鼻の設計ミスを指摘する
鼻水がじゅるじゅるである。
なんですか?花粉?遅くない?噂によれば黄砂が飛んできてるらしい。私は花粉症ではないし(強い自己暗示)、風邪も引いてないので恐らく黄砂を原因としよう。
汚い話だが、風邪の時の鼻水は、透明から青っぱなになり、ある程度鼻の室内でキャパシティを感じられる為、あ、もう鼻をかまないと、と自然にティッシュに手が伸びる。タイミングを逃すと鼻が詰まり呼吸不全、苦しむことになるからだ。
つまり、濃度が高ければ鼻センサーでかむタイミングを自覚できるのだが、今回の黄砂によるとおぼしき鼻水は、げに粘度が低い。
重力に伴い下へ下へ流れる鼻水。鼻センサーが働くまでもなく、つーっと流れる感触は当然ながら感じられるので「おぅ、流れている…」と内心慌てることになる。
加えて私の鼻の穴は、正面からこんにちは。へちゃむくれた形なので、相対した他人に鼻水の気配を察知される猶予が非常に短いのである。
そして、私は接客業。これはよくない。
お客様に笑顔で接遇していても、相手の目線は私の光る鼻の穴へ。わかりますよ、見てるの。
鼻の穴にラメを塗る新手の化粧方法が流行らない限り、鼻の穴が光っているのは鼻水の他無い。
恥ずかしさは別にいいのだ。
そんな感情はとうの昔にどこかに置いてきた。
そもそも鼻水とは、体内、特に呼吸器内に異物を入れないために、入った異物を排出するために出る液体だと認識している。それはありがたい。飛んできたコバエやホコリなら「入った!フガフガ!」と自覚できるが、さすがにウイルス、砂、花粉などはもうわからないのでそっちで勝手にやってもらえて助かってますよ。
でもね?
人間とは社会性の生き物。
進化が固定されてきた時代ならば鼻水をだらだら流していても、「あいつ鼻水流して間抜けやな」とは思われないだろう。多分そのコミュニティー全員が鼻水だらだらだからだ。鼻水だらだらで狩りをしていただろう。
(その場合、誰かが鼻を啜ったら獲物に気付かれるのではないか?ということは鼻を啜るという行為は社会性と共に現れた?)
現代、鼻水をだらだら流しながら労働する人間はどう評価されるか。
これは、鼻の形状の設計ミスなのでは?
(都度、鼻をかんで清潔にすればいい、身だしなみはエチケットですよ、という意見はもっともだが、その前提の話をしています)
鼻の傾斜がもっと緩やかなら、流れ出る速度が緩和されるはずだ。これは私の鼻がぺっちゃんこということになる。ええいほっとけ。
鼻水格納スペースがあれば、人前でじゅるじゅるしなくても人目のつかないところで保護しながら処理できる。
鼻の穴の出口にミラーボールのような部品がついていれば、鼻水が流れれば流れるだけキラキラ光り、それに導かれたパリピが集まりパーティーが開かれるはずだ。
ミラーボールが大きければ大きいほど異性へのアピールに使えるかもしれない。
鼻から人中の溝を使って自然の流れで体内に戻るラインができてもいいが、一端口内を経由するのに嫌悪感は否めない。
いっそのこと、鼻水だらだら流しっぱなしでも許される社会規範を我々の時代から作っていくという手もある。一昔前なら洒落たタウン誌が「今鼻水だらだらがトレンド!」と謳えば猫も杓子も鼻水を流すだろうが、SNS主流の現代ではそこまでの影響力は無い。
以上のことを考えていたら、いつの間にか鼻水が流れていた。
現実は流るる鼻水のごとし。
