疲労の底で、知恵は目覚める
時折、いや、最近は「時折」というにはあまりに頻繁に、こちらの受け皿の容量を確かめもせず、無遠慮にタスクが注ぎ込まれる日がある。
まるで、蛇口が壊れた水道のように、溢れ続けるそれを、両手で、いや全身で受け止めようとしているうちに、自分自身が水浸しになっていく。
かなりの疲労困ぱいで、どうやって社に戻ったのか記憶がおぼろげなまま、夜のオフィスにたどり着く。
蛍光灯がやけに白々しく、冷たい光を投げかける。
しかし、その光の下には、本当に最低限の人間しかいない。
それぞれが自分の持ち場で溺れかけているのが遠目にもわかる。
ここで「助けてくれ」と叫んだところで、その声は誰の耳にも届かないか、あるいは届いたとしても、振り向くだけの余裕が誰にもないことを、私たちは知ってしまっている。
結局、終わらなかった仕事という名の重たい泥を抱え、自宅へと引きずって帰る。
そしてつい先ほど、深夜とも早朝ともつかない時間に、ようやくその泥を振り払うことができた。
しん、と静まり返った部屋で、冷めかけたコーヒーをすする。
たまに、こんな日がある。
いや、この「たまに」が、確実に日常を侵食し始めていることに、気づかないふりをしているだけだ。
✅助けを呼べない海の底で
なぜ、助けを求められないのか。
物理的に人がいない。
それは確かに、紛れもない事実だ。
だが、それだけが理由だろうか。
オフィスに戻った時の、あの独特の静けさ。
それは、連帯感からくる静けさではなく、個々が自らの限界と一対一で向き合わざるを得ない、孤独な戦場の静けさだ。
それぞれが自分のタスクという名の塹壕にこもり、ただひたすらに手を動かしている。
中年という年齢は、奇妙な立ち位置を私たちに強いる。
若手のように「できません」と素直に手を上げることは許されず、さりとてベテランのようにすべてを悠々とさばけるほどの経験値も、権限も持ち合わせていない。
私たちは、組織の「歯車」であると同時に、後進の「防波堤」であることも期待される。
自分のキャパシティが溢れかけていると訴えることは、その両方の役割を放棄する「無責任」の烙印を押されることと同義のように感じてしまう。
だから、私たちは声を潜める。
疲労困憊の顔に「まだ大丈夫」という仮面を貼り付け、へとへとになった身体を引きずりながら、オフィスという名の海の底を這いずり回る。
ここでは、酸素(=余裕)は常に不足している。
自分の酸素ボンベが空になりかけていても、隣で苦しそうにしている同僚に、なけなしの酸素を分け与えるような自己犠牲の精神も、とうの昔に枯渇した。
ただ、生き延びること。
今日のタスクを終わらせること。
その一点に、すべての意識が収斂していく。
その結果、私たちはますます孤立し、疲労は誰にも理解されず、分かち合われることもなく、個人の内側に深く、重く沈殿していくのだ。
✅「休む」を学び直すとき
この深く沈殿した、鉛のような疲労を、一体どうやって回復させるのか。
若い頃は、一晩眠れば、あるいは友人と酒を酌み交わせば、霧が晴れるように身体は軽くなった。
だが、今は違う。
一晩どころか、週末を丸ごと「休んだ」つもりでも、月曜の朝には同じ重さの疲労が肩にのしかかっている。
ここで、この中年の知恵が大きく影響してくる。
いや、影響してこなければならないのだ。
「知恵をつけよう」と、冷めたコーヒーのカップを見つめながら、自分に言い聞かせる。
私たちが今、身につけるべき「知恵」とは、効率的なタスク処理術や、新しいITスキルではない。
それは、もっと根源的な、「自分の取り扱い説明書」を書き直す作業だ。
まず、身体を休める必要がある。
この「当たり前」がいかに難しいことか。
仕事のことが頭から離れず、眠りが浅くなる。
ソファに座っていても、スマートフォンの通知が気になり、結局は仕事のメールを開いてしまう。
「今日は休もう」。
そう決意することに、これほどの意志の力が必要になるとは、二十歳の頃には想像もしなかった。
「たまには休む必要がある」という言葉は、他者への気遣いの言葉ではなく、自分自身に向けた、切実な命令形でなければならない。
中年期の「休む」とは、単なる「何もしない」ことではない。
それは、自分の限界値を正確に把握し、システムがクラッシュする前に、意図的に電源をオフにする、能動的な技術なのだ。
それは、外部からの刺激を遮断し、自分の内側で何が起こっているのか、どの部品が摩耗しているのかを静かに点検する、自己メンテナンスの時間だ。
この「休む」という技術、この知恵を、私たちはゼロから学び直さなければならない。
✅夜明けを待つのではなく
仕事を家に持ち帰り、深夜にようやく片付けた。
これで、明日は少しだけ余裕ができるだろうか。
いや、おそらくすぐに新しいタスクが、その空白を埋め尽くすに違いない。
私たちは、そういうシステムの中で生きている。
「今日は休もう」と決意し、ベッドに滑り込む。
身体は鉛のように重いが、頭は妙に冴えている。
私たちは、休むことを「次の戦いに備えるための準備期間」と捉えがちだ。
疲労を回復させ、再びキャパシティいっぱいにタスクを受け入れるために、エネルギーをチャージする時間。
だが、本当にそうだろうか。
その「知恵」とは、単に効率よく回復し、再び馬車馬のように働くための術なのだろうか。
それとも、その「知恵」とは、そもそも「なぜ、こんなにもキャパシティを超えるまで働かなければならないのか」という、システムそのものへの根源的な問いを含んでいるのではないか。
疲労の底で、私たちが身につけるべき知恵。
それは、明日また走るためではなく、今日、今この瞬間に、「走らない」ことを自分に許可するための、ささやかだが、最も困難な勇気のことなのかもしれない。
夜明けは、まだ遠い。
だが、私たちは夜明けを待つために休むのではない。
暗闇の中で、ただ暗闇として、自分という存在をそこに横たえる。
そのこと自体に、何か失われかけた大切な意味が隠されているような気がしてならなかった。
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