【短編小説】浦の崎のBad Love——CYBERJAPAN DANCERS『Bad Love』知った時には、もう遅かった
知った時には、もう遅かった。
理性が「ダメだ」と言っている。
身体は、すでに動いている。
その二つが同時に存在する——
あの、引き裂かれた一瞬を、あなたは知っているだろうか。
欲してしまった。
その事実の重さだけが、皮膚に残る夜がある。
なぜこの楽曲を物語にしたのか
CYBERJAPAN DANCERS(サイバージャパンダンサーズ)の『Bad Love』(2022年リリース)と初めて向き合ったとき、何かが落ちた。
音楽として聴く前に、官能の構造が身体に刺さってきた。
ひとことで言うなら——「欲してしまった事実を、静かに肯定してしまう曲」だ。
派手に快楽を誇示するわけではない。
「ヒリヒリする」「ハラハラする」、その感覚が、反復するビートとともに皮膚に染み込んでくる。
この楽曲の音楽評論を書いた。
解体し、分析し、色彩のグラデーションで言語化しようとした。
しかし、書けば書くほど確信が深まった。
評論だけでは、捕まえきれない。
音楽は時間芸術だ。
しかし『Bad Love』が描く欲望は、もっと粘度が高く、もっと長く尾を引く。
その感覚を封じ込めるには、物語という器が必要だった。
だから短編小説を書いた。
この物語について
短編小説『浦の崎のBad Love』
◆目次
浦の崎 —— 地図に載らない夜の街で
第一章 白い船が来ていた
第二章 三曲目の途中で
第三章 知った時には、遅かった
第四章 灯りは、消える
◆物語の舞台
九州西部、地図に載らない架空の港町「浦の崎」。
石畳の坂、古い洋館を改装したバー、禁じられた交易の歴史が地層に染み込んだ街。
五月の連休、大型クルーズ船が寄港した。
三日間だけ。
灯りは、消える。
◆登場人物
篠崎奏(しのざきかな)、32歳——地方紙記者。
感情が動いたとき、手が止まる女。
久我誠一(くがせいいち)、41歳——水産会社の社員。
東京から一週間だけ戻ってきた。
妻がいる。
◆二人の引力
奏は、感情が熟れるまで待つ。
誠一は、潮が来るまで待つ。
二つの「待ち」の質が、五月の夜の港で溶け合う。
感情が静かに侵入していく過程——それがこの物語の軸だ。
【本文抜粋】第三章「知った時には、遅かった」より
「結婚しています」
唐突ではなかった。
しかし準備もしていなかった。
ただ、事実として言った。
説明でも謝罪でもなかった。
情報として、空気の中に置いた。
それ以上でも、それ以下でもない声だった。
私はグラスを持ったまま、港を見た。
答えなかった。
正義も順序も通じない——
頭の中で、先ほどの歌の一節が動いた。
通じないのだ。
この感情に、正義も順序も、持ち込める余地がない。
ダメだと知っている。
知っていた。
最初から知っていた。
昨日の石段で、あの手を見た瞬間から、知っていた。
知った時点で、もう何かが動き始めていた。
「分かりました」
私は言った。
それだけ言った。
彼が私を見た。
視線を感じた。
振り向かなかった。
グラスを口に当てて、港の灯りを見続けた。
ーーーーーーーーーー
この場面は、物語のちょうど折り返し点に位置する。
バーのカウンターで、彼がはじめて「既婚」という事実を口にする瞬間だ。
謝罪でも、誘いでも、告白でもない。
ただ、置かれた事実。
そしてそれを受けた奏の「分かりました」というワードが、この夜の扉を静かに、取り返しのつかない形で開ける。
奏が何を「分かった」のか。
その先に何が起きるのかは——
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音楽は、聴き終わった後も身体の奥で鳴り続ける。
物語は、読み終わった後も皮膚の上に居座り続ける。
あなたの胸の奥に、今夜から何かが静かに沈殿し始めるとすれば——それは、あなたにも覚えがある夜があるからだ。
