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前世の記憶がある街

社会人三年目。
ようやく仕事のフローを一通り覚え、後輩の指導も任されるようになった頃、私に辞令が下った。
A市への出向。
期間は三年。
東京の本社から新幹線で二時間ほどの、山々に囲まれた地方都市だ。
私の社会人生活における、初めての大きな転機だった。

A市。
その地名を、私は辞令を言い渡されるまで一度も耳にしたことがなかった。
もちろん、訪れたことなどあろうはずもない。
念のため両親にも尋ねてみたが、親戚縁者にもこの街にゆかりのある者はいないという。
私の人生の地図には、これまで存在すらしなかった真っ白な場所。
それがA市だった。

しかし、駅に降り立った瞬間から、私の内側で何かが静かに軋み始めた。
初めてのはずの風景が、なぜか網膜の裏側に焼き付いているような、奇妙な既視感。
澄んだ空気も、駅前のロータリーをゆっくりと走るバスの色さえも、遠い昔にどこかで見たことがあるような気がしてならない。
論理では説明のつかない違和感が、まるで薄い膜のように私を包み込み、この街にいる間、決して拭い去られることはなかった。
頭では「知らない場所」だと理解しているのに、魂のどこか深い場所が「おかえり」と囁いている。
私はこの不可解な感覚の正体を知る由もなく、ただ戸惑いながら、A市での新しい生活を始めることになった。


✅この角の小さな神社の記憶

新しいマンションは、市の中心部から少し離れた閑静な住宅街にあった。
荷解きもそこそこに、私はまるで何かに導かれるように近所の散策に出た。
そして、マンションから歩いて数分の曲がり角で、その神社を見つけたのだ。

特別に大きな神社ではない。
観光ガイドに載るような名所でもなく、地域の人々が日々の暮らしの中で静かに手を合わせる、そんな場所だろう。
しかし、苔むした石段の前に立った瞬間、私の心臓は大きく波打った。
懐かしい。
その一言しか、浮かんでこなかった。

古びた鳥居をくぐり、境内へと足を踏み入れる。
ざらりとした砂利を踏みしめる音
。風に揺れる木々の葉擦れの音。
そのすべてが、忘れていた古い歌を聴くように、私の心の琴線に触れた。
境内の中央にそびえる大きな楠の木。
その幹の力強い木肌も、見上げた先の枝葉の広がりも、私は確かに「知っている」と感じた。

無意識のうちに、手水舎へと歩み寄る。
柄杓を手に取り、水を掬い、左手、右手と清めていく。
その一連の動作が、誰に教わったわけでもないのに、あまりにも自然に、滑らかに身体から流れ出ていくことに、私は軽い眩暈を覚えた。
まるで、何百回、何千回と繰り返してきたかのように。

拝殿に向かって手を合わせ、目を閉じる。
すると、静寂の中で、頭の奥から声が聞こえたような気がした。
「かくれんぼ、もういいかい」。
それは幼い子供の声。
楽しげで、少しだけ息が弾んでいる。
ハッとして目を開けると、もちろん境内には誰もおらず、ただ楠の木が風にそよぐばかり。
幻聴だったのだろうか。
だが、その声の温かみは、確かに私の鼓膜に残っていた。

この場所は、単に「懐かしい感じがする」だけではない。私の失われた記憶の、重要なピースが眠っている。
そんな確信にも似た予感が、胸の内で確かな輪郭を持ち始めていた。
この神社は、私にとって、ただの神社ではなかったのだ。

✅今は廃校の小学校の記憶

神社の脇の坂道を登っていくと、丘の上にその建物はあった。
今はもう使われていない、古い木造校舎。
廃校になった小学校だ。
錆びついた鉄の校門は固く閉ざされ、「関係者以外立入禁止」の看板が物悲しく傾いている。

休日の午後、私は再びその丘を訪れた。
校門の隙間から中を覗き込むと、雑草が伸び放題になった校庭が広がっていた。
窓ガラスの何枚かは割れ、がらんとした教室の中を夕暮れの光が頼りなげに照らしている。
どこから見ても寂れた廃墟の風景。
それなのに、私の胸は不思議な愛おしさで締め付けられた。
まるで、大切な故郷に帰ってきたかのような、切ないほどの感情が込み上げてくるのだ。

校庭の隅に、ひときわ立派な桜の木が立っている。
その木を見つめていると、閃光のようなイメージが脳裏をよぎった。
満開の桜吹雪の下、誰かと二人で笑い合っている。
その「誰か」の顔も名前も思い出せない。
けれど、共にいるだけで世界がきらきらと輝いて見えた、あの幸福な感覚だけは、鮮明に蘇る。

校庭の隅には、赤く錆びた鉄棒があった。
私はそっと手を伸ばし、冷たい鉄の感触を確かめる。
すると、まるでフラッシュバックのように、手のひらにじわりと汗が滲み、小さな豆が潰れた時の鈍い痛みが走った。
逆上がりの練習だ。
何度も何度も失敗して、悔しくて、それでも諦めきれずに鉄棒にぶら下がった、あの日の夕焼け。
記憶の断片が、五感を通して奔流のように流れ込んでくる。

ここは、私の記憶が眠る場所だ。
いや、眠っているどころではない。
この土地の空気、光、匂いそのものが、私の魂に直接語りかけ、閉ざされた記憶の扉をこじ開けようとしている。
私はもう、この感覚から逃れることはできなかった。
私は、この街を知っている。
この小学校で学び、笑い、泣いた日々が、確かに「私」の中に存在しているのだ。

✅わたしの前世

違和感の正体を探し求める日々が続いた。
神社の楠も、廃校の桜も、私に何かを伝えようとしている。
しかし、その核心には霞がかかったように、どうしても手が届かない。
もどかしい夜をいくつも越した、ある晩のことだった。

夢を見ていた。
いつものように、断片的で曖昧な夢だ。
だが、ふと意識が覚醒し、暗闇の中で私は目を見開いた。
夢と現実の境界線が溶けていく中で、一つの真実が、雷に打たれたかのように、私の中に落ちてきた。

わたしは、かつてこの街に住んでいた。

それは、今の私、田中美咲としての人生ではない。
もっとずっと昔。
戦争が終わり、日本が少しずつ元気を取り戻そうとしていた時代。
私はこの街で、「千代」という名の少女として生きていたのだ。

思い出した瞬間、堰を切ったように記憶が溢れ出した。
神社の境内は、いつも友達と集まる最高の遊び場だった。
楠の木でのかくれんぼは、私の得意技だった。
丘の上の小学校では、たくさんのことを学んだ。
桜の木の下で笑い合ったのは、幼馴染の健一くん。
はにかみ屋で、いつも私の後ろをついてくる優しい男の子だった。

記憶は鮮明になるほど、胸を締め付ける切なさも増していく。
千代の人生は、あまりにも短かった。
当時、多くの子供たちの命を奪った病が、彼女の小さな身体を蝕み、小学校を卒業することなく、桜の季節に静かに終わりを告げたことも、私は思い出してしまった。

東京のマンションで眠りについたはずのOLの私は、数十年の時を超え、A市の片隅で短い生涯を終えた少女の、最期の息遣いまでを感じていた。

この記憶は、本当に「わたし」のものなのだろうか。
それとも、この土地に強く残された千代という少女の想念が、縁あってこの街に来た私という器を借りて、一時的に蘇っているだけなのだろうか。
私が見ているのは、前世の記憶か、それともただの幻影か。

確かなことは、この日から、A市での三年間の出向が、私にとって全く違う意味を持ち始めたということだ。
これは単なる偶然の異動ではない。
私がこの街に呼ばれたのは、何かを成し遂げるためなのかもしれない。
それは、千代が生きられなかった未来を、私が代わりに生きることなのか。
それとも、彼女の短い人生の記憶を、私がただ静かに受け止め、弔うことなのか。

私はこれから、この街で「田中美咲」として生きていく。
しかし、私の内側には、いつも「千代」がいる。
彼女の見た風景を、私は再び目にし、彼女が感じた風を、私は肌で感じる。
二人の人生は、もはや分かちがたく重なり合っている。

答えはまだ、見つからない。
ただ、丘の上から街を見下ろすとき、私に囁きかける風の声に、耳を澄ませる。
それは過去からの呼び声か、それとも未来への道標か。
私の魂の旅は、この懐かしい街で、まだ始まったばかりなのだ。


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