小説:老人ホーム デスゲーム6
6
詰所では、イワオさんがセツコさんの車椅子の横でじっとしていた。イチカちゃんはデイルームのほうを見張っている。リクは一人の男性をなだめている。それは、少し若返ったシゲルさんだった。
「殺すつもりはなかったんだ。殺した記憶もねえ。本当に俺がやったのか? なあ、俺がやっちまったのか?」
「どうした?」
ハルトが声をかける。
「カズコさんが自分で歩ける状態だったんで、奥で争っていたシゲルさんとヒロシさんのところへ行ったんです」
リクが説明する。
「そしたら、ヒロシさんは床に倒れていて、包丁を持ったシゲルさんが呆然としたまま立っていました。たぶんもみ合っている間に……」
「なあ、でもあんた、見たわけじゃないんだよな? 俺が刺すところを見たわけじゃないよな?」
シゲルさんは、ヒロシさんともみ合いのすえ、ヒロシさんを殺してしまったらしかった。しかし、若返った今、殺してしまったときの記憶がないようだ。真っ青な顔をして、今にも倒れそうだ。
「シゲルさん、しっかりしてください。寿命を奪ってしまう前のあなたは認知機能に問題があったんです。それを今悔やんでも仕方ない。今は、現状を把握してもらって、生き残ったみんなで協力するのが先です!」
リクは、いつも通りの正論を発した。四角い黒ぶちの眼鏡をくいっと持ち上げながら、ずばりと言う。頭がいいリクは、いつも正論だ。正論は、文字通り、正しい。しかし、正論が暴力になるときも、ある。
「あんた人を殺したことあんのか? ねえだろう? ヒロシのやつ、あんなに血が出て、かわいそうに。痛かっただろうな。それを自分がやったとなると、認知症だったから仕方ない、なんてきれいごとで済ませられるか?」
「今みたいな異常な状況下では仕方ないこともあります。そもそも、刑法39条では、心神喪失者の行為は罰しないことになっています」
リクはまた眼鏡をくいっとあげながら、はっきりと言った。
「そういうことを言ってるんじゃない。心神喪失者の行為は罰せられないとしても、今は心神喪失者じゃなくなった。それなら、俺はどうなる? ああ、どうせなら自分で自分がわからないうちに、ヒロシに殺されてしまえば良かった。だんだんと物忘れが激しくなっていったときも恐ろしかったけれど、何もわからないうちに人を殺してしまうなんて、もっと恐ろしい……」
シゲルさんは、認知症を患う前、若いときは有名なプログラマーだったらしい。その世界では知らない人はいないほど、優秀な人だったらしい。そんな人だからこそ余計に、自分の記憶や認知が低下していくことは、恐怖だったのだろう。僕にもまだわからない。でも、いつかは感じることなのかもしれない。誰だって、いつまでも若いなんてことはないのだから。
「いつまでもウジウジ言わないでください。混乱しているのは、職員も同じなんですから」
リクがぴしゃりという。シゲルさんは一応黙った。でも、納得しているようには見えなかった。
「あのお、本当にすみません」
おずおずと言い出したのは、中年の女性だった。血に汚れた包丁を持ったまま、車椅子の横に立っている。車椅子に座っているのはサチコさんで、血まみれでたぶん死んでいる。中年の女性は、カズコさんだった。
「私が、このサチコさんを殺してしまったみたいです……どうお詫びをしたらいいものか」
カズコさんは申し訳なさそうに言った。
「殺してしまっておいてあれなんですけど、そのまま置いておくのが忍びなくて、連れてきてしまいました」
ぐったりしたまま動かないサチコさんは、血まみれで車椅子に座っている。
「お詫びも何も、今こんな状況じゃ仕方ないこともあります」
ハルトが落ち着かせるように言った。さっきリクも言っていたが、混乱状態の中で間違って刺してしまったとしても、仕方ないとしか言いようがなかった。誰も責めることはできない。
「その代わりといってはあれなんですけど、あの、細っこい男のほうを失神させておきました」
カズコさんが小さな声で続ける。
「え?」
デイルームを見ると、腕を組んで成り行きを見守っていた大男の奥で、猿男が倒れていた。
「あれを、カズコさんが?」
「はい。私、若い頃に女子プロをやっていたんです」
「ええ!」
みんな驚いた。物腰の柔らかい穏やかな女性で、プロレスというイメージはなかった。たしか、成育歴にも書いていなかった気がする。
「ほんのちょっと趣味でやっていただけなんですけど」
カズコさんが小さな声で言った。それでも、一人であの男をKOしてしまうのはすごい。
「あの男は殺していません。もう、認知症がすっかり治ってしまったみたいに意識がすっきりしているんです。それで、サチコさんを殺してしまったことを自覚して。だから、もう人殺しなんてしたくない、と思って。あの男が悪党なんですよね? でも、殺せませんでした」
カズコさんは、小さく震えていた。認知症の最中であったとしても、人を殺してしまったことに恐怖しているのだ。
「カズコさんが悪いのではありません。あいつらが悪いのです。あなたは被害者です」
ハルトが優しく、それでいて強く断言した。カズコさんがサチコさんを殺してしまったことは変えようのない事実だ。でも、今はそれを責めても仕方ない。ハルトはそれよりも早くこの状況を打破しなければならないと考えているのだろう。
「でも……」
カズコさんが言いにくそうに続けた。
「認知症であっても、あの男の言っていることをうっすらと理解していた気もするんです。誰かを殺せば寿命を奪えるって。私、それを分かったうえで、サチコさんを殺してしまった気がするんです。だから、やっぱり私の意思で殺してしまった。認知症なんて、言い訳だったんじゃないかと……」
カズコさんの声が震える。ハルトはカズコさんの肩に手をやり、首をふった。
「今はそんなこと、考えなくていいんです。自分が助かる道を考えましょう」
カズコさんは、小さくうなずいた。
そこへ、ユイちゃんが詰所に入って来た。何も知らない、穏やかな口調で言った。
「受付、誰もいないんだけど、何かあったの?」
いいなと思ったら応援しよう!
おもしろいと思っていただけましたら、サポートしていただけると、ますますやる気が出ます!