林檎を食べたのは、わたくしなのに。 │ ショートショート #おとぎ話診療所
診療所の扉を叩いたのは、ひとりの女だった。
「病んだ物語を、どうか、元の形に」
フードをぬぐとつやめく黒髪がこぼれ出した。
雪のように白い肌。
「森で七人の伯父と暮らしていました」
赤く熟れたくちびるが、震える声で紡いだ。
王に見初められて王妃にされた、と。
王の死後、森へ戻された。それでよかった。ずっと森に帰りたかったのだ。
ある日、王城から林檎が届いた。義理の娘からだ。
ずっしりと重たくて、磨き上げたようにつやめく林檎だった。色は血のような赤。吸い寄せられるようにかぶりつく。しゃりりと甘く、そして。
「世界が暗転したのです」
新しい生を得て驚いた。
母が読み聞かせたのは"わたくしの物語"。
「林檎をたべたのは、本当は、わたくしなのに」
長いまつ毛がふるりと揺れる。
医師は女の記憶をカルテに綴り、黒い紐で結わえた。光り輝く本が女を吸い込む。
診療所の書棚にていねいに差し入れる。
『真・白雪姫』
ここは、おとぎ話診療所。
病んだ物語を治療します。
(410字)
A面『林檎をたべたのはわたくしなのに』
▼たらはかにさんの毎週ショートショートnoteに参加します。
ここからはおまけです。
短めにしましたが410字ではありません。
B面 『鏡よ鏡』
父様が森から拾ってきた女のことが、きらいだった。
十六になった春のことだ。
母様が死んで、そんなに時が経っていない。
それなのにどうして。
母様とは似てもつかない、真っ白な肌で夜色の髪に、血のようなくちびるをしたあの女は、魔女だと思った。
いつも顔色が悪く、怯えたような目をしており、それもまた気に入らなかった。
私がいるべき家族の場から追い出しておいて。
ある夜、塔の上からすすり泣く声が聞こえてきた。
導かれるように進むと、そこには一枚の鏡。金色の縁どりが豪華な、美しい姿見だった。
そこに映ったのは、そばかすの浮いた顔をした、冴えない女。赤毛の髪は、生まれつきちりちりと傷んでいる。
ところが、自分の姿がふっとかき消された。まるで水面に石を投げたときのように、波紋が浮かんで。
その中に、母様が棲んでいた。
「おまえのお父様は、魔女に魅入られてしまったのよ」
鏡の中の母様は泣き崩れる。
「どうにかしてあの女を追い出さねば。美しさを奪うのよ」
手が伸びてきた。
意思に反して、私の手も伸びていく。
「これは父様を正気に戻す薬なの。すり下ろして、飲ませるのよ」
鏡越しにぴたりと手が合わさった。
氷に触れたのかと思った。冷たすぎて、ちくりと棘で刺されたように痛い。驚いて手を引っ込める。
わたしの手のひらに緑色の林檎がのっていた。
皮ごとすり下ろすと、甘ったるい香りが立ち昇った。普通の林檎よりずっとずっと甘い。蜜がたっぷり入ったにおいだ。まるでなにかを誤魔化すように。
父様のお酒に混ぜた。翌朝、父様は冷たくなっていた。
喪があけるよりも早く、あの女を森へ追放した。
獣に食われてしまえばいい、と。
母様がそう言ったのだ。
襤褸を着せたのに美貌が色褪せない。むしろ、はじめて瞳に光が灯ったようにすら思えた。
塔の上から見下ろすと、あの女の足取りは城から離れるごとにだんだん軽くなっていくように思えた。
そうして、そのまま弾むように森の中へ駆け込んで行く。まるでずっと還りたかったとでもいうように。
「こうなって良かったのかもしれませぬ」
白髪頭の使用人が安堵のため息を漏らした。
「あの方は、森から拐かされて来たのですから。姫さまと同い年だというのに、おかわいそうなことをしました」
「あの女は、森の中で平穏に暮らしているわ。今も美しいまま。奪ってやりましょう」
鏡の中の母様が言った。
その腕は蛇のように"父様"に絡みついている。
いつからか鏡の中に、父様も棲むようになったのだ。
父様は真っ白な顔をして、ぴくりとも動かずに座っている。
虚ろな目でどこかを見ている、だけ。
母様にもらったたくさんの林檎をあの女へ贈る。
「これはね、いっとう特別な林檎なのよ」
そう言って妖しく笑う母様は美しかった。
「作るのが大変だったんだから」
くすくすと笑う。
「この顔も、この男も。飽きてしまったわ」
ぼとりと落ちたその言葉。
確かに違和感があった。
ふと顔を上げる。鏡の中の母様は白い。雪よりももっと。まるで血が通っていないように。
前からこんな肌色をしていただろうか。
そう思ったけれど、脳が痺れたように霞がかっていった。いつからだろう? 母様にもらった林檎を、食べてから?
特別な林檎を継母に贈った。
女が口にしたと、確かに使者は言っていた。それなのに。
翌朝、あの女が戻ってきた。
雪のように真っ白な肌。血のように赤いくちびる。つやつやした黒髪。美しいのは元々だが、なにかが違う。凄みがある。
出て行ったときとは違い、まるで女王のように堂々と城へ戻ってきた。長い長いスカートの裾を引きずり、しずしずと城の門をくぐる。
目が合った。
女はこの世のものとは思えないくらいの妖艶な笑みを見せた。はくはくと口が動いている。
ようやく一番になれた、と。
驚いて鏡の中の母様に相談しに走る。
ところが鏡の中には、父様しかいなかった。
今度森に追放されたのは、私だった。腹をすかせた獣の唸り声が響いていた。
かつてあの女の最期として願っていたことが、自分の身に起きたのだ。
新しい生を受けて、私は驚いた。
母の読み聞かせた物語は、確かに私のいた世界の話だ。それなのに、私の知っているものではない。
鏡の中のあれは本当に母様だったのだろうか。
子どもの頃からずっと、怖くて鏡をじっと見られないのだ。
呼ばれてしまうような気がして。
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