3週間以内に15万文字以上書くはなし
ディスプレイの下のほうで、デジタル時計が「14:05」を指している。
慌ててパソコンを閉じた。
「まって。時間、やばい」
ゲームをしていた夫も立ち上がり、上着を手に取った。
夢中になっていたせいで、いつもより5分、家を出るのが遅れてしまった。子どもを迎えにいって、習い事をふたつ。それからスーパーで買い出し。それが今日のタスクだ。
振替レッスンがあるからいつもより忙しい。
玄関を出たあと、一度、引き返した。
いつもより大きなバッグを選んで、スマホと財布を移し替える。そして、そのままもうひとつ、詰め込んだ。
家を出ると、いつの間にか雨は上がっていた。
コンクリートはまだ濡れて、てらてらと光っているけれど、そこにぽつりぽつりと波紋が広がるようなことはない。
雨上がり特有の湿った土の匂いが漂う中、車に乗り込む。
座席は少し高いところにあるので、きれいな所作などとはほど遠く、背もたれに手をかけ、勢いをつけて体を持ち上げる。
ふわりとしたスカートの裾が車外にはみ出てしまい、少し腰を浮かせて、後ろに折り込むようにしてからドアを閉めた。
子どもたちを迎えに行き、習い事へ。
ここから交代でレッスンを受ける。
下の子を送り届けて、先にレッスンを終えた娘を連れて車に戻った。
エンジンを切った車内の寒さが、最近の中ではずいぶんとましになっていた。
去年から、駐車場の近くで建設中だった家が、いつのまにか完成していることに気がつく。
娘は、夫のスマホでポケモンGOをはじめた。
こういうとき、夫はいつも寝てしまうのだけれど、自分も好きなゲームだからなのか、ふたりで盛り上がっている。
これならいいか。
助手席で、バッグからパソコンを出した。
すべすべした素材のスカートの上に立てて広げる。
すわりがわるくて安定しない。
打ちにくい。
「え、パソコン持ってきたの」
夫が驚いたように言った。
わたしは頷く。
月末までに長編小説を3本仕上げよう。
そう決めたのは昨日のこと。
意外なことに「やる」と決めたらひらめきが降りてきた。
半日かからず3本のプロットが完成し、自分でもおどろく。
今まではできなかったんじゃない。やらなかったんだ、と悔やんだ。
書かなければいけない量は、最低でも15万字。でもきっと、もっとたくさん書くのだろう。気が遠くなりそうだ。
今朝も、夫がいつまでも寝ている横で、無心で話を作りこんでいた。
ふだんなら起きないことに痺れを切らしているのに、もうどうでもいいというくらいに集中していた。
すっかり日も暮れたころ、振替レッスンでまた別な場所へ子どもたちを送る。
待ち時間が1時間ほどあるので、こういうときはスーパーで時間をつぶすようにしていた。
ノープランでだらだら買いものをすることが多いのだけれど、今日は違った。
余計なものを買わずに車に戻り、再びパソコンを開く。
すっかり日は落ちて、窓硝子にぼうっと幽霊のように、下からのブルーライトで照らされたわたしの姿が映っていた。
取り憑かれたようにカチカチと言葉を打ち続けるわたしを見て、夫は珍しくスマホから顔を上げて「そんなに時間ないん?」と聞いた。
「それとも書きたいってこと?」
書きたいというのは事実だった。
でも、理由はもうひとつあった。
「間に合うとは思うんだけどさ、……来週発表あるでしょ」
15年近いブランクを経て応募した小説が、1次選考を通過していた。たぶんそのうち、次の結果が出る。
「落ちてたら病むもん。それに備えて今めっちゃ書くの」
そのコンテストのことは、〆切の5日前に知った。深夜までかけて3日間でなんとかかきあげ、残りをすべて推敲に費やし、〆切ぎりぎりに滑り込みで提出したのだった。
受賞作品とは明らかに毛色が違うあの作品が、1次選考を通れるかどうかすら、賭けだった。
書いているときは、「これ面白いかも」と思う。
けれども時間を置くと「誰が読むんだ」と不安になる。提出する前に「最高かもしれない!」とハイになり、落ち着いてみると「もうだめだ」と絶望する。
ものを創るというのは、苦しい。
楽しいだけじゃないなにかがある。
自分の価値観では良いと思っても、他の人の目にはどう映るのか。
それを考え出すときりがなくなってしまう。
だからこそわたしは「書けるときにどんどん書く」と決めている。熱があるときにたくさん。
書けないときは、自分の中に新しいものを溜め込む時期だと割り切る。
そんなふうにして帳尻合わせしながら、楽しみ、苦しんでいる。
そうして過ごしてきた15年間は、わたしの中に着実に原石を貯め込んでくれていたらしい。書けないと思っていたのに、いざ考えはじめると、点と点がつながるように物語の道すじが見えてきた。
まるで、空に浮かぶ星々を一つずつ指さして、自分だけの星座をつないでいくような、はじめての感覚だった。
まずは今できることを、一つずつ。一歩ずつ。進めていく。
この先の人生で、たくさんの星座に名前をつけられるように。
(2,000字)
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