遺伝と環境、わたしはどちらの力でこうなった
わたしの資質を決めているのは、遺伝だけでもなければ、環境だけでもない。
どうやらこのふたつが、まるで熟練の職人のように共同作業で、この「わたし」という人間をこねくり回し、今の姿に仕上げたらしいのです。
生まれ持った設計図と、育ってきた舞台装置。
その両方の影響を受けて、わたしはここに立っています。
✅遺伝を感じる時
時々、自分の身体に宿る、抗いがたい「何か」の存在に気づかされます。
そう、遺伝という名の、先祖からの長大なメッセージです。
例えば、わたしは遺伝的に、まったくお酒が飲めません。
若い頃、飲み会の席で勧められるがままに一杯目を口にしただけで、心臓が警鐘のように早鐘を打ち、顔が火事でも起きたかのように赤くなる。
そんなわたしは、いつも輪の外にいました。
仲間たちが楽しそうに杯を重ね、饒舌になっていくのを、ウーロン茶の入ったグラスをそっと握りしめながら眺めていたものです。
この「飲めない」という体質は、父のことを考えると、実に不思議な巡り合わせに思えます。
わたしの父は、アルコール依存症でした。
物心ついた頃から、父の手にはいつもグラスがあり、その中身が彼の機嫌を、そして我が家の天気を左右していました。
父はあれほどまでにアルコールを求めたというのに、わたしはその中身を分解する酵素を、まるで持たずに生まれてきたようです。
この飲めない体質は、若い頃こそ付き合いの場で肩身の狭い思いをしましたが、父の姿を知るわたしにとっては、むしろ天からの贈り物のようにさえ思えました。
もしわたしに、父と同じように酒に強い体質が備わっていたら、どうなっていただろう。
そう考えると、今でも少し背筋が寒くなるのです。
「飲めない」という遺伝子は、わたしを父とは違う道へ進ませるための、神様がそっと仕掛けてくれた安全装置だったのかもしれません。
思えば、わたしを長年苦しめたバセドウ病も、遺伝的素因が関係すると言われています。
自分の意志とは無関係に、身体が自分を攻撃し始める。
これもまた、わたしが選んだわけではない、生まれ持った設計図の一部なのでしょう。
✅通ってきた環境を考える
さて、その設計図を元に家を建てる土地、それが「環境」です。
わたしが育った土地は、残念ながらあまり地盤が良いとは言えませんでした。
父のアルコールと暴力が日常だった家庭。
わたしはそれが「普通」だと思っていました。
世界には、この一種類の家族しか存在しないと信じていたのです。
その呪いが解けたのは、妻との出会いでした。
彼女が自分のお父さんと、まるで友達のように軽口を叩き合っているのを見た時の衝撃は、今でも忘れられません。
雷に打たれたように、「わたしの家族はおかしいのだ」と、初めて気づかされた瞬間でした。
その歪な環境は、わたしの心に「生きづらさ」という名の重りをずっと括り付けていました。
案の定、働き過ぎが引き金となり、心は悲鳴をあげ、うつ病とパニック障害を発症。
特に、いつ呼吸ができなくなるか分からないパニック障害の恐怖は、まさに生き地獄でした。
しかし、人生とは面白いものです。
このどん底の経験が、わたしに生き方そのものを見直させ、心理学やカウンセリングの世界へといざないました。
病気という最悪の「環境」が、結果的にわたしを救うきっかけになったのです。
そして、わたしの人生における最大の環境変化は、「兼業主夫」になったことでしょう。
仕事に夢を追いかける妻が単身赴任となり、わたしは10年以上にわたってワンオペで家事、育児、そして自分の仕事を担うことになりました。
両親はすでになく、頼る人もいない。そこへ、義母の介護という新しい役割もひょっこり顔を出しました。
食事の支度が中心でしたが、わたしの人生の登場人物が、また一人増えた瞬間でした。
ですが、どうでしょう。
朝食を作り、子供を送り出し、会社で頭を下げ、夕飯の献立に悩み、洗濯物を畳む。
そんな目まぐるしい日々が、わたしの心をどんどん自由にしていきました。
「男はこうあるべきだ」という社会の呪縛から解き放たれ、父からも、病からも、何からも自由になったような気がしたのです。
キッチンに立つ営業マン、エプロン姿のデザイナー。
そんな肩書きのどれもが、紛れもないわたし自身でした。
✅まとめ
結局のところ、わたしは遺伝と環境、どちらの力でこうなったのか。
答えは、やはり「両方」であり、そして「どちらでもない」のでしょう。
お酒を飲めない遺伝子は、父とは違う道を歩ませるきっかけとなり、過酷な家庭環境は、心を壊すこともあれば、他人の痛みが分かる人間を育てることもある。
大切なのは、配られたカード(遺伝)と、与えられた舞台(環境)の上で、自分自身がどんな物語を紡ごうと決めるか、その一点に尽きるのではないでしょうか。
あの嵐のようなワンオペ主夫の日々も、今ではもう5年も前の話です。
妻は毎日ここから会社へ通い、埼玉で一人暮らしを始めた娘からは時々連絡が来る。
成人した息子は、自分の世界を静かに生きている。
かつて食卓を囲んだ役者たちはそれぞれの新しい舞台へと歩みを進め、家の中は少しだけ広くなりました。
そんな静かなリビングでわたしの膝の上を独占しているのは、三匹いる猫のうち、一番マイペースな黒猫くらいなものです。
まあ、今のわたしには、このくらいのつかず離れずの距離感が、案外ちょうどいいのかもしれません。
わたしが遺伝と環境という二人の巨匠と格闘しながら描き上げた絵は、家族全員が揃った賑やかな集合写真ではなく、移りゆく時の中で、そっと黒猫の背中を撫でている、この穏やかな自画像だったようです。
悪くない、なかなか味のある作品になったと、自分では思っています。
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