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喋れなかったわたしが、喋ることで食べている

「よく喋りますね」と言われるようになったのは、いつからだろう。

初対面の人と三十分もすれば場が温まっている。
商談の帰り道に「今日はいい話ができました」と言ってもらえる。
オンラインの会議でも、誰がいま話したがっているのかがなんとなく見えて、そっと話を振る。
気づけばそれが、わたしの仕事になっていた。

でも、これを読んでいる人の中に、もし高校二年生までのわたしを知っている人がいたら、たぶん信じないと思う。
あの頃のわたしは、人と喋るのが本当に苦手だった。
苦手というより、怖かった。
何を話せばいいのかわからないのではなく、話しかけた結果どうなるのかがわからないのが怖かった。

いま営業という仕事をしている。
会社を背負って、外に出て、人と会って、喋って、売ってくる仕事だ。
ずっと裏方にいた人間が、なぜかいちばん前に立たされている。
運命のいたずらみたいなものだと思っていた。

けれどこの前ふと、自分がなぜ人の機嫌の変化にこんなに敏感なのか、なぜ相手の言葉の裏側をつい読もうとするのか、その出どころを考えてしまった。
考えてしまって、少し黙り込んだ。

これは、喋れなかった子どもが喋る仕事に就くまでの話だ。
そして、その途中でわたしが手に入れてしまった「力」が、どこから来たのかという話でもある。

美談として書くつもりはない。
苦手を克服しました、という話でもない。
書きながら、自分でもまだ整理がついていない部分がある。
ついていないまま書くほうが、たぶん正直だ。


✅教室のいちばん後ろで、わたしは口を閉じていた

小さい頃のわたしは、人と喋るのが本当に苦手だった。

授業中に手を挙げるなんて考えられなかった。
当てられると、頭の中が真っ白になって、声が喉の途中で止まる。
答えはわかっているのに、その答えを口から出すという作業そのものが、途方もない大仕事に思えた。
教科書を読まされる番が近づいてくると、自分の番の段落を何度も目で追って、つっかえそうな漢字に心の中で印をつけた。
読み終わったあと、心臓がしばらく暴れていた。

いちばん嫌だったのは、新学期の自己紹介だ。
名前と、好きなものと、ひとことを言うだけ。
たったそれだけのことを、前の晩から考えていた。
何を言えば浮かないか。
何を言えば逆に目立ちすぎないか。
散々考えた結果、当日は考えていたことの半分も言えずに座る。
座ってから、言えなかったほうの半分が頭の中でずっと回っている。

休み時間も苦手だった。
誰かの輪に入るタイミングがわからない。
すでに始まっている会話に、どの角度から入っていけばいいのかがわからない。
話しかけられれば返事はできる。
けれど、自分から始めるのが決定的にできなかった。
会話というのは誰かが最初の一言を投げないと始まらないのに、その一投目をどうしても投げられない。

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