わたしという建物の、無数の扉
人間には、シャッターがついていると思うことがある。
いや、シャッターというよりは、無数の扉、と言い換えた方が正確かもしれない。
私という人間は、一つの建築物のようなものだ。
構造体は一つ。
紛れもなく「わたし」という意識がそこにある。
しかし、その建物には、実にさまざまな様式の扉が取り付けられている。
重厚な樫の扉、すりガラスの引き戸、触れれば開きそうな自動ドア、あるいは錆びついて鍵穴さえ見えないような鉄の扉まで。
そして、どの扉が開くかは、私の前に立つ相手によって、あるいはその時の状況によって、驚くほど変わってしまうのだ。
自分では意識して「この扉を開けよう」と決めているわけではない。
むしろ、相手が持つ目に見えない鍵が、私の特定の扉の鍵穴に差し込まれ、カチリと音を立てる感覚に近い。
その結果、ある人の前では饒舌になり、ある人の前では寡黙になる。
ある人には優しくなれ、ある人には棘のある言葉を返してしまう。
この、相手によって引き出される「わたし」の違いに、時折、自分がひどく曖昧な存在のように感じられて、戸惑うことがある。
✅無意識に開閉する扉
私たちは、多かれ少なかれ「演じている」部分を持っている。
社会的な仮面(ペルソナ)を使い分けるのは、集団生活を営む上で必要なスキルだろう。
しかし、私がここで語っている「扉」は、そうした意識的な使い分けとは少し次元が違う。
それはもっと、生々しく、無防備な反応だ。
たとえば、厳しい批判を恐れる上司の前では、私の「防御と迎合」の扉が開く。
そこから現れる私は、過剰に空気を読み、当たり障りのない意見を並べ、決して本音を漏らさない。
自分でもつまらない人間だと思うが、その扉は半自動的に開いてしまうのだ。
ところが、学生時代からの旧友と向かい合えばどうだろう。
まるで堰を切ったように「弛緩と無防備」の扉が全開になる。
言葉は乱暴になり、くだらない冗談で涙が出るほど笑い、時には自分の弱さや愚かさを何のてらいもなく晒け出す。
上司の前にいる私とは、まるで別人のようだ。
初対面の人と会う時。
そこでは「探り合いと体裁」の小さな窓が少しだけ開く。
相手の出方を見ながら、どの扉を開くべきか、建物全体が息を潜めているような緊張感がある。
また、懐かしい故郷の風景や、ふと耳にした古い音楽が、自分でも忘れていた「郷愁」という名の古い扉を、不意に開けることだってある。
これらは、相手や状況という「鏡」に映し出されることで、初めて立ち現れる「わたし」の側面だ。
相手が持つ光の角度によって、私の建築物はまったく異なる陰影を見せる。
相手が発する周波数が、私の特定の扉を共鳴させ、開かせてしまう。
だから、私は私の意志だけで「わたし」であるわけではない。
私の半分は、他者によって形作られていると言っても過言ではないのだ。
✅他者の目に映る「わたし」という断片
この「扉の開け分け」がもたらす、最も不可解で興味深い現象。
それは、他者からの評価のズレだ。
「あなたは本当に冷静な人ね」
ある人からそう評された数日後、別の人からこう言われる。
「君みたいに情熱的で、すぐ熱くなる人も珍しいよ」
どちらも、嘘ではない。
冷静な私を引き出す扉を開けた人と、情熱的な私を引き出す扉を開けた人がいる、というだけのことだ。
しかし、言われた本人は混乱する。
「本当の自分はどちらなのだろう?」と。
私たちは、他者という鏡を通してしか、自分の姿を確認できない。
だが、他者が見ているのは、その人が開けることのできた扉の向こう側、つまり「わたし」という建物の、ある特定の一室に過ぎない。
南向きの明るいリビングだけを見て「あの建物は陽気だ」と評する人もいれば、北側の暗い書庫だけを見て「あの建物は陰鬱だ」と評する人もいる。
人々は、その断片的な印象を繋ぎ合わせ、「あの人とはこういう人間だ」と結論づける。
そして、私自身もまた、他人に対して同じことをしている。
その人の、ほんの一面、自分が開けることのできた扉の向こう側を見ただけで、その人のすべてを理解した気になっている。
なんと傲慢で、なんと滑稽なことだろう。
だから、「わたし」が他者にどう理解されているかなど、本当は誰にもわかりはしないのだ。
私が見せる顔のすべてを知る人はいない。
私自身でさえ、自分のすべての部屋を把握しているわけではないのだから。
この理解しきれないという事実に、かつては底知れぬ孤独を感じたものだが、今は少し違う感覚を持っている。
✅すべての扉の向こう側
もし仮に、人間がたった一つの扉しか持たない、単純な平屋建てだったとしたら。
誰に対しても同じ顔、同じ態度、同じ言葉しか持たないとしたら。
それはある意味で「誠実」であり、わかりやすいかもしれない。
しかし、それはなんと退屈な世界だろうか。
複雑な構造を持ち、無数の扉が隠されているからこそ、人間は面白いのだと思う。
この人となら、どの扉が開くだろう。
この人の、まだ見たことのない部屋を覗いてみたい。
あるいは、この人となら、自分でも知らなかった自分の扉が開くかもしれない。
人間関係の豊かさとは、その「開け合い」のプロセスそのものにある。
相手の警戒心を解き、思いがけない素顔を引き出せた時の喜び。
自分の新たな一面を、誰かによって引き出された時の驚き。
私たちは、生涯をかけて「わたし」という建物の内覧を続けていくのかもしれない。
他者の力を借りながら、一つ、また一つと、未知の扉に手をかけていく。
そして、今この瞬間も、まだ開かれたことのない扉が、私の奥深くで静かに佇んでいる。
それは、どんな衝撃で開くのだろう。
あるいは、誰がその鍵を持っているのだろう。
もしかすると、その最も重い扉を開ける鍵を持っているのは、他の誰でもない、自分自身なのかもしれない。
その扉の向こう側に何があるのか、それを見届けるまで、私たちは歩みを止めるわけにはいかないのだ。
あなた自身の、その固く閉ざされた扉の向こう側にも、まだ見ぬあなたが息を潜めている。
そうは思わないだろうか。
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