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記憶・・・。2丁目角にあったやきとり屋さん

人の記憶というものは、実にあやふやで、都合の良いように書き換えられてしまうものらしい。
脳科学の本で読んだ受け売りの知識だが、四十を過ぎたあたりから、その言葉の意味を肌で感じるようになった。
楽しかった思い出はより輝きを増し、辛かったはずの出来事は、いつの間にか喉元を過ぎて、どこか遠い国の物語のように色褪せていく。

だが、そんな曖昧な記憶の霧の中でも、ふとした瞬間に、まるで昨日のことのように鮮やかに蘇る感覚がある。
それは匂いであったり、音であったり、舌の上に再現される微かな味であったりする。
私にとって、それは決まって夕暮れ時の煙の匂いと、香ばしいタレの焦げる香りだ。
その香りに誘われるように、私の意識は決まって、あの二丁目の角へと引き戻されるのだ。
もうとうの昔に更地になり、今では洒落たコインランドリーが建っている、あの場所へ。


✅50円の鶏皮串

あれは、確か中学一年生の夏だったと記憶している。
思春期という言葉の意味もまだよく分からぬまま、ただ、大人への階段を一歩だけ踏み入れたような、誇らしさと不安が入り混じった奇妙な高揚感だけがあった。
その高揚感の具体的な証が、親から毎月支給されるようになった三千円のお小遣いだった。

運動部に入った私の体は、常に飢餓状態にあった。
授業が終わる鐘の音は、すなわち、空腹との戦いの始まりを告げるゴングでもあった。
練習で絞り尽くされた体に鞭打ち、自転車のペダルを漕いで家路につく頃には、腹の虫がオーケストラを奏でる始末。
家に帰れば母が用意してくれた白米が炊飯器に待っていることは知っていたが、働き詰めの母が帰宅するのは、いつも夜が更けてから。
その間をどう凌ぐか。
それが、当時の私にとって最も重要な課題だった。

三千円という予算は、成長期の食欲を満たすにはあまりに心許ない。
百円の菓子パンを一つ買えば、それなりの満足感は得られる。
だが、それではどこか物足りないのだ。
甘いパンではなく、もっとこう、体の芯に響くような、塩気と旨味を欲していた。

そんな私の救世主が、二丁目の角にあった古びた焼き鳥屋だった。
店主は、50歳代ぐらいであろう、無口で、いつも眉間に深い皺を刻んだおじさんだった。
白いねじり鉢巻から覗く髪はほとんど白く、油と煙で燻されたであろう顔は、まるで年季の入った革製品のようだった。
おじさんは、客が来ようが来まいが、黙々と串を打ち、黙々と炭火の上でそれを転がしていた。

その店のメニューの中で、私が唯一、気兼ねなく注文できたのが「鶏皮串」だった。
一本、五十円。
ジュージューと音を立てて焼かれる鶏皮から滴り落ちる脂が炭に落ち、白い煙と香ばしい匂いが立ち上る。
おじさんは、焼き上がった串を無造作にタレの壺に浸し、手際良く皿に乗せて「ほらよ」とぶっきらぼうに差し出す。
その一連の所作には、一切の無駄がなかった。

私はその五十円の宝物を二本、大事に油紙に包んでもらい、急いで家に帰る。
そして、まだ温かい炊飯器の蓋を開け、湯気の立つ白米を茶碗によそうと、その上に鶏皮串を乗せるのだ。
甘辛いタレが染みたご飯と、カリカリに焼かれた皮の食感、噛むほどに滲み出る脂の旨味。
私はそれを、まるで飲み物のように胃袋へと流し込んだ。
それは、空腹を満たすためだけの行為ではなかった。
母の帰りを一人で待つ、あの薄暗い台所の静寂を埋めてくれる、大切な儀式だったのだ。

✅50歳になったわたし

月日は流れ、私は五十歳になった。
あのおじさんと同じように、眉間に皺を寄せることが多くなった年齢だ。
いつの間にか二丁目の角の焼き鳥屋は姿を消し、私の記憶の中にしか存在しない風景となった。
少年時代の私は、自分が将来、焼き鳥屋の店主になっているなど、夢にも思わなかっただろう。

人生とは面白いものだ。
大学を出て、一度は全く別の業界に就職した私が、紆余曲折の末に辿り着いたのが、このカウンターだけの小さな焼き鳥屋だった。
脱サラして店を持つと決めた時、周囲は無謀だと呆れたが、私の中には奇妙な確信があった。
なぜ焼き鳥だったのか。
自分でも明確な答えはなかったが、ただ、あの煙の匂いと、炭火の温かさが、ずっと心のどこかに燻り続けていたのかもしれない。

私の店は、ありがたいことに、それなりの人気店になった。
食材にこだわり、塩にこだわり、一本一本の串に心を込める。
特に鶏皮にはうるさい。
脂の落とし方、焼き加減、タレの絡ませ方。
客からは「ここの鶏皮は絶品だ」と褒められることもある。
そのたびに、私は心の中で、あの無口なおじさんに語りかける。
「あんたの足元にも及ばないよ」と。

人には様々な青春の形があるだろう。
甘酸っぱい恋愛、部活に捧げた汗と涙、仲間と語り明かした夜。
だが、私にとっての青春は、あの煙と、おじさんの背中と、五十円の鶏皮串だった。
貧しかったが、満たされていた。
単純だったが、豊かだった。そんな気がしてならないのだ。

成功した今、私は本当に満たされているのだろうか。
家族もいて、店も順調で、何不自由ない暮らしをしている。
それでも時々、あの頃の、どうしようもないほどの空腹感と、それを満たしてくれた一本の串が持つ絶対的な幸福感を、無性に懐かしく思うことがある。
失われた風景と、もう二度と味わえないあの味。
それが、私の原点であり、永遠の憧れなのかもしれない。

✅まとめ

私の店に、週に二、三度は顔を見せる常連のおじいさんがいる。
歳は七十代後半だろうか。
いつもカウンターの隅に静かに座り、熱燗を二合と、決まって数本の焼き鳥を注文する。
派手に喋るわけでもなく、ただ、ゆっくりと酒を飲み、目を細めて串を味わっている。

そのおじいさんが、特に好んで注文するのが鶏皮串だった。
彼は、私の焼いた鶏皮串を一口食べると、いつもふっと息を吐き、遠くを見るような目をする。
私は、ただの焼き鳥好きのおじいさんなのだろうと、特に気にも留めていなかった。

ある晩、店が少し落ち着いた時、そのおじいさんがぽつりと言った。
「大将の焼く鶏皮は、懐かしい味がするなあ」 私は「ありがとうございます」とだけ返した。
客からのよくある賛辞だと思ったからだ。
しかし、おじいさんは続けた。
「昔、わしも二丁目の角で小さな店をやっててね。その頃の味を思い出すよ。やり方は違うんだが、なんだか根っこが同じような気がしてな」

その言葉を聞いた瞬間、私の体中の血が逆流するような感覚に襲われた。
まさか。
そんな奇跡のようなことがあるだろうか。
目の前で静かに微笑んでいるこの老人が、あの? 私の青春そのものだった、あの無口で気難しそうだったおじさんだというのか。

顔をまじまじと見つめる。
確かに、面影があるような気もする。
だが、私の記憶の中のおじさんはもっと険しい顔をしていたし、何より三十年以上という歳月が、人の顔を大きく変えてしまう。

「そうだったんですか。二丁目の角というと…」 そこまで言いかけて、私は口を噤んだ。
これ以上、踏み込んではいけない。
もし、人違いだったら? もし、本人だったとして、それを確認してしまったら、何かが変わってしまうのではないか。

おじいさんから追加の注文が入る。
「鶏皮、塩で二本もらおうか」。
私は「へい、喜んで」と応え、震える手で串を掴み、炭火の上に乗せた。

青春の味だ、と心の中で呟く。
かつて私が救われた、あの青春の味。今、私はその味を再現し、そして、その味の創始者であるかもしれない人物に提供している。
私たちは、店主と客という関係で、静かに串を介して向かい合っている。

確認する必要などないのかもしれない。
真実は、時に知らないままでいる方が、豊かであることもある。
この奇跡のような巡り合わせを、このままそっとしておきたい。
私とこのおじいさんを繋ぐものが、本当にあの日の五十円玉だったとしても、そうでなかったとしても、今、この人が私の焼いた串を「懐かしい」と言って食べてくれる。
その事実だけで、もう十分ではないか。

私は何も言わず、ただ、最高の塩加減で鶏皮を焼き上げることに集中した。
パチパチと炭がはぜ、立ち上る煙の向こうで、おじいさんの皺の刻まれた顔が、満足そうにほころんだように見えた。


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