短編小説-【祈りの果て】

昼下がりのマンションの一室。
敦彦は先ほどから机の上でノートPCの画面を睨みながら、腕組みをしていた。今日は土曜日。
 
いざ、となれば難しいものだなぁ…
敦彦はたまたまネットで目にした、ミステリー小説の懸賞応募にエントリーしようと思いついたのだ。
 
読書はよくする方だ。
毎月数冊の本を読んでいるし、仕事の行き帰りの電車の中でも文庫本は欠かしたことは無い。
なぜ、電車内では誰もがスマホを操作しているのだろう。
動画かSNSか、チャットに忙しいのだろう。
電子図書にはどうにも馴染めない。
敦彦は紙の手触りと、インクの匂いが好きだった。
ジャンルには特にこだわってなかった。
小説もノンフィクションも面白そうなものがあれば、新刊、古書問わず手にしていた。習慣というより習性だった。
ただ、小説を書いた経験は無かった。
 
SNSでこの情報に触れて、よし一念発起しよう、と思った理由は単純だ。最優秀作品には五十万円分のデジタルギフトが贈られる、という懸賞に魅かれた。ということで、先ほどからノートPCの画面と向き合っているわけである。
 
腕組みをするばかりで、画面はスクリーンセーバーが流れるばかり。
動機が不純だからかなぁ…
でも、何かに挑戦するマインドは大切にしたい、と先ほどから自分の自信の無さに寄り添ったり、創作への意思を鼓舞したり、頭の中はややこしい状態になっている。
 
そもそもミステリー小説は、どういう内容や筋書きが受けるのだろう。
今まで読んできたミステリー小説を頭に浮かべ、
まずPCに自分の思う、ミステリー小説の条件を箇条書きで書きだすとこにした。
 
・一見怪しい人物は犯人ではない
・トリックにはリアリティ、現実の手触りが必要
・意外性だけを優先しない
・些細な描写が後で重要になる
・犯人には「動機」より「感情」を与える
トリックそのものより「なぜそんなことをしたのか」
・事件そのものより“異常な空気”を描く
何かがおかしいという空気、現実と幻覚の境界、ズレ
 
こんなものかなぁ…
 
敦彦はいよいよキーボードに向かい、初のミステリー小説に取り掛かることにした。
まず冒頭の書き出しが肝心だ。
 
とある街、その男はあてもなくさ迷っていた――
 
そこで、敦彦の手がピタと止まった。
言うは易すし行なうは難たし、だなぁ。
 
ミステリーと言っても、色々な状況やトリックがある。
よし、今回は初めての取組みだし、オーソドックスに密室殺人事件に取り組んでみよう。誰も出入りができない状況で被害者が、殺害されている。
実際は誰も出入りできなければ、第三者の殺人はありえない。
四次元人間が壁をすり抜けて、被害者をナイフで殺害する。
これではミステリーで無くSFだ。
 
密室と見せかけて実は天井裏や床下、通気口から犯人が侵入する、というのはどうだろう。もともとその部屋のタンスの中に犯人が忍び込んでいて、被害者を殺害後、細いワイヤーで外から部屋の扉の鍵をロックする。氷の塊を被害者の頭上の上の棚に置き、そこにダンベルを斜めに立てかけ、被害者が寝ている時に氷が解けてダンベルが頭上に落下する。
う~ん、どれもこれもどこかで読んだような気がしてならない。
きっとこれらのトリックは、すでに誰かが小説か漫画にしてしまっているのだろうな。
 
敦彦はそれから一時間、ああでもない、こうでもないと頭を捻った。
こういう状況を創作のスランプとか行き詰まり、と言うのだろうか。
いや、違う、僕はまだ冒頭の一行しか書いていない。
 
腹が空いてきた。
創作には気分転換が必要だ。まだ日も高い。散歩でもしよう。
敦彦はマンションを出て、あてもなく近所を歩くことにした。
どうせなら初めての道を行こう。
通勤とは逆の方角に足を進める。
意外に近隣は知っているようで、知らないものだ。
 
住宅地を見回しながら歩いていく。何かネタになる建物は無いかな。
古い洋館とか、鬱蒼とした木々に囲まれた旧家とか…
このあたりは新興住宅地なので、そんな建物は見当たらない。
よく似た戸建て住宅が並んでいる。どの角を曲がっても同じような光景。
つくづく、ありふれた街だ。
 
期待外れな気分で部屋に帰ろうとしたところ、ある立て看板が目に入った。
『蟻片明神⇒300m』
へぇ、こんなところに明神があるのだ。
あらためて周囲を眺めた。
せっかくだから、ついでに拝ませてもらおう。
 
敦彦は看板の角を曲がり、細い坂道を上って行った。
何の変哲もない住宅地の奥に、その小さな神社はひっそり現れた。
この辺りは開発されるまでは農地ばかりだったと聞いている。
きっとこの周辺の氏神さんなのだろう。
それにしても今まで気づかなかった。
神社の鳥居をくぐり、石段を登る。
小高い平地にその明神の祠(ほこら)があった。
虫が数匹敦彦の周りを浮遊している。目障りだ。
人の気配はない。祠の横に設置されている由緒書きを見る。
 
江戸時代に村民たちにより建てられたもので、毎年稲がイナゴの被害に遭って不作が続いていた。たまらず村人達が、今年こそ被害に遭わないようにと祠を立てて拝んだ。すると秋の収穫前に沸いて飛んできた、イナゴを蟻の大群が襲い退治してくれたそうだ。それ以降この地には害虫が寄り付かなくなり、豊作が続いた。そのお礼と、感謝の祈りをこめてこの『蟻片明神』の祠を建てたらしい。
『蟻片』は『ありがたい』に通じるため、心願成就の明神として地元民の厚い信仰を集めている、と由緒書き結ばれていた。
 
へぇ、そんな言い伝えがあるんだ。
まぁ、僕は地元の人間では無いし、数年前にここに越してきたのだから知らなくて当然だろうな。
心願成就か。
ミステリー大賞に相応しい作品が創作できるよう、お願いしてみようか。
敦彦は燈明を灯し、柏手を打った。
声に出した方が神様に届くだろう。
敦彦は
――ミステリー大賞に相応しい、密室殺人事件の傑作が書けますように。
と三回唱え、頭を下げた。
ここにきて神頼みか、とも思わないでもなかったが、何らかのご利益があるかもしれない。
 
ふと声がかかる
「密室殺人ですか」横をみると、見知らぬ老人がこちらを見ずに、明神さんに同じように手を合わせていた。
黒ずくめの洋装に、黒い中折れ帽。
瞬きをしない瞳。その首筋に小さな虫が一匹這っている。
気にならないのだろうか。
いつの間に僕の横にすべるように近づいている。
見るからに怪しい。
 
この人物を犯人のモデルにしようか。
いやいや、すぐれたミステリーの条件として、怪しい人物は犯人ではない、と定義したところだった。
「いやね。盗み聞きするつもりは無かったのです。三回も同じことを口にしていたので、よほどのお願いかと思いましてね」
敦彦は頬から火がでた。みっともない。
ええ、まぁ、と曖昧に返事を流し、足早にその神社を退散した。
 
老人は、刺すような視線を敦彦の背中に送っていた。
「あの青年の心願を叶えたまえ」
老人は祠に向き直り、再度手を合わせた。
カサっと袖口で何かがうごめく音がする。
 
敦彦は帰り道、コンビニで弁当と、缶ビールを買った。
外の空気を吸い、歩くと心身のリフレッシュになるものだな。
おまけに今日は珍しい明神さんにお参りもできた。
これは吉兆に違いない。
夕食後にゆっくりと小説のプロットを練って。明日から数行ずつでも書きすすめることにしよう。
 
密室か。
よく考えれば、密室殺人は手ごわいテーマであるが、密室そのものはどこにでもある。改めて気が付いたが、この部屋も今は密室だ。
玄関のドアは施錠され、チェーンがかかっている。窓も全てロックされている。
なんだ、密室って日常生活そのものじゃないか。
しかしそこで殺人が発生すると、一気に異常な空間に変容する。
 
敦彦は、目の当たりにしている自分の部屋の密室状態に、少し気抜けした。
この部屋を舞台にミステリー小説を書くことになるのかな。
何だかドラマとスリルを感じ無いなぁ。
そうか、
-犯人には「動機」より「感情」を与える。
トリックそのものより「なぜそんなことをしたのか」
というのも条件だった。
 
密室状態で殺人をする犯人の動機が大切だ。
被害者への積年の恨み、金銭目的など色々考えられる。
 
自分に置き換えたらどうだろう。
僕は、誰かに殺害される動機を持たれる存在なのか。
嫌われることはあっても、恨まれるようなことをした覚えはない。
怨恨などほど遠い動機だ。
金銭など、蓄えと言えるほどのものは無い。
この部屋で価値がありそうなのは、ノートPCとタブレットくらいだ。
情けない。
この僕には、被害者のライセンスさえないのだ。
 
そうだ、今日出合ったあの老人に登場してもらおう。
見た目が怪しいので脇役にはピッタリだろう。
しかしミステリー小説の原則として犯人にはできない。
黒ずくめの老人。
何のために物語に登場させるか。
よし、ちょっと飛躍するが、蟻神様の使者にしよう。
蟻片明神の使いだ。
蟻を自在にあやつり、村民の暮らしの平穏と豊作を守ってきた一族。
 
『蟻師』の一族。
いい名称だ。それらしい。
蟻師は害虫を駆除する毒針をもつ蟻を、自在にあやつる能力を一子相伝で持つ。その力で代々村民を米の不作から守ってきた。
実はいいやつなのだ。
しかし、登場の仕方は不気味さ満載。
そのキャラが強いほど、善人であることが判明した時の読者に与える落差は強い。
 
でもなぁ...そんな個性の強い人物を脇役にすると、密室殺人事件の真犯人のイメージが霞んでしまいそうだ。そもそも殺人まで起こす動機は何か?
動機無き殺人。苦し紛れだがこれにしよう。
不条理な殺人と言ってもいい。
 
敦彦の頭は随分と疲れた。
睡魔が襲ってくる。
明日も休みだ。
シャワーを浴びてとっとと寝よう。
夢でいいアイデアが浮かぶかもしれない。
 
日曜日の遅く目が覚めた。
トーストをかじりながら、創作に取り組むことにした。
 
とある街、その男はあてもなくさ迷っていた――
その後をつけてくる黒ずくめの老人。彼は蟻師だった。
いつもポケットの小箱に毒蟻を忍ばせている。
男は老人に狙われていた。
何故か。理由は無い。そこに男が歩いていたから。
 
お、なかなか不条理ではないか。
でも、この老人は怪しい故に真犯人では無い。
 
蟻師は実は、主人公の男を殺害しようとする犯人から守るために、後をつけていた、ということにしよう。
では、男を狙う犯人は誰か。
隣の部屋の一人暮らしの女性がいい。
意外性がある。
善良そうな女性は、いつも男に会えば笑顔で挨拶をする。
しかし彼女は血に飢えていた。サイコパス。
 
しかしどうやって、密室殺人が可能なのか。
う~ん。
密室を作ることは簡単だが、密室殺人を成立させることは難しいものだ。
結局隣人は四次元人間だった、という陳腐なSFに傾いてしまった。
 
だめだ。
ミステリー大賞なんて、儚い夢に過ぎない。
敦彦は肩甲骨をぐるりと回し、ため息をついた。
また、そんな気分になったらチャレンジすればいいさ。
敦彦は密室の中からベランダ越しに、外の景色をぼんやりと眺めた。
 
その時チクっとした刺激がふくらはぎに走った。
虫に刺されたような痛み。
そんな季節になったのだな。
敦彦は右足のジャージの裾を引き上げた。
小さな黒点がうごめいている。
その虫は足の甲にうつり、そのまま床を這い換気扇の方へ上っていく。
 
痛みは徐々に深まっていった。
 
敦彦は虫刺され薬の軟膏を、ふくらはぎに塗った。
やれやれ――
 
黒い虫は換気扇から外に出たようだ。
 
マンション前の道。
黒い服装の男の視線が、敦彦のマンションの部屋を刺していた。
その手には小さな木箱。
それを地面に置く。
マンションから一匹の毒蟻が戻ってくる。
 
敦彦は苦しんでいた。
全身から汗が吹き出していた。
しかし寒い。震えがくる。歯がかみ合わない。
全身に這い上がる悪寒。
 
呼吸が荒くなる。
視界がぼやける。
何が起こっている?
昨日食べた弁当が傷んでいたのか?
新型の肺炎にでも罹患したのか?
 
敦彦はその場立っていられなくなり、どぉっと床に倒れた。
き、救急車を呼ばなくては。
スマホを手にするが、指が震えて動かない。
喉の奥に。何かが重い塊が堰を作り狭まっている。
呼吸ができない。
ま、まさか...
 
急激に体温が下がる。
視界が暗くなる。
 
さようなら―――
 
 
蟻師は毒蟻を戻した箱をポケットに忍ばせた。ほのかに笑みが揺らぐ。
 
――おめでとう、密室殺人がようやく成就されたね。
 
蟻師はホコリっぽい道をゆっくり、足音も無く明神の方角へ去っていった

 
                       
 


 
 
 

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