静かなる略奪者
世の中には、驚くほど無邪気な顔をして、他人から何かを奪っていく人々がいる。
彼らは決して、強盗や詐欺師のような荒々しい手口を使わない。
むしろ、その多くは人当たりが良く、物腰も柔らかで、ともすれば「か弱い存在」として私たちの前に現れる。
そして、人の心の最も柔らかい部分、すなわち「親切心」や「良心」といったものに、そっと手をかけるのだ。
彼らは、自分が「悪意を持って」何かを奪っているとは微塵も思っていない。
それが彼らの厄介なところだ。
ただ、「この人なら大丈夫」「この人なら許してくれる」という甘えが、いつしか「この人なら断らない」という確信に変わる。
そして、こちらの「ノー」と言えない弱さを見透かした上で、自分の願いを巧みに遂行する。
わたしは、そういう人々が嫌いだ。
苦手、という生易しいものではなく、はっきりと嫌悪している。
なぜなら、彼らはいつも、こちらの良心を人質にとるからだ。
彼らの要求を拒絶することは、まるで自分が冷酷で非情な人間であるかのように感じさせられる。
その罪悪感を巧みに利用し、彼らは自分の欲しいものを手に入れていく。
時間、労力、精神的なエネルギー、そして時には、金銭やチャンスまでも。
✅日常に溶け込む「甘え」という毒
彼らの「略奪」は、非常に些細なところから始まる。
例えば、知人のAさんがそうだ。
彼女はいつも「ちょっとだけお願い」と言って私に頼み事をする。
「ごめん、今手が離せなくて」「あなたの方が得意だから」と、こちらの自尊心をくすぐる言葉を添えることも忘れない。
最初は、ほんの数分の作業だった。
資料の誤字を探す、少しだけ荷物を持つ。
もちろん、困っているなら助けたいと思う。
その小さな親切が、彼女にとっての「成功体験」となる。
次に彼女が頼んできたのは、もう少し手間のかかることだった。
週末に使うプレゼン資料の作成を手伝ってほしい、と。
わたしには別の予定があったが、「あなたしか頼めないの」という言葉に、結局は自分の時間を削って手伝ってしまった。
彼女は満面の笑みで「ありがとう、本当に助かった!」と言った。
その笑顔が、私のわずかな抵抗感を麻痺させた。
問題は、その次からだ。
彼女の「お願い」は、次第に「要求」へとその輪郭を変えていった。
手伝うのが当たり前、わたしの時間を割くのが当然、というかのように。
感謝の言葉は次第に簡略化され、断ろうとすると、あからさまに不機嫌な顔をする。
「冷たい」「友達だと思ってたのに」。
その言葉は、見えない棘となってわたしを刺す。
彼女は、わたしの「断れない」性質を正確に見抜いている。
わたしが「良い人」でありたいという、脆い願望に依存していることを知っている。
だから彼女は、今日も無邪気な顔で、わたしの時間を、労力を、そして「親切にしなければ」という義務感に疲弊していくわたしの心を、少しずつ奪っていく。
それは、日常に溶け込んだ、甘くコーティングされた毒のようだった。
✅善意が「弱さ」に変わる時
Aさんのような日常的な侵食なら、まだ距離を置くことで対処できるかもしれない。
だが、もっと深刻なのは、こちらの善意そのものを踏み台にして、より大きなものを奪っていく人々だ。
職場の同僚だったBさんは、まさにそのタイプだった。
彼は非常に優秀で、野心家でもあったが、同時に信じられないほど「他者を利用する」ことに長けていた。
彼はプロジェクトチームで一緒になると、決まってわたしにこう言った。
「この部分は、君の繊細な感覚が必要だ」「僕にはとても真似できない」。
そう言って彼が押し付けてくるのは、最も地味で、時間のかかる、しかしプロジェクトの根幹をなす重要な作業だった。
わたしは、自分の能力が認められたような気がして、つい「任せてください」と言ってしまう。
その一方で、彼は華々しいプレゼンテーションの準備や、上層部への根回しに奔走する。
結果として、プロジェクトが成功すると、脚光を浴びるのは決まってBさんだった。
「彼の素晴らしいアイデアとリーダーシップのおかげだ」と。
わたしが夜を徹して仕上げた膨大なデータや分析は、彼の功績の「土台」として、誰の目にも触れない場所で静かに横たわっているだけだ。
彼がわたしの名前を口にすることは、ほとんどなかった。
わたしが抗議めいたことを口にしようものなら、彼は心底驚いたような顔で言う。
「何を言っているんだい? 僕たちは『チーム』だろう? 君も成功を喜んでくれていると思っていたよ」。
この瞬間、わたしの善意は「弱さ」へとすり替えられる。
チームのために尽くしたはずの行動が、自分の手柄を主張できない「小心者」の行動として矮小化される。
彼は、わたしの「組織への忠誠心」や「波風を立てたくない」という思いやりを逆手に取り、わたしの成果を丸ごと奪っていったのだ。
断れば「チームの和を乱す人間」というレッテルを貼られる。
その恐怖が、わたしを沈黙させた。
✅静かなる共犯者
わたしは、彼らが嫌いだ。
人の親切心を土足で踏み荒らし、それを自分の利益のために利用する、その無自覚な(あるいは、無自覚を装った)残酷さが許せない。
断れないこちらが悪いのだ、と自分に言い聞かせようとしても、心の奥底では、やはり彼らへの怒りが渦巻いている。
だが、と最近思うのだ。
わたしが本当に嫌悪しているのは、彼ら自身だけなのだろうか、と。
わたしが彼らを嫌うのは、彼らが「奪う」からだけではない。
彼らが、わたしの「断る勇気のなさ」を、いとも簡単にあぶり出してしまうからではないか。
彼らの存在は、わたしが「良い人」という仮面を被り続けるために、どれだけ自分自身を犠牲にしているかを突きつけてくる鏡なのだ。
そして、もっと恐ろしいことに、気づいてしまった。
わたしもまた、別の誰かにとっての「奪う人」ではないのか、と。
夫の優しさに甘えすぎてはいないか。
親の気遣いを当たり前のものとして享受してはいないか。
後輩の「イエス」を、その真意も確かめずに受け取ってはいないか。
「この人なら大丈夫」という、あの無邪気な略奪者たちと同じ思考で、誰かの親切心の上に胡坐をかいてはいないか。
奪う人と奪われる人の境界線は、私たちが思っているほど明確ではないのかもしれない。
私たちは皆、状況によって、相手によって、奪う側にも奪われる側にもなり得る。
わたしは今日も、Aさんからの「お願い」のメッセージに、すぐには返信ができずにいる。
ここで「できない」と打てば、この息苦しい関係から抜け出せるかもしれない。
だが、同時にわたしは、自分が誰かに「ちょっとお願い」と打ちかけては、消している。
私たちは皆、誰かに依存し、誰かを利用し、そして誰かに親切を施すことで、この不安定な社会のバランスをかろうじて保っている。
だとしたら、あの静かなる略奪者たちを、わたしは本当の意味で断罪できるのだろうか。
それとも、わたしは彼らの行いを黙認することで、この「奪う―奪われる」という構造を維持し続ける、静かなる共犯者にすぎないのだろうか。
答えは、まだ見つからない。
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