考察丨傷ついた人間の人生は、怒りの向きで分岐する
Netflix『地獄に堕ちるわよ』を観ていて、不思議な感覚になりました。
細木数子という人物に憧れたわけではありません。
でも、ドラマを観ているうちに、何度も思いました。
「もし怒りの向け先が違っていたら、私もこうなっていたのかもしれない。」
そんな感覚になったのです。
■ 共通の出発点は、理不尽だった
このドラマを観ながら、
何度も「これは他人事じゃない」と思いました。
もちろん、生きてきた時代も環境も違います。
それでも、
人生の出発点にある景色が、どこか自分と重なって見えたのです。
幼少期の苦労。
無垢だったからこそ、大人に利用されること。
男性に騙されること。
借金を背負うこと。
世間の理不尽や、人の欲に巻き込まれていくこと。
「なんでこんな目に遭うんだろう。」
そんな問いを抱えながら生きてきた時間に、
不思議なくらい共通点を感じました。
特に印象に残ったのは、家族の描かれ方です。
細木数子の母親は、戦後の混乱の中で子どもたちを女手一つで育て上げた苦労人として描かれていました。
娘を心配し、支えようとしている姿もあり、決して悪い母親として描かれているわけではありません。
けれど、その一方で、数子が何かを決断するたびに口を挟み、人生へ踏み込んでくる場面も少なくありませんでした。
その距離感が、私には実母を思い出させました。
悪意ではない。
でも、娘を一人の人間として信じて任せることもできない。
その息苦しさに、
私はどこか既視感を覚えてしまったのです。
そして、姉妹弟との関係も胸に残りました。
数子が稼ぎ、家族を支えている間は、
その恩恵を受ける。
けれど、不満が積み重なると、
一転して数子を責める側へ回る。
もちろん、数子自身にも問題はあったのでしょう。
でも私には、家族もまた数子へ依存し、その関係性の中で利益を受け取りながら、関係が崩れた途端に彼女一人へ責任を集めているように映りました。
その構図が、
自分の家族関係と重なって見えたのです。
私はこれまで、家族というものは無条件に味方でいてくれる存在だとは思えませんでした。
必要なときには頼られ、
都合が悪くなると責められる。
そんな関係の中で育ってきたからです。
だから私は、世間が見る「細木数子」という強い女性ではなく、その奥にいた、誰にも理解されず孤立していく一人の人間へ、強く目が向いてしまいました。
■ 私たちは、そこで分かれた
でも、その先は違いました。
『地獄に堕ちるわよ』の中の細木数子は、
「だったら、この世界ごと喰ってやる。」
そんな勢いで、怒りを外へ向けていました。
傷つけられた怒り。
奪われた怒り。
見下された怒り。
理不尽に踏みにじられてきた人生を、
『そのまま終わらせるものか』という執念。
その怒りを武器にして、
人の上へとのし上がっていく。
彼女は、怒りを燃料に生きる人だったのだと思います。
一方、私は逆でした。
私は怒りを外へ向けることができませんでした。
理不尽なことが起きても、
「私が悪いんじゃないか。」
「私の努力が足りないんじゃないか。」
「もっと頑張れば、きっと分かってもらえる。」
そうやって、
原因をいつも自分の中に探していました。
人を責める代わりに、自分を責める。
人を傷つける代わりに、自分を削る。
気づけば、その生き方が当たり前になっていました。
だから私は、人に利用されても怒れませんでした。
騙されても、自分を責めました。
傷つけられても、
「私が悪かった」と納得しようとしました。
怒りを感じない人だったわけではありません。
感じることさえ、自分に許していなかったのです。
だから私は思います。
どちらが正しいという話ではありません。
怒りを外へ向ける人。怒りを内へ向ける人。
その違いだけだったのかもしれません。
どちらも、生き延びるために身につけた方法です。
ただ、その方法が、その後の人生を大きく分けた。
■ 未来の自分を見ている気がした
私は昔、細木数子という人が苦手でした。
子どもの頃は、ただ気が強くて怖い人。
そんなイメージしかありませんでした。
でも今回ドラマを観て気づいたのです。
私が見ていたのは、
単なる「怖い人」ではありませんでした。
「こんなふうに強く生きてみたかった」という憧れ
「何か一つ間違えたら、自分もこうなってしまうかもしれない」という恐怖
その両方だったのです。
もし私が、自分の怒りを外へ向けていたら。
もし傷つく前に、人を傷つけることで自分を守る生き方を選んでいたら。
私の人生も、違う景色になっていたのかもしれません。
そして、
最近の私は少しずつ自分軸を取り戻してきました。
これまで押し殺してきた怒りを認め、
「嫌だ」と言えるようになり、
自分の境界線を引けるようにもなってきました。
それは回復です。
でも同時に、怒りという感情を初めてまともに扱う時期でもあります。
だからこそ、少し怖くなりました。
もし、この怒りを誰かを傷つけるための力に変えてしまったら。
もし、正しさを振りかざして、自分を守るために他人を切り捨てるようになってしまったら。
その先には、ドラマの中の細木数子と重なる景色があるのかもしれない。
そんな未来を見せられているようでした。
だから私が受け取った教訓は、
怒りを否定することではなく、怒りに飲み込まれないこと。
それが、この作品を観て一番強く心に残ったことでした。
■ 最後に
私が共感したのは、テレビで見る細木数子でも、
成功した細木数子でもありません。
傷つき、理不尽に翻弄され、それでも必死に生き抜こうともがいていた、一人の少女でした。
そして、その少女が選んだ生き方は、
私にとって大きな教訓でもありました。
怒りは、
大きな力になる
人を動かすこともできる
社会へ影響を与えることもできる
時には、その怒りが人生を切り開く原動力になることさえあります。
でも、その力は強すぎるがゆえに、
相手だけではなく、自分自身まで焼いてしまう。
私は、それを細木数子の人生から見た気がしました。
だから私は、怒りを否定したいわけではありません。
怒りがあったからこそ、自分を守れた瞬間もありました。
怒りがあったからこそ、理不尽に「おかしい」と言えたこともありました。
でも私は、怒りだけを燃料にして生きていきたくはありません。
私が目指したいのは、
誰かに勝つ人生でも、
誰かを見返す人生でもない。
理不尽だった過去も、悲しみも、傷も、後悔も、すべて自分の人生の一部として受け入れ、その上で、自分らしく生きる人生です。
過去を否定せず、怒りにも飲み込まれず、
その経験ごと抱えて前へ進む。
そんな生き方を選びたい。
それが、この作品を観て、私が一番強く受け取った教訓でした。

