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就職戦線異状あり!-氷河期世代の就職活動実践編-

北大水産学部の3年生になったころ、僕は進路について本格的に考え始めていた。
3年回り道してたどり着いた大学生活。以前、通っていた名市大の同級生からは「就職活動が厳しい」という噂が伝わってきていた。

当初は、大学院のドクターまで進むつもりだった。
だから、進級と同時にあちこちの研究室を訪ね、大学院生に進路の話を聞いて回った。

しかし、返ってくる答えは、どこも歯切れが悪かった。
「楽観的じゃないとやってられない」
「なるようにしかならない」
──研究の魅力を語る一方で、学位を取った後のキャリアパスは、まるで霧の中だった。

(このまま修士課程に進んでいいのか?)

不安が頭をもたげた。
3年ダブっている。修士に行けば、27歳だ。
学費も、生活費も、さらに必要になる。

そんなとき、知人づてに「環境アセスメント業界」という民間企業の存在を知った。
生物の知識を活かせる道。あるいは、県の水産試験場──これが現実的な進路だった。


3年生の春休み。就職活動を開始する。
インターネットがようやく普及し始めたばかりの時代。
求人情報はネットと、紙と、口コミが入り混じっていた。

OBに手紙で問い合わせる。
HPに掲載されている会社説明会にもエントリーする。

だが、驚いた。
景気の悪化で、「新卒採用見送り」「募集若干名」が当たり前だった。

北海道は特に厳しい。
北海道拓殖銀行が倒産し、道内経済が冷え込んでいた。
道外就職を目指すしかない学生たち。僕もその一人だった。


会社説明会──参加は「任意」と書いてあったが、実質マストだった。
札幌から東京へ。名古屋へ。大阪へ。

交通費は当然自腹。飛行機に前泊、説明会のためだけに動く。
研究室の予定表に書いた「札幌-東京-名古屋-大阪-函館」という文字を見て、
先輩に「商社の営業か(笑)」と冷やかされた。

たしかに、まるで営業マンのようだった。


やがて知る、「圧迫面接」という言葉。
面接官は学生の回答を全否定し、冷静さを試す。

最初は面食らったが、コツをつかめば淡々と答えるだけだった。

公務員試験も受けたが、準備不足により筆記であえなく玉砕。
同じ研究室の4年生と修士2年生あわせて9人が受験して、受かったのはたった1人だった。

札幌キャンパスの就職支援センターを訪ねたとき、
担当者は言った。

「今まで北大生が就職に困るなんてこと、なかったからね。
でも、今回は本当に決まらないみたいだ」

──「今すぐ何とかしてくれ」と心の中で叫んだ。


4年生の7月。
ようやく、1社から内定が出た。

けれど、そこには一文が添えられていた。
「営業職での採用となることをご了解ください」

──僕は、何のために大学を入り直したのだろう。

やりきれない思いを胸に、卒業研究に打ち込んだ。
それでも、もう、ここを辞退すれば行き先はない。

(入社してから、転属願を出せばいい。何とかなるかもしれない)

そんな淡い希望だけを抱えて、僕は卒業式を迎えた。

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