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思考が行動を追い越す時、わたしは未来を見る

わたしの両手は、今この瞬間もキーボードを叩いている。
あるいは、ペンを走らせ、スケッチを描き、プログラムのコードを打ち込んでいるかもしれない。
一日、また一日と、地道に何かを積み上げ、形あるものとしてこの世界に送り出す。
それは、傍から見れば着実な「生産」という行為だろう。

しかし、この両手の動きとは裏腹に、わたしの内側にある「思考」は、まるで物理法則を無視したかのように暴走している。
指がひとつの単語を紡ぐ間に、頭の中では十の異なる物語が結末を迎え、百のアイデアが生まれては消えていく。
この肉体が持つ作業速度と、思考の展開速度との間には、絶望的なまでの乖離がある。
それは、まるで時速100キロで走る車から、音速で飛び立つ戦闘機を眺めるような感覚だ。

日々生産される成果物は、その膨大な思考の奔流から、かろうじて両手で掬(すく)い上げることができた、ほんの一滴の雫にすぎない。
そして、掬いきれなかった奔流の本体は、わたしの現実を遥か追い越し、時折、未来の風景を垣間見せる。


✅奔流の源泉、あるいは呪縛

なぜ、これほどまでに思考が駆動し続けるのか。
その答えを求めると、わたしはいつも埃っぽい記憶の蔵へと引き戻される。

わたしは、いわゆる「本家」の長男として生を受けた。
その言葉が持つ重圧は、幼い子供が背負うにはあまりにも過大だった。
家の存続、周囲の期待、そして何より、絶対的な権力者であった親の顔色。
わたしが生きるためには、常に先回りして他者の感情と意図を読み解く必要があった。

食卓での父の眉間のしわ。
会合で交わされる親戚たちの目配せ。
大人の会話の端々に滲む利害と駆け引き。
わたしは、そのすべてを、まるで高解像度のカメラで記録するかのように「観察」していた。
それは、生き残るための術(すべ)であり、自分を守るための唯一の盾だった。

誰が誰に恩があり、誰が誰を牽制しているのか。
次に誰が機嫌を損ね、その嵐を鎮めるためにはどの言葉が最適か。
子供ながらに構築したその相関図は、異様なほど正確だったと記憶している。

この経験は、わたしの半分を形成するトラウマだ。
今でも、人の顔色や声のトーンの微細な変化に過剰に反応し、疲弊することがある。
だが同時に、残りの半分は、わたしの研ぎ澄まされた「得意なこと」へと昇華された。

物事の表面だけではなく、その裏に流れる人々の思惑、構造的な力学、そして次に起こりうる事象の連鎖。
それらが、望まずとも鮮明に見えてしまう。
わたしの思考が異常な速度で回転するのは、この幼少期にインストールされ、今やアンインストール不可能となった高性能な「観察」という名のエンジンが、常にフル稼働しているからに他ならない。

✅既視感(デジャヴュ)と未実現の未来

この過剰な観察と予測は、奇妙な感覚をもたらす。
「未来をのぞき見た」という表現が、あながち比喩だとも言い切れない瞬間だ。

例えば、会議の場で新しい企画について議論している時。
わたしの中ではすでに、その企画が三ヶ月後に直面するであろう問題点、顧客からのクレーム、そして競合他社が打ち出すであろう対抗策までが、鮮明な映像として再生されていることがある。
慌ててそれを口にしても、「考えすぎだ」「まだ起こってもいないことを」と一蹴されるのが常だ。

そして数ヶ月後、危惧した通りの事態が発生する。
周囲が「想定外だ」と慌てる中で、わたしだけが強烈な既視感(デジャヴュ)に襲われる。
「ああ、やはりこうなったか」と。

さらに複雑なのは、わたしが脳内で構想し、あまりに膨大で「形にするのは無理だ」と諦めて捨てたアイデアが、数年後、まったく別の誰かの手によって実現され、世に出てくる時だ。
それを見るたび、焦燥感と奇妙な安堵感が入り混じる。
わたしは、確かにあの未来の欠片(かけら)に触れていたのだ、と。

だが、この能力は祝福とは言い難い。
あまりにも多くの可能性と結末が見えすぎてしまうため、最初の一歩が踏み出せなくなることもある。
あまりにも多くのアイデアが生まれすぎて、有限であるこの両手が、そのどれも形にできないという無力感に苛まれる。

だからわたしは、意識的に「何も考えない時間」を作る。
情報を遮断し、ただ呼吸だけをする。
絶え間なく未来と過去を行き来する思考の奔流を、無理やり「今」この瞬間に繋ぎ止めるために。
そうでもしなければ、あまりにも速すぎる思考の摩擦熱で、わたしの精神は焼き切れてしまうだろう。

✅この「先」を生きるということ

思考が行動を追い越す。
それは、未来の地図を持っているのに、足には重い枷(かせ)をはめられている状態に似ている。
地図はあまりにも詳細で、どこに宝があり、どこに落とし穴があるかまで示している。
だが、わたしの足は遅く、すべてを拾い、すべてを避けて通ることはできない。

わたしは、今日も地道に両手を動かす。
思考の奔流から溢れ落ち、取りこぼし続けた無数の未来を横目に見ながら、たったひとつ、今できることを積み上げる。

わたしの目に見えているこの「先」は、他の誰にも見えていない。
この速度に満ちた孤独の中で、わたしは思考し続ける。
この肉体が朽ち果て、指が止まる、その瞬間まで。

ひとつ、問いたい。
もし、あなたの思考が、あなたの行動を、あなたの人生そのものを、遥か先に追い越してしまったとしたら。

あなたは、その現実(じごく)に、耐えられるだろうか?


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