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もし、双葉が枯れても。

一年前、2024年3月。


わたしはママ友から毎日のようにモーニングのお誘いをいただき、いろんなカフェで午前中を過ごす日々を送っていた。

バターがじゅわりと染み込んだ黄金色の分厚いトースト。
フルーツたっぷりのアサイーボウル。
トマトの酸味が効いたピザトーストは、さっくりとちぎるとチーズがとろりと伸びる。
フルーツとモッツァレラチーズがのったトーストもあった。


店によって違うメニューに舌鼓を打ちながら、夫婦の馴れ初めであったり、子育ての悩みであったり、とりとめのない会話をする時間が幸せだった。

帰宅時間の早い、小学生の子を持つ母にとっては、ランチよりもモーニングのほうがゆっくりできるのだ。


コロナ禍をTwitterのフォロワーさん以外だれも会話する相手がいない生活を送っていたわたしは、人とのかかわりにひどく飢えていて、誘いを絶対に断らないという謎のルールをつくっていた。

午前中の仕事時間がなくなった分は帳尻合わせをした。子どもたちが帰宅するまでのほんのわずかな時間と夜中に、全力で。

なんとか終業式の前までに1ヵ月先までブログの予約投稿を終わらせ、4月半ばまでの仕事を終わらせたわたしは、抜け殻だった。


🪻 🪻 🪻 🪻 🪻


春休み。
公園へのお誘いが毎日届いた。

クラスの10人~20人くらいでお弁当を持って集まり、肌寒くなるまで遊ぶ。
くったくたになってしまった。
でもそれは心地よい疲れだった。

子どもたちからリモコンやSwitchを隠さなくてもいいし、家じゅうにおもちゃをばらまかれることもない。
楽しそうな笑顔を見るのは、わたしにとっても幸せな時間だった。


このころは、文章を書くのが完全に「義務」になってしまっていて、やるべきことを終わらせたわたしは、子どもたちが眠ったあと、ひたすらマリカーのレートを上げることだけに注力していた。

(レートは1万を超えた)


足元に薄い氷が張っていて、ひとつでも間違えたら落ちてしまう。そんな気持ちで生きていた。
書くことが苦しいとすら思えた時期だった。

ずっと”家事ノート本の人”としてやってきた。
でも、初めての書籍を出版してから7年も経ち、自分のライフスタイルも大きく変わってしまったわたしは迷子だった。
ただ愚直に毎日更新だけを続けていた。

その先で誰かが見つけてくれると信じて。


結婚がゴールではないのと同じように、出版もまたゴールではない。

足元は不安定で、自分が進む道が正しいかどうかわからないわたしは、ただ、役に立つことを頭の中から、あるいは経験の中からひねり出して発信することしかできずにいた。


たとえば、朝起きてからの一つひとつの行動を振り返ってみる。
時間がかかったり、プチストレスを感じるところに書くヒントはねむっている。


DAISOをうろうろしてみる。
モノを先に買うことで見えてくる解決策もある。


どれほど微量でもいいから料理に変化をつけてみたりもした。

外食で食べたものを再現する。
新しい食材に挑戦する。
レパートリーが少ないと思う食材を極めてみる。
世界の料理に挑戦する。
母の味を再現してみる。


生活のなかに、書くことはいくらでも眠っていた。
むだなことなんてなかった。

けれども春休みの間だけは、書くことに追われずに過ごそうと思って、メモを取ることもせず、やるべきことをすべて前倒しにしていたのだ。

今考えてみると、わたしは、先の見えない自分のことを考えたくなかったのだと思う。


🪻 🪻 🪻 🪻 🪻


1年が経った。


「え、こんな細い道に行くの? おいおい、うそでしょー」

2年生の娘が眉を下げた。
わたしたちは路地裏の入口に立っていた。


春休みを前に、子どもたちの帰宅時間が変則的になっていた。
普段はいない時間に娘がいるものだから、息子の習いごとのお迎えへ一緒に連れて行くしかなかった。

ちょうどいい電車がなく、わたしたちはかなり早く着いて、ファミレスで甘いものを食べながら無言で過ごした。

娘は宿題と勉強とお絵かき、それから読書を。
わたしは隣で月末に〆切を迎える公募作品をタイピングしていた。


時間が迫ってきたので、店を出たばかりだった。

しばらく歩くと、人がすれ違えるかどうかという狭い道に差し掛かった。
わたしも初めて通ったときは驚いたけれど、ナビが示すルートがこの路地裏なのだ。


しかも、結構頻繁に人とすれ違う。



普段は見ない角度から、通らないルートで見つめる世界は、娘の目にはどう映ったのだろう。

「わ、桜だ」


一瞬開けた場所に出たとき、娘がぽつりと言った。
高い塀に囲まれた家々が続いていたのだけれど、そこには畑が広がっていた。


こちらでは、畑をつくっている人がとても多い。


畑には個性がある。


野菜を育てることに一直線で雑草がすべて綺麗に抜き取られている畑。

道路沿いだけを花壇にして、通る人を楽しませてくれる美しい畑。

畝の中は雑草を綺麗に取り払っているのだけれど、周囲にはまるで装飾のように雑草が生き生きとしている不思議な畑……。


この道を何度も通っているのに、はじめてこの畑の存在に気づいた。
娘の一声で足をとめてみると、美しく整備された畑の一角に、わたしの背丈くらいのやや低めの桜の木が植わっていた。

大通りの桜はまだ咲く気配がないのだけれど、花が7割ほど開いており、真っ白な雪を纏っているみたいで美しい。


「ねーねーママ、椿と山茶花の見分け方は覚えたよ。じゃあ、椿と桜は?」

「いやいや、ぜんっぜんちがうじゃん」

わたしは思わず笑い声を上げた。

「いま桜だってわかってたよね。見分けられてるよ」

「でも知りたいの!」

「じゃあ一個だけ。桜って色が変わるって知ってた?」


娘は首を振る。

「あのね、つぼみはピンクなんだよ。花が咲いてすぐは白くって、咲き終わりになると真ん中の部分が濃いピンクに変わるんだって。そうしたらもうすぐ散っちゃうっていうサインなの」

小説に活かそうと思ってこの間読んだ、桜についての絵本で仕入れた知識だった。


─ ─ ─ ─ ─


10歳から文章を書いている。
学生時代は本当に小説だけで生計を立てていこうと思っていた。そこに限りなく近いところへたどり着けたこともあった。


あのころ、日常の全てにヒントがあった。

歴史の授業には面白いネタがたくさんころがっている。
数式の整然とした感じも、もしかしたら今の文章に生かされているかもしれない。
国語の授業ではさまざまな表現に出会うことができた。


それだけじゃない。

テレビも、会話も、本も、目に映るものも。
喧嘩も、つらい体験も、幸せなひとときも、おいしいものも。


すべてが書くことにつながっていた。

むだなものなんて、一つもなかった。



あのころは。


🌷 🌷 🌷 🌷 🌷


けれどもここ10年ほどのわたしにとって、「家事以外のこと」「役に立たないこと」は、むだなものになってしまっていたのではないか。

そう、はっとさせられた。


いまこの瞬間にだって、文章を書くための種はたくさんころがっている。

娘のリュックにはなにが入っているのか。
畑に植わっている緑と紫が混ざったような野菜の正体。
旋回しながら飛んでいく雲雀。


昨年の大晦日、わたしは10年間、3,600日以上毎日更新してきたブログを、週1更新に変えた。肩の荷が降りた感じがあった。

じゃあ書くのをやめたのかというとそうではなく、活動の場をnoteにうつし、ブログの週1更新も続けながら、毎日更新の記録を伸ばしている。
先月で3,700日を超えた。

去年までと違って、ストックをつくることもなく、今も「今日が終わること」に少し焦りながら書いている。けれどもそれは、ゲーム的な、スリリングさがある、たのしい焦りだ。

役に立つことを書く日もあるけれど、自分の中に燻っていた思いだったり、目の前の日常をつぶさに観察した日記であったり、これまでは「読まれないから」と表にあまり出してこなかった現実世界を舞台にした物語だったりした。


─ ─ ─ ─ ─


noteはたぶん、わたしの畑のようなものなのだと思う。

畑といっても、まだ何もないように見える。
ふかふかに耕された土があるだけ。


でもその中には、いろんな種類の野菜が花が、ある程度の規則性を持って植わっている。
そうして畝の周りは雑草に囲まれている。

雑草以外は、まだ芽を出していないだけ。


─ ─ ─ ─ ─
🍎🌷🪻🍄🌼


こんなふうにして書き溜めたものは、すべて種だ。
周りを囲む雑草にすら意味がある。


種のある場所を指差し確認しながら、新しい物語を作る。

わたしという人間が体験した小さな出来事を、まったく別な人間の物語へとつくりかえていく。


そうして書き上げた長い長い物語を、この間、畑の特別な場所に埋めた。

すると、双葉になった。
恐る恐る開いた1次選考の結果発表ページに、自分の名前があった。


─ ─ ─ ─ 🌱


今は、畑を見渡しながら、また、新しい物語を書いている。
急いでつくっている。

双葉が枯れてしまうのか。
それとも大きくなって、いつか桜の花が咲くように形になるのか。

まだわからない。

落ち込む前にできるだけ先に進みたいと思った。


自分のなかにある焦りは、不安は、きっと生涯消えないものだと思う。


本を出してもそこはゴールではない。


でも、時間が空いてもいい。
誰にも読まれなくてもいい。

それでも書き続けた先でいつか、立派な桜の花を咲かせる夢を見ながら、今日も眠気の限界まで書いていく。


立ち止まったら?
──きっと、役に立たないものを書くだろう。

それすら書きたくないときは、畑から外に出てみる。どんなところにでも種はある。



こんなはなしを1年前のわたしに伝えたらどう思うだろうか。

「なんのはなしですか」

そう言われるかも。



けれども、ずっと走り続けてきたわたしが耕し直した畑のかたちなのだ。

雑然とした、それでいて自分なりの美学がある、まだ双葉がひとつあるだけの愛おしい畑。

わたしはこの畑を育てていく。

何度枯れても。




(4,000字)


▼第2回灯火杯に参加します!


*あとがき*


テーマは春。そして書く人にエールを送るものでした。

この3月ではじめての著書を出版してから8年が経ちました。

そこがゴールだとずっと思っていたんです。
だから心が折れそうだった。
ずっと迷走していて、路地裏に迷い込んだ。

そんなわたしが立ち直ったきっかけを、これからどうしたいのかを、
決意を込めてお伝えできればと思いました。


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三條 凛花 最後までお読みいただき、ありがとうございます♡