【エッセイ】思い出の曲 - 不便な時代に、全力で追いかけたもの
今より少しだけ不便な時代に、私はその曲たちと出会いました。
今ならスマホをタップすれば、街で流れた曲の素性が秒でわかります。
ですが当時は違いました。深夜のリビングで、勉強中にラジオのスピーカーから突如、流れてきた異国の爆音に、私の心は一瞬にして奪われます。
なのにアーティスト名も、曲名もわかりません。
耳に残ったのは焦燥感に満ちたメロディと、かきむしるような英語と、キャッチーなメロディだけでした。翌日から、私の泥臭い宝探しが始まります。
手がかりは私の記憶だけ!
学校の友達や、バイト先の先輩を捕まえては、Do you have the time〜♪と、ここしか歌詞がわからないので、あとはおぼつかない鼻歌を必死に繰り出します。ハミングと勢いだけで再現する私の姿は、端から見れば滑稽だったことでしょう。
必死でした。あの夜の衝動の正体を、どうしても突き止めたくて……タワレコ巡りの旅路の果てに、TSUTAYAの棚に辿り着きます。
私の思い出の曲その1は、グリーン・デイのバスケットケースです。
この青い衝動が呼び水となり、私の周りには不思議と同じ熱量を持った、気の合う仲間が集まります。音楽を語り合い、ライブへ参戦し、熱を帯びた日々の中で、私の渇望はさらに加速していきました。
沢山の、皆からオススメされたりCD-romに焼いてもらった曲を聴き漁り、新たな衝撃に出会います。私の思い出の曲というか最早アルバムは、リンキン・パークのHybrid Theoryです。
チェスターの魂を削り取るような叫びに、マイクシノダのカッコいいラップ。グリーン・デイの陽気な疾走感とはまた違う、重く、鋭く、それでいて悲痛な怒りのようなサウンドに、私の心は完全にノックアウトされました。
迷わずアルバムを購入しました。
タワレコの黄色い袋を大事に抱えて、部屋へ帰ります。
ですがここで、致命的な問題が発覚します。
母から「煩い!」とコンポ禁止令が出されたのです。
私には爆音を鳴らすための、(当時)ウォークマンがありません。
速攻で買いました、オーディオテクニカのゴツいヘッドホンとセットでね◎
あの頃、鼻歌をきっかけに出会った友人たちとは、文字通り寝食を忘れて音楽にのめり込み、語り合いました。
そして私たちは、ある伝説の終わりに立ち会うことになります。
2003年10月11日。
THE MICHELLE GUN ELEPHANTの解散ラストライブ@幕張メッセです。
数万人のロックキッズたちが放つ狂気の熱気と、地鳴りのような爆音……モッシュに揉まれて汗だくになりながら、チバさんの、アベさんの、鳴らす音を必死に、身体に刻みつけていたように思います。
轟音のなか、ふいにあのイントロが流れました。
私の思い出の曲その2、武蔵野エレジーです。
チバさんが歌う切なくも胸を締めつけるメロディが、会場全体を包み込んだ時、私の目からは涙が溢れて止まらなくなりました。
寂しいのか、悲しいのか、それともこの空間にいられた幸せからか? わからない感情がぐちゃぐちゃに混ざり合って、ただただ大号泣していました。
物販で買ったばかりの骸骨のタオルは、私の汗と涙とで、重たく湿っていきます。
ミッシェルは解散しても、それぞれの音楽は続いていく。
これから社会人になれば、リンキンだって会いに行ける。
当時の私はどこかそんな未来を、無邪気に信じていました。
(少なくとも、使えるお金は増えるぞ)と。
今思えば何の保証もない、若さゆえに許された、楽観だったのだと思います。だけど人生は、いつも思い通りにいくわけではありません。
いつでも会いに行けると思っていたチェスターは、2017年の夏に旅立ってしまいました。こちらもラジオで知りました。
生きているうちに彼の生の叫びを浴びることは、もう永遠に叶いません。
そしてチバさんの訃報が、日本中を駆け巡ったあの冬の日です。私は言葉を失い、静まり返った部屋でそっと、武蔵野エレジーを再生しました。
涙が溢れて仕方がなかったです。そんな涙を拭ったのは2003年の幕張メッセで、汗と涙まみれになりながらも握りしめていた、あの物販タオルでした。
今も私の手元にあります、黒いタオルです。
便利な世の中になりました。スマホを数回タップすれば、どんな世界の爆音だって、秒で耳元に届きます。
だけどあの不便な深夜のリビングで、ラジオから流れたグリーン・デイに撃ち抜かれた日。
おぼつかない鼻歌で同志を見つけ、タワレコでリンキンを買い、幕張の地鳴りの中で大号泣した日。
チェスターもチバさんも、もうこの世界にはいないけど……あの不便な時代に全力で追いかけた音楽は、今も私の血肉となり鳴り響いています。
