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あの夏の記憶は、今も私の心の奥底で、陽炎のように揺らめいている。
アスファルトを焦がす太陽の熱、耳を劈くような蝉時雨、そして、唐突に告げられた母の死。
すべてがあまりにも鮮烈で、まるで昨日のことのように思い出される。
五十歳という若さで逝ってしまった母。
その死は、私の人生の第一章に、否応なく終止符を打った。
そして、母が残してくれた一つの大きな愛の意味を、私が本当の意味で知るまでの、長く静かな物語の始まりでもあった。
これは、母の死から始まった、ある家族の崩壊と再生の記録であり、私が「人を愛する」という本当の意味を探し続けた日々の独白である。


✅予感もなかった突然の死

その日も、いつもと変わらない、うだるような暑い夏の一日だった。
会社のデスクでパソコンに向かっていると、見慣れない番号からの着信があった。弟からの、震える声だった。
「母さんが、倒れた」。
その一言が、私の日常を根底から覆すのに、時間はかからなかった。

病院の長く白い廊下は、消毒液の匂いと、不自然なほどの静寂に満ちていた。
先に着いていた弟と妹は、ただ呆然と椅子に座っているだけだった。
やがて、医師から告げられた言葉は、まるで遠い国の出来事のように、私の耳を滑り落ちていった。
現実感が、なかった。
涙すら出ず、ただ、目の前の光景がスローモーションのように流れていく。母のいない世界。
そんなこと、考えたこともなかった。

通夜も葬儀も、まるで他人事のように過ぎていった。
弔問客が口々にお悔やみの言葉を述べてくれるが、そのどれもが心に響かない。
ただ、空っぽの器になったような心が、そこにあるだけだった。
私たち三兄妹は、言葉を交わすことも少なく、それぞれがやり場のない空虚感を抱え、どう処理すればいいのかすら分からずにいた。

そんな私たち以上に、母の死という現実を受け入れられなかったのが、父だった。
いつも冗談を言っては母に窘められていた陽気な父は、日に日に寡黙になっていった。
食卓での会話はなくなり、代わりに酒の瓶が空になる速度だけが速まっていく。
その目は虚ろで、どこか遠くを見ているようだった。
父の心は、母と共に、どこかへ行ってしまったのだ。

そして、秋風が吹き始める頃、父は「少し、一人になりたい」という短い書き置きを残し、家を出ていった。
父が去った後の家は、がらんとして、命の灯火が消えたように冷え切っていた。その時、私ははっきりと悟ったのだ。
あの家を、私たち家族を繋ぎ止めていたのは、紛れもなく母だったのだと。
母という名の太陽を失った私たちは、それぞれの軌道を外れ、ただ宇宙を彷徨うだけの、孤独な惑星になってしまった。
家族という形が、音を立てて崩れていく音が、確かに聞こえた。

✅母の愛を知った

父が去り、弟と妹もそれぞれの生活へと戻っていく中で、私と妻、そして幼い子供たちが暮らす家だけが、私の最後の砦となった。
しかし、私の心は依然として深い霧の中にあった。
仕事から帰っても、ソファに沈み込むように座り、ため息をつくばかり。
そんな私の姿を、妻は黙って見守ってくれていた。

ある夜、妻が私の隣にそっと座り、静かに言った。「あなたまで倒れたら、この子たちはどうなるの」。
その声は、責めるでもなく、ただひたすらに優しかった。
ふと我に返り、リビングで無邪気に積み木で遊ぶ子供たちの姿が目に映る。
そうだ、私には守るべき存在がいる。
この子たちの笑顔を、私が曇らせてはいけない。

その瞬間、まるで堰を切ったように、母との記憶が蘇ってきた。
私が熱を出した夜、一晩中そばで看病してくれたこと。
運動会で一等賞をとった時、誰よりも喜んでくれたこと。
些細なことで喧嘩した弟と私の間に入り、両方の話を聞いてくれたこと。
食卓には、いつも母の作った温かい料理が並び、そこには家族の笑い声があった。

それらすべてが、母の愛だったのだ。
母は、特別何かを教えたり、大袈裟な愛情表現をしたりする人ではなかった。
しかし、その存在そのものが、私たち家族にとっての絶対的な安心感であり、揺るぎない土台だった。
母が毎日繰り返していた、掃除、洗濯、料理といった名もなき家事の一つ一つが、私たち家族を包み込む、温かく大きな愛の形だったのだと、失って初めて、愚かな私は気づいたのだった。

母が繋いでいた絆。
父が去り、兄妹が離れ離れになった今、その尊さが骨身に沁みた。
そして、私の腕の中で安心しきって眠る我が子の寝顔を見ながら、私は静かに決意した。
このままではいけない。
母が私たちに注いでくれたように、今度は私が、この子たちに惜しみない愛を注ごう。
私が、この家の太陽になろう。
母の分まで、いや、母から受け取ったこの愛を、次の世代へと繋いでいくのだ。
それは、暗闇の中で見つけた、一条の光だった。

✅わたしは人を愛する本当の事を知った

その日から、私の生活は一変した。
これまで妻に任せきりだった育児に、積極的に関わるようになった。
不器用な手つきでオムツを替え、絵本を読み聞かせ、子供たちが眠るまで背中をさすった。
週末には必ず公園へ連れて行き、泥だらけになるまで一緒に遊んだ。
仕事との両立は決して楽ではなかったが、子供たちの屈託のない笑顔が、私の疲弊した心を何度でも奮い立たせてくれた。

子供の成長は早い。
あっという間に小学生になり、中学生になり、そして、気づけばそれぞれが自分の夢を見つけ、家を巣立っていった
。成人した子供たちが、今でも頻繁に連絡を取り合い、誕生日や記念日には自然と我が家に集まってくる。
その光景を見るたびに、私の胸には温かいものが込み上げてくる。
私の育児は、成功だったのかもしれない。
あの夏の日、音を立てて崩れたはずの家族の絆は、形を変え、今ここに確かに存在しているのだから。

そして、それはすべて、母がくれた愛のおかげだと信じている。
母が私の中に植え付けてくれた「家族を想う心」という種が、時を経て、私の家庭で花開いたのだと。

しかし、本当にそうだろうか。
夜、一人静かにグラスを傾けながら、自問することがある。
私は、母のように、子供たちを愛せただろうか。
母が与えてくれたような、見返りを求めない無償の愛を、注ぐことができただろうか。
自信はない。
きっと、できていない。
私は、母のようにはなれない。
私の愛は、どこか自己満足で、独りよがりな部分があったのではないか。

人を愛するとは、完璧であることではないのかもしれない。
不器用でも、不格好でも、迷い、悩みながら、それでも相手を想い、関わり続けようと努力すること。
その過程そのものが、愛と呼べるものなのではないだろうか。

答えは、まだ見つからない。
これからも、探し続けるのだろう。
だが、それでいいのかもしれない。
この胸にある温かい感情と、決して消えることのない問いかけ。
それこそが、母が私に残してくれた、最も尊い遺産なのだから。
空の上の母に、いつか胸を張って報告できる日が来るだろうか。
私は今日も、家族を想う。


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