なぜ私たちは「なぜここにいるのか?」を考えないのか?
ふと、こんなことを思いました。
「そもそも私は、どうして今ここにいるんだろう?」
これまで一度も考えたことがなかったことのほうが、
むしろ不思議に感じるような問いです。
でも少し考えてみると、
この問いが出てこなかったのには理由があります。
シンプルに言うと、
人は「その前提の中にいるとき、その前提を疑わない」からです。
たとえば、
水の中にいる魚が「水って何だろう?」と
普段考えないのと少し似ています。
自分の人生や現在地も、
あまりに当たり前すぎると、問いにならない。
もう少し現実的に見てみると、
いくつかの要素が重なっています。
連続しているように見える感覚
私たちは自然と、
昨日の続きとして今日がある
と感じています。
でも実際には、
無数の選択や偶然が重なって今があります。
それでも、体感としては
なんとなく進学して
なんとなく仕事して
なんとなく今ここにいる
この「なんとなくの連続」が、
問いを生みにくくしているのかもしれません。
目の前を処理する仕組み
日常の中では、
今日やること
目の前の問題
不安や快・不快
こういったものが優先されます。
その中で、
「なぜここにいるのか?」
という問いは、
自然と後回しになっていきます。
問いが立ち上がるタイミング
この問いは、
考えようとして出てくるものではなく、
あるとき、
ふと立ち上がるもののように感じます。
たとえば、
これまでの前提に違和感が出てきたとき
うまくいかないことが続いたとき
少し余白ができたとき
そういうときに、
「そもそも…」
という視点が出てくる。
初めてではなく、気づいた
今回の感覚も、
もしかすると
初めて考えた
というよりも、
ずっとあったものに、気づいた
という方が近いのかもしれません。
目の前にあったのに、
認識の外に置かれていたものに、
ふとピントが合った。
そんな感覚です。
この問いの扱い方
ここで一つだけ大事なことがあります。
この問いに対して、
答えを出そうとしないことです。
なぜここにいるのか?
何が原因だったのか?
それを特定しようとすると、
少しずれていきます。
なぜならこの問いは、
原因を探す問いではなく、
前提に気づく問い
だからです。
扱い方としては、とてもシンプルです。
答えを出そうとしない
「今ここにいる」という事実を見る
そこに意味を足さない
すると、
少しずつ焦点が変わってきます。
「どうしてここにいるのか」ではなく、
「ここからどう関わるか」
その方向に、
自然と視点が移っていくように感じます。
この問いは、
何かを解決するためのものではないのかもしれません。
ただ、
見ている位置を少し変えるための、
きっかけのようなもの。
もし今、
この問いがふと浮かんできたなら、
それは何かが間違っているサインではなく、
少し見え方が変わり始めているだけなのかもしれません。
