ドラッグストア アルバイト編 完
5/20(水)をもって、10ヵ月勤めたアルバイト先である、
ドラッグストアを退職したので、
10ヵ月の学びをここにまとめたい。
学び①:接客適性の無さ
学生の時に計3年ほど接客業をしていた。
当時、特別苦手意識も無く、お客さんとも仲良くやれたので、
今回も同じく接客業で仕事を探した。
しかし、実際にやってみると自身の接客適性の無さに驚いた。
ブランクと適応障害の症状が残っていることも原因の一つではあるだろう。
しかしだ…
それを差し置いても、自身の向いて無さを痛感した。
お客様がみんなゴミくずに思えるのだ。
ポイントカードを出すことがわかっているのに、並ぶ前に用意しない高齢者
後続に長蛇の列があっても、小銭でピッタリ賞を狙う高齢者
食料品のレジで自身の毎ルールを押し付けてくる主婦
高齢者で足の不自由な人が使用する電動カーに乗りながら、そのまま店内に入ってきては、操作を誤り棚に激突し、商品をぶちまける高齢者
床は泥だらけ、おまけに籠に入っている掃き溜めのような汁物も同時にぶちまける始末
なんだ、ここは…
この世のクソ人間を全員集めて、
バトルロワイアルで最強を決めているのか…
よそでやってくれよ…
よくも、まぁ、これほどの人材を集めたものだ、
と感心したこと数知れず。
後半の期間は怒りを通り越して、
呆れの境地に達していた。
この人たちの相手するの無理だな…
接客業向いてないわ…
学び②:企業の経営方針は確認要
お客様がクソなのはわかった。
それは、どうしようもない。
それとは別に、一緒に働いている人および企業の方針にも学びがあった。
一緒に働いている人たちは、みな良い人であった。
あくまで私の判断基準によるものだが、恐らく10人いれば7人は良い人であると判断するくらいには自信がある。
社員もアルバイトも良い人。
しかし、本社がダメだ。
全国チェーンのドラッグストアであるがゆえ、
あくまで店長に決定権はほとんどない。
一般企業で言うと、現場主任、あるいは課長レベルだろう。
基本的には本社から来た通達を粛々と体現するのが仕事だ。
そして、この本社の通達がクソであった。
どこの会社でも良く聞く話だが、本社の上層部の方々は現場を知らない。
どれだけの作業量で、どれだけお客さんの相手をする時間があり、それを何人で回さなければいけないのか。
そんなことは、全く考慮されていない。
当日の欠員が出ても知ったことか。
現場で何とかしろ。
この日にこれだけの仕事は絶対厳守。
加えて、ストーカーのように監視カメラの映像を確認し、
誰々の接客がいまいち、店長指導せよ、
というような突発的案件も発生する。
他にも企業として働くための細かいルールがたくさんあり、
店員を激しく束縛している。まるでメンヘラ彼女のようである。
つまり、結論、働きづらい企業なのだ。
マニュアルが整備されているのは、良いことだ。
しかし、人間なのだから、いついかなる時でもそれを実行出来るとは限らない。
その限らない状況で実行しようとすると綻びが出る。
つまりそれが退職者だ。
自分が入って数か月で店長が辞めた。
その後、新しい店長が入ってきた。
その店長の口癖は「もう辞めたい」だ。
新店長が入って数か月後に、
数十年勤めたベテラン選手である女性が退職した。
どうも店長と方針で揉めたらしい。
この方は、ひねくれ者の私から見ても大変丁寧な接客をする方であった。
しかし、本社の上層部的にはそれがよろしくないらしい。
お客様とコミュニケーションを取りすぎていて、販促やPOPなどの設営がノルマに全く達していないらしい。
知らない価値観だ。
接客業はお客様第一ではないのか。
お客様が気持ちよく買い物出来るために、
店員は全力を注ぐものではないのか。
…客をゴミくず扱いしていた自分が言うのもなんだが…
次にアルバイトが数人辞めた。
そして、その後、私が辞めた。
辞める挨拶をした時に、驚いたことがあるのでそれも追記。
挨拶をした社員さんの一人が、
私も来月で辞めます、
と言ったのだ。
この人は素晴らしく仕事が出来た。
アルバイトやお客様への気遣いも完璧。
(私が仕事の方法を忘れて一度尋ねた時も、
「すみません、同じことを聞いてしまって」と平謝りする私に対して、
「いえいえ、何度でも聞いて下さい!!」と嫌みの無い笑顔で対応してくれた。)
私と違い、お客様をゴミくず扱いせず、平等に笑顔で接していた。
なんと人間の出来た、素晴らしい人格者だろうと密かに尊敬していた。
いずれは店長になるだろうと。
しかし、そんな方ですら恐らくは内に不満を貯めていたのだろう。
「私も辞めます」と言われたときの笑顔は、
圧が強くてなんだか怖かった。
大手チェーンで働くことは、
環境が整備されている印象があり、働きやすいイメージがあった。
しかし、上層部の言うことは絶対という方針は他の企業と変わらず、
むしろ窮屈で自由を奪っているように感じた。
今後の選考基準の一つに「大手チェーン」か「個人経営」かという項目を付け加えようと思った。
学び③:自身の当たり前を相手に求めると苦しい
接客業をしていて、当たり前のことを思い出した。
自身の当たり前は、他者にとっての当たり前ではないということ。
そもそも、「当たり前」と言う言葉自体が不確かだ。
私が買い物をするときの当たり前はこうだ。
レジに並ぶ前にポイントカードおよびクーポン券を用意し、
自分の番になったら、袋の有無を伝える。
会計は電子でなるはやで済ませ、レジを速やかに離れる。
他のお客さんおよび店員さんへ配慮した動きだ。
しかし、これは私が接客業経験者であるから、出来ることであるのだと思った。
私がこんなことは当然だ、と思うことを
お客様のほとんどは出来なかった。
割合で言うと10人に1人出来るかどうか。
携帯で大声で話しながら、店員の受け答えには全く応じない猛者もいた。
当初、私は憤った。
こんなことも出来ないのかと。
しかし、自身の当たり前は、
世間的には高い部類にあるものかもしれない。
逆に他者の当たり前をこなすことが、
私には難しい場面も多々ある。
他者と接するときに、
こんな当たり前のことがどうして出来ないのか、
と思いながら対応すると、
怒りと憤り、不満でいっぱいになってしまう。
それは大変生きづらいことなので、
発想を変えて、
自分に身についている当たり前の高さを褒めてあげよう。
接客に限らず、日常生活であっても同じことが言える。
人に優しくすること、気遣うことは当たり前
人に迷惑をかけないのが当たり前
頑張ること、努力することは当たり前
そう思えるあなたはきっと、素敵で優秀で、頑張り屋であると思うから、
それを自身で誇ってよいのだと思う。
当たり前ではなく、あなたが素晴らしい。
そうすれば、自身の優秀さゆえに他者を責める必要がなくなる。
生きづらい人や完璧主義の人は、
当たり前の基準が高いのではないかなと時々思う。
努力してきたことが当たり前になったり、
人に優しくすることが当たり前になったり、
一人で頑張ることが当たり前になったり、
そうすると次の高い「当たり前」を目指さなければいけなくて、
キリがない。
ある程度の段階で当たり前の基準を維持する。
あえて愚かさや怠惰を自身に残しておくことは、
ある種の生存戦略ではないかと思う。
まとめ
愚痴が多い回になりましたが、もちろん良いこともたくさんあった。
店員同士のコミュニケーションで悩んだこと、迷ったことはほとんどないし、仕事内容も一通りは身に着いた。
別のドラッグストアで働きたいとは思わないし、
接客もしばらく距離を置きたい。
それがわかっただけでも働いた意味はあったように思う。
自分の経験から言うと、接客を生業としている人たちは、
大部分で人間が出来ているなと感じる。
どれほど理不尽であっても、
一言目に「申し訳ありません」と頭を下げられるし、
ゴミくず相手でも笑顔で会話が出来る。
ある程度、自身の感情をコントロールすることが出来る。
最後に私が思うことは、
全人類に人生で一度は接客業を経験することを勧めたい。
彼らが、日々どれほどの理不尽に耐えているのか。
自分の感情を殺しているのか。
そして、見ず知らずの他人のために、笑顔をみせ、
全力を持って要望に応えようとしてくれているのか。
自身の目当ての商品が見つからないからと言って、
怒鳴り散らすのではなく、
「店員の接客が気に入らない」とクレームを入れるのではなく
対応が遅いと怒りをぶつけるのではなく
まずは「ありがとう」と、
感謝出来る人間が一人でも増えたらいいなと、
私は思う。
そうしたら、
接客してくれる店員さんも穏やかに仕事をしていけるはずだから。
…だが、
目当ての商品がないからと言って、私に怒鳴り散らしたババァ
…お前はダメだ。
絶対、許さん!!!
