短編小説「青い器」 (#原稿用紙二枚分の文芸賞 期待賞受賞作品)
その町は海の近くにあった。高い岸壁が遮り、潮の香りも波音もない。カイルはガラス工房で働いていた。細い腕を下げ、よく物思いに沈んでいた。ここへ来たのは一年前。妹のハンナを亡くしたころだった。死から逃げるように家を出たカイルは、十八歳だった。彼は記憶に蓋をし頭の隅へと追いやった。
ガラス工房を営むエラは、ふくよかで温かい女性だった。彼が工房を訪ねた初日、彼女は言った。
「うちで作るのは、残すための器よ」
あるとき、カイルは海辺にいた。足元には青い花。砂浜はない。不思議に思っていると、一人の少女と出会った。顔はよく見えない。
「夢を見るでしょう?」少女はカイルを見るなり言った。
「夢?」
少女は足元の青い花を手にした。ずきりと痛みが走り、カイルは額に手を当てる。
「青い花が咲く丘。光と妖精と」
「……誰だ」
カイルの声が響き、視界がぼやける。夢か現か。少女は黙って花を渡した。顔は見えなかった。
その夜工房の掃除をしていたカイルは、一つの器を見つけた。底が球状に膨らんだ波模様の器。
「娘に作ったの……ハンナと同じよ」カイルが尋ねるより早くエラは言った。彼は静かに器を手に取り、重みを感じた。自分は誰に作るのか。
その日からカイルは同じ夢を見た。
丘に座るハンナ。彼女は青い花を拾い、空にかざす。
「見て。青い妖精ね」
そう言い笑う姿は、封じたはずの記憶だった。
ある朝、カイルは再び少女と出会った。彼は青い花を握っている。
「ハンナが丘にいた。この花を持って笑っていたんだ」
少女は何も答えない。顔は見えなかったが、彼の方を向いているのはわかった。カイルは訊いた。
「ハンナ、君なのか?」
その日、カイルは青い器を作った。それは記憶の蓋を開けていくようだった。彼は器に青いネモフィラの花を閉じ込めた。青い妖精が揺らめく。
記憶は美しいばかりではない。だからカイルは今日も炉に火を入れる。誰かの記憶が、再び光を宿すまで。
(800字)
花澤薫さん主催の「原稿用紙二枚分の文芸賞」の応募作品です。
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