これはお守りじゃ」
手渡された小袋からは、やはり同じ香りがする。
そして微かに混ざるこの独特な香りは..
「それは梅花といって、心を沈めるお香じゃ。さらに伽羅の香木を混ぜて邪気払いも込めてある。そなたのような時を渡る者には、それを渡すことにしているのだ」
「時を、わたる?」
「さよう、我の血縁に時たま在る。ふむ、そろそろ丑三つ時を過ぎるな。今帰らないと元の世界に帰れなくなるやもしれぬ」
帰れないかもしれないと言われ、
私はあわてて立ち上がった。
どこか遠くへ、とさっきまでは思っていた。
だが今となっては、固執していたのはむしろ私の方ではないだろうか。彼に喜ばたいがために自分を抑え、友達に合わせることばかり考えていたあの頃、そこに『私』はいなかった。
ずっと押さえていたもの。
本当は、もともと持っていたもの。
糸を手繰り解けるように、
わたしの胸の中が温かくなって広がる。
不思議な香りが頭をスッキリとさせてくれたかのようだ。今なら、わかる。あの世界で、私がどう生きればいいのかを。
「ありがとう。あなたの香りのおかげだわ」
彼女はほんのり微笑んだ。
「これは、晴明どのより賜った手法で作られておる。我のこの世での役割を果たしたまでじゃ。さあ、来た道を戻るがよかろう。そなたの幸運を祈る」
私は彼女の深々としたお辞儀に同じように返すと、朧げに光を帯びた沈丁花の示す道をひたすら走った。
家に帰り、和歌の意味を調べていると、この歌はどうやら百人一首の歌らしいことに気づいた。詠み人は、『相模』とある。きっとあの女性の名前だろう。
手に残された匂い袋が、
あれは夢ではなかったことを教えてくれる。
あれから私は香りに興味を持ち、大学に通いながら調香師のいるアロマショップでバイトをしている。香りが心を動かすことができるというのなら、私はその人だけの唯一の香りを作ってみたい。
相模が誇りを持って自分の役目を果たしていたように、私だけが作れるなにかを、彼女にも誇れるものを、この世界で手に入れたいから。

やっと創作の調子が出てきたからと
私はいったい何個書くのだと…
よろしくお願いしまーす( *´ω`)っ
↓ほんのり解説。
この和歌の意味は、
恨んで恨む気力もなくなり、泣き続けて涙を乾かすひまもない着物の袖さえ(朽ちてぼろぼろになるのが)惜しいのに、さらにこの恋のおかげで悪い噂を立てられ、朽ちていくだろう私の評判が惜しいのです。
和歌の作者である相模は、源頼光の養女。頼光は酒呑童子を倒した事で名高い武将で、安倍晴明とも協力関係にあったらしく。さらに相模の母は、晴明の師匠である賀茂保憲の血筋。あと清少納言と並ぶ才女。
ってことで、少し不思議な力に呼ばれてタイムスリップする展開にしてみました。口調は、時代に差があること表しただけで、平安時代の言葉遣いではありません。実際は今と違いすぎて会話にならないそう。
また香りネタになってしまいましたが、平安時代には香りは大事な嗜みだった、という点から持ってきてます。
ちなみに沈丁花は春を告げる香木で、優しい香りにリラックス効果があります。有毒性のため沈丁花自体から精油は作れないそう。なんとなく言葉から香りがしてきそうな気がして添えてみました。( • ̀ω•́ )✧

※追記
AIアプリにてキャラ作成、素材を使ってデジタルコラージュした、本物語をイメージしたイラストです。

