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24年間生きてきて分かったこと


24年間生きてきて、私なりの人生の結論を書いてみようかと思います。
まだ24年しか生きていないので、言えることはものすごくちっぽけかもしれませんが、中々に多種多様な出来事が詰め込まれた人生を送ってきたので、伝えられることがあればと思い、綴ってみます。

軽く言っておくと、私の家庭環境はそんなに恵まれたものでは無く、心の発達をさせるには未熟な環境でした。本当にたくさんの葛藤があり、誰を信じればいいのか、誰についていけばいいのか、分からないことが多くありました。

そんな中で、この24年間を振り返って、総合的に問われていたことは、「自分はどう生きたいか」ということでした。

自分の意思もなく、ずっと誰かのために生きることが全てだと思っていました。
自分さえ犠牲になれば、痛い思いをすれば、絶対に守りたい人は幸せになるのだと。

でも、何を差し出してもずっと苦しい。
何が起きても、自分が犠牲になろうと決めていたのに、差し出すものが無くなってきたとき、
これはいつまでどこまで何を差し出せばいいのかと言う疑問が生まれました。
守りたいものを守るには自分自身を差し出せばいいと思っていたのに、いつの間にか差し出すものすらなくなっていた。

苦しくて、助けたいのにこれ以上助けられない。自分の命を差し出す以外にできることはないのではないかと思うくらいでした。

そのあたりから体や心にガタが来て、人と話せなくなり、自分自身が分からなくなりました。

なぜ私という人間として生まれてきたのか。
そもそも何で生まれてきてしまったのか。
何もできない人間なのに、なぜ存在する意味があるのか。

このような自分の存在に対する疑問がずっと頭を占領し、生きる意味が分からなくなってしまいました。

頭の良い人に勝てるよう、勉強しようと思ったけど、果てしなすぎて追いつけず。
私はこの人になりたいからこの人のこれを真似よう。でもぜんぜんこの人にはなれないなあ。
論理的な話し方できるのうらやましいなあ、どっから修正したらいいんだろうなあ。
人に憧れては諦めて、人をうらやんでは、自己否定をして。
あの人の能力が欲しいと切に願うのに、どうしてもあの人にはなれない。泣いても悔やんでも入れ変わることはできない。

じゃあ、私には何があるんだろうか。
なんだろうな。ゲラくらいかな。
何もないんだな。
何もない。
もう疲れたなあ。
何もいらないかもしれない。
私はこれで生きていくしかないんだなあ。

この地球上では自分の手で自分の命を終わらせることはだめらしいし、憧れる人になりたかったのに、その人にはなれないし、
誰かに自分の不出来さをぶつけても何も変わらないし、誰も傷つけたくないし。

あらゆる選択肢を考えた上で出た結論が、
何もなくてもいいから生きてみる。と言うことでした。

一番誰も傷つかない方法が、とりあえず何もなくてもいいから生きてみるということでした。

0は怖いものだと思っていたけど、案外体験してみると身軽なものでした。

何もないけど楽。
何もないけど何でもできる気がする。
ああ、結構何もなくても生きていけるんだなと思いました。

たどり着いた結論は、何もいらないと言うこと。
沢山考えて試して苦しんだ結果がこの答えでした。

私がこの24年間で感じたことは、どこまで行っても自分自身としか生きていけないということです。

何もない自分に絶望するのも自分。
その絶望をどれだけ払拭し、強みとして変えていくのも自分。
自分自身の魅力に気付き、生き方を自分の心地いいものに変えていけるのも自分。
全て自分なんです。
苦しさを知ってるのも自分だし、どこに幸福を感じるか知っているのも自分。
だからこそ、自分自身を理解し、誰よりも話を聞いてあげ、その望みを叶えていくことができる。


「自分がどう生きたいか」なだけなんだと思います。


人のために生きようと想う心は本当に素晴らしいと思います。
けれど、時にそれは自分を苦しめ、自分の生き方を歪めます。
人はあなたが思うほど脆くはない。
なりふり構わず人に手を差し伸べようとしなくていい。
あなたの優しさを安売りしないで。
あなたが折れてしまってはあなたがあなたで生まれてきた意味がない。
あなたが削れて周りの人が幸せになっても私は嬉しくない。
まずはあなたがあなたでいることが先決で、人助けはそれからでいいんです。

自分を生きたくても生きられなかったからこそ、自分を生きるということがどれだけ大切かということを少しでも伝えられたら嬉しいです。

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