ニセモノドリア ─羽白─ 【完】
▼連作短編です。そのままでも読めるけど、ここから読んでもらうのがおすすめ。
両親が死に、妹が殺されたとき、もうすべてがどうでもよくなった。
ひとりぼっちの世界で生きたいなどと思えなかったから、ずうっとねむっていた。
気づくと円鏡の中に閉じ込められていた。
そうして時おり、おびえた顔の知らない人間たちがやってきて、鏡のまわりになにかを建てたりしていたけれど、そのままねむっていたら、忘れられたみたいで、建物がどんどん古びてこわれていった。
屋根は割れ、空が見えている。
そこから差し込んでくる光を受けて、社の一箇所だけに草が生え、桃色の花を咲かせていた。
それは少しずつ空気がゆるんできたある夜のことだった。
すぐそばに妹の気配を感じた。
そこにいるわけじゃない。だからきっと、向こうはわたしに気がつかないだろう。
思念の残留のようなもの。強い怒りだった。嫉妬だった。だれかを操り、死の淵へおびき寄せていた。きっと妹がやった、同じような魂が、あちこちにうごめいていることはなんとなく知っていた。
ああ、呑まれてしまったのだと思った。
ととさまからずっと言われていたのに。
わたしたち姉妹は、常人と異なるちからと知識を持っている。古くからつづく、呪い師の家系なのだと。だからこそ、こんな山の中に隠れて住んでいたのだ。
迫害されないように。利用されないように。そして、誰かを壊してしまわないように。
決して怒りに呑まれてはいけないと。
きつくきつく言われていた。
だから、死の間ぎわ、わたしは自らのこころを縛った。
それに対して、妹はずっと「生きたい」「死にたくない」と叫びながらころされた。
だから、呑まれてしまったのだろうと思った。
ちょうど目も醒めたことだし、気まぐれにだけれど、あの子を助けてあげよう。
目を閉じる。
ふらふらと操り人形のようにゆっくりと歩を進める少女と、それを止めようとする男が見えた。
糸をたぐり寄せるように、若い女の子をこの場所まで引き寄せた。そばにいた男はねむらせる。だれか、近くにいるものに気づかせよう。
ちからを使うのはひさしぶりだった。
ああ、しまった。加減をまちがえた。
強く引きすぎて、彼女が、わたしのねぐらに倒れ込んできた。
彼女のてのひらが落ちてくる。しゃりりと鏡に罅が入る。わたしは彼女の中に吸い込まれていった。
記憶がさらさらと流れ込んでくる。
おや、この子の記憶には、なにやら見覚えのある者がいる。
でもきっと、ニセモノ。あのとき、わたしたち姉妹を救おうとしたあの人ではない。姿かたちが似ているだけ。
まったく違うものだ。
この子は、あの男に傷つけられたのね。かわいそう。だいじょうぶ。わたしがぜんぶ、忘れさせてあげるわ。
要らぬ縁など、切ってしまえばいいの。
あの子の、──千景の中に閉じ込められたわたしは、彼女の生きる道を見てきた。
千景は純粋な子だった。
”器の儀式”をしたわけではないから、わたしは自分の意志で動くことはできない。
たまに話しかけてみるけれど、たぶん、わたしのちからが強すぎて、千景は聞こえていながら違和感を持つことすらなかった。きっと、自分の思考のように思っていたのだろう。
でもそれでいい。
話せなくても。
たまに寝たり、起きたりをくり返して、世界にたゆたっていた。
これまでとあまり変わらない。
気がつくと家族が増えていた。会ったときの影はもう見えず、千景はまばゆいばかりの表情をして、日々を静かに幸せに過ごしていた。
その様子を見ていたら、わたしまでなんだかうれしくなった。
千景に運ばれながら、おそろしく変化してしまった外の世界を楽しんでみたり、子育てをした気分になってみたり。
わたし自身が生きていなくても、それなりに幸せな十年を過ごした。
目の前に、過去の縁が現れるまでは。
あれはあのとき、山まで着いてきた男だ。すぐにわかった。
妹に魅入られている。あれはなに。黒い羽の。ととさまが言っていた、禁忌の術じゃないの。何人殺めてしまったのかしら。
あの子はもう、地獄に堕ちるしかないんだわ。
そう思うとむなしくなった。
──忘れていいのよ。──
千景にいくら伝えても、だめだった。
会社に連絡して、反対方向の電車に飛び乗った。千景はわたしの古巣へと、強い決意を持って進んでいく。
やめて。おねがい。
今回ばかりは、千景のために言ったことじゃない。わたしが見たくないの。堕ちてしまった妹を知りたくない。
前も思ったけれど、羽黒。
わたしのこと、忘れてしまったの?
やがて千景と妹が出会ったとき。あの子は、羽黒はようやくすべてを思い出した。ああ、ニセモノの身体で、自分のことすら忘れて生きてきたのだと思った。
「羽白あねさま」と、ぽろりとこぼれたようなあのときの表情は、ニセモノの身体に入っていても、あの子の本物だった。
羽黒が祀られている神社は、わたしの場所とは大違いだったわ。
洞窟の奥にひっそりと隠された、水晶に飾られたうつくしい社だった。雑草の一本もない。鏡だって、一滴の曇りもないくらいに磨かれている。
ひどいわ。さすがに姉妹でこんなに差をつけるなんて失礼ではないかしらと思った。
でも。
それでも羽黒の恨みは消えなかったのね。
──羽黒、いっしょに行きましょう──
そう言うと、羽黒は泣いた。ぽろぽろと涙をこぼしながら、身体から抜けるタイミングと合わせて、御神体として祀られた鏡を投げ捨てた。
ぱりん。
洞窟の静寂を破って、鋭い音が跳ね返った。砕けた鏡片が、うす明かりの中でちらりと光をはじいた。
鏡のなかにいた娘と、羽黒とが、入れ替わった。
そうして壊れてしまった。これでもう、だれも入れ替わることはできない。今のこの世界は便利だ。でも、呪いの知識も技術も、伝わっていないように思えた。
きっとだれも再現できない。
──拾って。お願い──
千景の手が、わたしの意思で動く。
鏡の破片に触れる。
すうっと引っ張られるような感覚があり、わたしもまた鏡の中へ入っていた。
「2柱が、自ら封印された……? なにが起こっているの」
千景と似た雰囲気の女の子が、困惑したように言った。
黒いスーツに身を包んだ、化粧っ気のない女性だ。
呪術師だわ。そんなにちからは強く無さそう。でも、わたしたちが視えているのね。
── あなたが、供養して。
「ぴゃっ」と間抜けな声がして、彼女は涙目でわたしたちの入った破片を覗き込んだ。
「梓、……梓……!」
中年の女性が、さっきまで羽黒の入っていた“うつわ”を抱きしめる。その腕の中に彼女の、ほんとうの梓の身体がくったりと沈んだ。
なにかに抗うように、ゆっくりと梓の瞼が開いていった。ずっと凍っていたものがはじめて解けたように、彼女はぱちぱちとまばたきをした。
「おかあさん……」
掠れた声がこぼれた。
「梓、もう、ニセモノじゃないのよね……? 梓……」
その声はしゃがれていて、泣き声なのか笑い声なのか、わからないくらいだった。頬を濡らしながら、母親は娘の名を何度も呼んだ。失っていた時間のすべてを取り戻すように──。
そして羽黒は、ばつの悪そうな顔でその様子を眺めていた。
──あなた、おとなになっているわ──
身投げしたときに時が止まったわたしと違い、羽黒はすっと背が伸びた大人の女性になっていた。
──「喜」のないうつわに入ったの。それで、ずっといろいろ忘れていて──
羽黒は、うまく身体を動かせないらしい女性に目を向けた。”梓”と呼ばれていた。
心を整理しきれていない様子だった。
──そう。生きたのね、あなたは。
むにゅり。空に向かって手を伸ばすと、柔らかい桃を掴んだような感覚があった。そのまま吸い出されるように、外に出た。
どうやら破片は出入り自由みたいだ。
「ひぇえええ」
霊媒師の女が、涙目でこちらを見る。
わたしは自分よりずっと背の高くなった妹の手を引いて、トンネルの向こうへ歩いた。
そこには、妹の罪の証がいくつもいくつも彷徨っていた。
──私が地獄につれていくわ。
羽黒が震える声で言った。
その背中をそっとさする。呑まれているあいだ、この子はいったいどうなっていたのだろう。
そう。もとは優しい子だった。子どもらしい癇癪や、わがままはあった。でも、心根のいい子だったのだ。
ちりちりと胸の奥が焼けるような感覚がある。縛ったはずのこころが暴れ出そうとしている。でも。深く息を吸い込む。火を消すみたいに、こころの中に風を起こすみたいに。
──わたしもいっしょに行くわ。
羽黒の目が揺れた。
──だいじょうぶ。もう、一人にしないから。
「神さまじゃないなら、私にだって成仏させられますよう」
さっき怯えていた、霊媒師の女がついてきた。
ぽん、と小気味いい音を立てて紅のふたを取る。化粧っ気のない顔に、真っ赤な紅をさっと引いた。
急に目つきがきりりと変わった。そうか、この子の場合は、装わないことが禊になっているのだ。
祈りの言葉を唱えると、彷徨っていた者たちが一斉に金色の光に包まれる。
上がるもの、堕ちるもの──。
「おかあさん、私、どうしておとなになってるの」
ついさっきまで羽黒の入っていた女性が、困惑したように自分のてのひらを見つめていた。舌足らずな感じで、ひどく幼げな雰囲気だ。
母親は、彼女をただ泣きながら抱きしめている。
わたしは、霊媒師の女に命じて、ふたりについていくことにした。
地獄へ行くのは、そのあとに。
いくつもの電車を乗り継いで、母親と女は家に帰ってきた。
窓の外で風景が流れていく。街から山へ、山からまた町へ。陽が傾くにつれて、車内の色も変わっていった。
家にたどり着いたときには、すっかり薄闇に覆われていた。
山の合い間にある、古いつくりの家だ。
玄関にはぽつんと一つ、卵色の灯りがぶら下がっている。母親が鍵を出そうとカチャカチャ音を鳴らしていたら、奥のほうからたったっと走る音が響いてきて、勢いよく扉が開いた。
「まま、今日は絵本よんで……」
出てきたのは、女によく似た小さな子どもだった。
「まま……?」
子どもは困惑した声を上げた。
その目は、怯えたように”うつわ”だった女に向けられていたが、不信感に満ちていた。
「ねえ、……ままじゃ、ないよね?」
そのまま泣きじゃくってしまった子どもを見て、羽黒は「愛莉……」とこぼし、さめざめと涙を落とした。
何度も触れようとするが、その手が届くことはなかった。
愛莉はずっと「ニセモノだ」と叫んでいた。癇癪を起こして、ひっくり返って、大きな目からぽろぽろと涙をこぼしていた。困惑する梓を、母親が庇うようにしている。
「ちがう。この梓が本物なのよ」
母親の目はひどく冷たかった。
そのうちに、愛莉は泣き疲れてねむってしまった。
台所では、包丁がまな板を叩く音が規則正しく響いていた。涙を誘うような玉ねぎの匂いが漂っていたが、やがてバターのにおいで上書きされた。くつくつといい音がする。
「梓が好きな、ドリア。つくってるからね。──おかえり、梓」
──ドリアなんか、きらいだわ。
羽黒がぶすっとした顔で言った。
とくに、サイゼリヤのミラノ風ドリアがね──
羽黒のてのひらに、きらりと光るものを見た。
呪術師の女にばれないようにしなければ。わたしはため息をつく。
結局執着を捨てきれなかったのだ、羽黒は。
──羽黒、それはニセモノだわ。
ニセモノでもいいの。似てるから──。
羽黒は口をとがらせた。
集落に落ち延びてきた男たちの中で、あの人だけが暴挙を止めようとしていた。魂の色がぜんぜん違うのに。
食卓の隅にはぱらりと開いた卒業アルバムが置かれていた。
そこに映る梓の顔は、どこか幼い。目の前の女性と同じ顔のはずなのに、表情がまったく違うのが不思議だった。
もっと勝ち気で、自信家で、ちょっと意地悪そう。
表紙の隙間に、子どもが描いたらしい猫の絵がはさまっている。
紙のはしっこに「あずさ」と書かれている。
母親が卒業アルバムを閉じて、絵だけを残し、ゴミ箱に放った。
呪術師の女が、さっと紅を引いた。
神さまは成仏させられないなんて言ってたくせに。嘘つき。
終わりが底を開けた。
あの男の魂をにぎったまま、羽黒だけが引きずり込まれていく。
その先は地獄だというのに、あの子は泣きながら笑っていた。手を伸ばしたけれど届かない。同じ極の磁石を合わせたときみたいに、ばちんと弾かれて、わたしは上へ、上へ運ばれていく。
抗えないちからで。
── さよなら、あねさま ──
ドリアの湯気が、羽黒の泣き顔を、そっと隠した。
(5,000字)
おつきあいありがとうございました!
ヤスさんの企画がなければ生まれてないし、コニシさんから本気のやつが読みたいって言われなければ続きは書いていない物語でした。
勢いで書き上げたので、いったん落ち着いたら、読み直して改稿して、talesからホラー小説部門に出してみようかなと思っています。
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#洒落怖
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