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妻でも母でも嫁でもない、個の私として存在していたい。

今日話したいことは、タイトルのままですね。役割とかを脱いだ、そのまんまの私としてちゃんと存在していたいよ、という話。

最近知人と話していたときにね。「子持ちの友達は、グループラインで別の話をしていても、突然、脈絡なく子どもの写真を載せてくる」「そのあと、ひとしきり、子育ての自慢だか愚痴だかわからない話が続く」という話になった。子どものいないその知人は「かわいいね」「大変だね」とか言うしかないと。

ふむふむ、とうなずく。わかるよ、私も、経験があるから、よくわかるよ、その流れ。わけのわからないタイミングで、子どもの写真とか動画とか送られてくるよね。「子どもと義母の日常」という、私にとっては本当に謎の動画が送られてきたこともあったよ……

「あれは、なんなんだろう?」と話したのだけれど、そのとき結論はでなかった。

私は友達が少ないのだけれど、確実に友達といえる相手が何人かいる。そして、みんな子どもがいる。子どもがいないのは、私だけだ。

それで、私は自分の友人たちとのグループラインを思い出してみたりするんだけど、そういえば話を遮ってまで突然子どもの写真を送ってくる人はいないなーと思った。脈絡あって写真が送られてくることは普通にある。でも、突然はない。延々と続く愚痴も自慢も、ない。もちろん子どもの話題は当然のように普通にあるけど、「今なんの時間?」という、あの謎の子育て自慢愚痴大会は繰り広げられない。
(子持ちの方は、この謎の時間に気づかないのかもしれない。なぜなら、ママ友と呼ばれる人たちの間では、おそらくこれがデフォだから。それが悪いといってるのではない。ただ、子持ちの方と話していると、多かれ少なかれ「何を聞かされてるの?」という時間はたしかにある。私はあなたと話しているのであって、〇〇ちゃんママと話しているのではないんですけど、という時間。既婚未婚問わず、子どものいない人はわかってくれると思う)

私は子どもが好きだから、近所のお子ちゃまたちもめちゃくちゃかわいいし、保育園の散歩とか眺めてると顔がデレデレになっちゃうし、甥っ子姪っ子もかわいいし、友達の子どもたちもかわいい。だから、友達の子どもたちに流行ってるらしい美容グッズを買ってあげたり(ちゃんとママに了解をもらっているよ!)、読んでくれてると知れば自著のサイン本を送りつけたりしている。姪っ子のほしいものには夫婦そろって金に糸目はつけない(おじおばであるのをいいいことに、甘やかしている)。だから、別に子どもの話が嫌だ、とか、そういう話ではないというのは言っておきたい。

ただ、私の友人たちは、グループラインで突然脈絡なく子どもの写真を貼って、子育ての自慢なのか愚痴なのかわからない苦労話を延々する人はいないなーと思った。

何が違うのだろう……
とか考えていたんだけど、私の友人たちは、「個」の彼女たちとして、会話しているのだ、とふと気づいた。

もちろん、結婚してるから、妻としての立場もある。妻としての苦労話を聞くこともある。みんな子どもがいるから、もちろん母としての立場もある。それぞれに、完全に超順調な子育てなんてなくて、みんな悩みながら頑張っていることは知っている。でも、そんな中でも、彼女たちは「個」があるなぁ……と思ったりした。

どうしてこんなことを急に思ったかというと、Xで知人が「子育てしてると、子育てしかしてなくて、話題が子育てしかなくなる」のような発言をしていたから。

ほほお……と、うなってしまった。
Xでつぶやいてた方は、非常に関心事が多く、アンテナも広く、賢く、聡明な方なので、子育て以外の話題がない、なんてことはぜんぜんないんですけどね。だからこその、焦りなのかもしれませんけど。

思い返すと、私の友人たちは、子育て中でも、子育て以外の話題があるし、ずっとあった。「個」としての、彼女たちの何かしらの関心事がある。子育て愚痴自慢大会を披露しないのは、その違い?と思ったりした。

もちろん子育て中は、子育てが第一だし、子育てしかしていないくても悪いことじゃない。子ども第一なのは、それは友人たちも同じ。けっして、子どもとの時間をないがしろにしているとかじゃない。結婚前からみんな友達だから、結婚、妊娠、出産、成長と見てきたから、子どもの年齢的なものだけじゃない。経済的・時間的にものすごい余裕があってセレブ、とかでもない。等身大の苦労をしながら、共働きで子育てしながら、それぞれならではの楽しみ方で、「個」を楽しんでいる気がする。

たとえば、「最近、推してるピアニストがいて、時間あるときにYouTubeで聴いてる。やっぱりクラシックが好き」とか、独身時代から好きだった陶器(食器だったかな?)をまた少しずつ集めている、とか。転職してキャリアアップしたりとか。子育てにまったく関係のない、彼女たちだけの楽しみ。

だから、私ともずっと仲良くしてくれているのかもしれない、とも思った。私には「母」の役割がない。子どもがいないから。だから、子育ての苦労はわからないし、大変さも知らない。でも、友人たちは「母」としての私は別に求めていない。「個」の、私自身と仲良くしてくれているから、私が子育ての苦労話を持っていなくても、何時間でもおしゃべりできるのかもしれない。

もしかしたら、私に子どもがいないから、子育ての話題を避けてくれているのか?ということもよぎるけど、みんな子連れで一緒にBBQとかやるから、そういうわけでもないと思ったりもする。気を遣って「あの子の前で子どもの話はやめよう」なんて関係じゃ、こんなに長いこと友達やっていられない気もするし。

何が言いたいのかわからなくなってきてしまった。

つまりは、「母」という役割をもちながらも「個」としての存在を持っている彼女たちが、私は好きだなーと思ったんでした。そして、役割関係なく、同じく「個」として存在している私のことも尊重してくれていることが、うれしいなって思ったりしたんだ。

私は、「娘」だし「妻」だし「嫁」でもあるけど、「個」の私として存在していたい。そして、「個」の私を尊重してくれる人と仲良くしていたい。友人たちのことも、そうみていたい。私に「母」の役割がなくても、何の問題もない。どの役割をおりても、私が私であることに変わりはない。

でも、もしかしたらこれは、とてもわがままなことなのかもしれないとも思った。わがままで、無責任。自己中心的な考え方。

とも思うけど、自分の、唯一の、たった一回の人生なんだから、わがままに生きていいんじゃないの?とも思う。

あと、うちの夫はよく独身と思われるらしい。夫が外で「夫」の役割と関係なく「個」として存在していることもまたうれしいなーと思うのでした。




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秋谷りんこ(あきや・りんこ) おもしろいと思っていただけましたら、サポートしていただけると、ますますやる気が出ます!