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家を出てから11年目の春

家を出てから、もう十一年。
桜の花びらが舞うたびに、あの春の匂いを思い出す。

今、私が想うのは、あの時――
当たり前の目の前の幸せに気づけなかったこと。
自分のことばかりで、
自分の想いばかりを主張して、
周りの優しさにも気づけなかったこと。

あの日、私は家を出た。
正しかったからじゃない。
ただ、あのままでは自分も相手も壊れてしまいそうで、
どちらかが動くしかなかった。

後ろめたさは、今も少し残っている。
でも、それがあるからこそ、
あの時の自分をまっすぐに見つめられるようになった気がする。

人には、一つの側面だけじゃなく、
いくつもの面がある。
優しい時もあれば、頑なになる時もある。
強く見える人ほど、心の奥では泣いているかもしれない。
そのどれもが、その人の一部。

私はあの頃、
相手の中にある“いくつもの側面”を見ようとする余裕がなかった。
一時の感情で人を判断して、
自分の思い込みが、今のこの現実を招いた。

人は完璧じゃない。だから失敗もする。
その失敗から学び、次につなげていけばいい。

人は自分の価値観でものを見て、
一側面だけを見て、
「あの人はこういう人だから話しても無理」
「そんなことを言う人は優しさがない、愛されていない」
――そうやって決めつけてしまうことがある。

でも、今はそれがどれだけ“もったいない”ことか分かる。

人の考えも、価値観も、十人十色で違うからこそ面白い。
だからこそ、
自分の価値観や一側面だけで判断せず、
相手を理解し、お互いがいいと思える場所で折り合いをつけることが大切。

認め合い、尊重し合える関係が築けたなら、
自分も相手も大切にできる。
考え方も、きっともっと広がっていく。

あの時の自分が今の私なら――
離婚という選択肢は、なかったかもしれない。
けれど、あの頃はそれが“精一杯の愛の形”だった。

桜並木を歩きながら思う。
人は、光と影、やさしさと痛み、
そのすべてを抱えて生きている。
だからこそ、どんな過去も愛おしく思えるのかもしれない。

* * *

読んでくださった方へ

人は、見えている部分だけで理解できるものではありません。
その奥には、言葉にできない想いや、
不器用な愛が息づいていることもあります。

どうか、自分も、誰かも、
ひとつの側面だけで判断せず、
その奥にある“想い”に心を向けてみてください。

それが、やさしさのはじまりになるから。

今日という春の日が、
あなたにとって“赦しと気づき”の風を運んでくれますように。

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