フジロックはなぜ、わざわざ山奥でやるのか——「不便」が資産に変わる仕組み
いちばん行きにくいフェスが、いちばん愛されている
この週末、新潟県湯沢町の苗場スキー場で、今年もフジロックフェスティバルが開かれました。公式サイトによると開催は7月24日から26日。都心から新幹線とシャトルバスを乗り継ぎ、山道を歩き、天気が崩れれば雨具とブーツが必須になる——国内のフェスの中でも、アクセスの面倒さでは群を抜くイベントです。
普通に考えれば、興行は客が来やすいほど有利なはずです。実際、駅直結のドームや都市公園でのフェスは増え続けています。それなのに、この「いちばん行きにくいフェス」が1997年から四半世紀以上続き、毎年数万人を山に呼び寄せている。もっと言えば、あの不便さこそが好きだ、というファンが大勢いる。
便利さが正義の時代に、不便が価値になっている。この逆転はどういう仕組みで起きているのでしょうか。
出発点は失敗だった
フジロックの歴史は、伝説的な失敗から始まったとされています。1997年の第1回は富士山麓の天神山スキー場で開かれ、台風の直撃で2日目が中止。装備のない観客が低体温で次々と倒れ、「地獄のフェス」として語り継がれることになりました。
興味深いのは、その次の一手です。1998年の第2回は山を離れ、東京・豊洲の東京ベイサイドスクエアで開かれました。都市の平地、アクセス良好、天候リスクも小さい——第1回の反省として、これ以上ないほど素直な選択です。
それでも翌1999年、会場は苗場スキー場へ移ります。都市型を一度試したうえで、山へ戻った。つまり苗場という立地は、失敗から逃げた先ではなく、逃げ場を試したうえで選び直した場所でした。雨は降るもの、山は寒いもの、と開き直り、客に装備と覚悟を求めるフェスに作り替えたわけです。
不便が「選別」と「共犯関係」を生む
ここからが仕組みの話です。行きにくさは、まず観客をふるいにかけます。なんとなく来る人が減り、準備をして来る人が残る。客層がそろうと、会場の空気が安定します。フジロックはゴミの分別や自然保護の取り組みが参加者側の文化として語られることの多いフェスですが、それは参加のハードル自体が一種の入場審査として働いているからでもあるはずです。
さらに、苦労は愛着に転化します。人は簡単に手に入れたものより、コストを払ったものを高く評価する——社会心理学の認知的不協和理論で「努力の正当化」と呼ばれてきた働きです。雨に降られた年ほど思い出話が濃くなる、という現象は多くの参加者が語るところです。
そして山という会場は、都市では提供できない「体験の独占」を可能にします。深夜の森のステージ、朝霧の中のライブ。この体験は駅直結の会場には物理的に複製できません。不便は、複製不能性の別名でもあるのです。
都市型フェスと、どちらが正しいのか
対照的なのが都市型のフェスです。日帰りできて、ホテルに泊まれて、悪天候のリスクが小さい。動員を積み上げる興行としては明らかに合理的で、初心者の入口としても優れています。
山型と都市型、どちらが正しいという話ではありません。都市型は「音楽を聴きに行く場所」を磨き、山型は「そこで数日暮らす時間」を磨いている。売っているものが違うのです。
ただ、供給が増えるほど、都市型どうしは出演者と快適さの競争になります。一方の「不便で複製できない体験」は、競争相手が構造的に増えにくい。四半世紀かけて積んだ泥道の記憶は、後発が資本で買えない参入障壁になっています。
便利になるほど埋もれ、不便なまま残るほど際立つ。興行の世界のこの逆説を、苗場の山は毎年夏に静かに実演しています。来年もまた、行きにくい山奥に、行列ができるはずです。
参考リンク
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