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相対的な貧困

自分の家がお金がないことは子どものころから知っていた。でもそれを恥ずかしいという気持ちを持ちはじめたのは、大学に入学してからだった。

私が行った大学には付属の中学と高校があり、学費が一番高いのは中学だと付属出身の友だちに教えられた。勉強が難しくなるほど学費が高くなると思っていたのでとても驚いた。彼女は高校からだった。中学から行くのは学費の問題でちょっと無理だったそうだ。

それなりに裕福な家庭に育った友人たちは、屈託なく親の仕事や学歴を口にする。銀行の支店長だったり、中小企業のオーナー社長だったり、公務員だったり、基本ホワイトカラーだ。親の仕事をきかれて例えばコンビニの店長と答えたとする。すると、じゃ自営なんだね!と言われる。まあそういう場合もあるだろう。その邪気のない返答には、五十代男性が店員として人に使われたりしないでしょ?という世界観が読み取れる。親が肉体労働者であるという世界と交じり合ってこなかったのだろう。

低賃金の仕事でも懸命に働いて大学に行かせてくれているの親の仕事を、なぜ聞かれたくないと感じるのか。なぜ恥ずかしく思ってしまうのか。間違っているのは、そんな風に思う自分だ。ダメな奴だ。だからどんどん自尊心を削られる。

子どものころは、お金がないということは、欲しいものが何でも手に入るわけではないというだけのことだった。うちの田舎は貧富の差がそこまで激しくない。基本、ほぼ田畑つきの持ち家なので、飛びぬけて裕福な人もいなければその日の暮らしにも困るような人もいない。そして、子どもが貧富の差で傷つかないように親たちが守ってくれていたのだろう。お小遣いはどこの家庭でもだいだい同額だったし、だいたい同じような服を着て似たようなおもちゃで遊んでいた。中高もずっと制服で、部活は強制、バイト禁止じゃ差はそれほど出ない。

大学にわりと近くの町の同級生がいて、彼は受験でなく推薦で入学していた。当時のチャラい学生を絵に描いたような子で、高級マンションに住み家賃とは別に生活費を十万以上もらっていた。そんな家庭に育っても、高校の時のお小遣いは月三千円だったそうだ。まわりがみんなそうだから。

もう一人わりと田舎の地方都市出身の子がいて、親から必要なだけお金は出すからバイトなんかせず勉強しろと言われて一切働いてなかった。そんだけお金があっても、まわりの目が怖くて車は国産以外買えないと親が言っていたらしい。悪目立ちすると商売に響くそうだ。周りの目が痛いところでは、裕福でも派手に使えるのは大学行ってからの子どもの教育費くらいということだ。

その自由のなさが人が流出する原因でもあるけど、それに守られているものもあったのだ。


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