日記 │ わたしの誕生花は。
送迎の帰り道、風に揺れるコスモスを見た。
実家から海に向かう道を思い出す。空き地から飛んだこぼれ種で群生してた、あの場所を。
「青春をやり直したい」と人はよく口にする。
わたしは、そう思ったことがない。
回帰した先に違う未来があったとして、どうしてそれが「良いものだ」と信じられるのだろう。わたしはあのくもり空みたいな日々をもう一度過ごすなんて考えたくもない。
青春というものは、わたしの人生においてたぶん、砂金のように稀有なきらきらした粒でしかないのだと思う。
全体像を振り返ってみると鈍色の靄しか見えてこない。
そんなふうに思ってしまうのは、長いあいだ、だれかの一番になるどころか、──物語でいうならあらゆる人の脇役として生きてきたことに由来しているのかもしれない。
誕生日と聞いてぱっと思い返すのは、小学校からの帰り道。
通学路に面した家の庭先に、野葡萄の実がしゃらりと垂れ下がっていたのをよく覚えている。
くすんだ色味ではあるけれど、ピンク、青、緑……とひと粒ごとに色のちがうそれは夢みたいにうつくしく、けれども、毒々しかった。
野葡萄の花言葉は「慈愛」や「親切」であるらしい。
「みっちゃんも10月生まれなんでしょ? おそろいだね」
わたしはそう言ってから、困惑した。なにを間違ったのかわからない。みっちゃんの表情が抜け落ちていた。
彼女は片方の口の端だけを上げて、目を細め「プレゼントがほしいの?」と、聞いた。
「何の話……?」
「だーかーらー。凛花ちゃんの誕生日のほうが先でしょ? プレゼントがほしくてそんなこと言い出したってこと、わかってるんだから。がめついんだね」
そんなつもりは、なかった。
掲示物かおたよりのいずれかで彼女が同じ月の生まれだと気づいて声をかけただけ……だと思っている。けれども、昔すぎて、わからない。
無意識の浅ましさが100%なかったとは言いきれないのだ。
もしかしたら、おめでとうって、言われてみたかったのかも──。
この出来事から、誕生日が近い人には贈りものを渡しづらくなった。
心からのプレゼントのつもりが、強請っているように見えたら悲しいから。
思春期の誕生日。
病院のベッドで過ごしたことがあった。
誕生日にひとりなんて淋しい、お見舞いに来てくれる──と友だちが言ってくれたので、わくわくしながら待っていた。何度も寝返りを打つ。点滴のチューブが引っ張られて痛い。
ところが、空の端が淡いピンク色になっていた。何度センター問い合わせをしても連絡が無いまま、あたりは真っ暗になった。
友だちは翌日、悪びれもせずやってきた。
「エミコにパフェに誘われたから、昨日行ってきたんだ」
わたしの誕生日のことなど、頭からすこんと抜けているらしかった。
極めつけは大学時代のはなし。
『明けにぎり、宵むすび』というタイトルの短い作品を書いた。誕生日の話だ。
あのときは、もし、事実を知らなければただただ幸せだったと思う。
ザッキーが余計な一言を言わなければきっと、当時の人生でいちばん感動した一日になったはずだったのだ。
わたしの子ども時代から青春時代にかけての誕生日の思い出というものは、おおむねこんな話ばかりがいくらでも出てくる。
挙げればきりがないので3つに絞ったくらいである。
だから、家族以外に誕生日を祝われている人が、とてもうらやましかった。
わたしは気軽に誕生日をお祝いする。
それは自分が祝ってもらえなかったからこそ、そのうれしさを知っているから。
また、幸い、短い数字に限っての暗記が得意で、小学1年生のときの出席番号も、子どもの習い事の8桁のIDも覚えている。
そんなわけで、入学式でとなりになった女の子の誕生日も、2年しか通っていない習い事の友人の誕生日も、わたしに「がめつい」と言ったあの子の誕生日も──ぜんぶ頭の中にある。
20代半ばごろまでは、しばらくメールしていない友だちでも、誕生日になったら、なるべくメールを送っていたし、仲良しの子なら、プレゼントを欠かさずに贈っていた。
友だちの誕生花を調べて、その花言葉を添えてみた年もあった。
自分がしてもらったことがなくて、憧れているからやってみたのだけれど、ふと、小学校のころに言われた「がめつい」という言葉がよぎる。
もしかして、自分がしてもらいたいから言っているのだろうか。そう思ったら自分が浅ましく思えて、いつのまにか、誕生日メールを送らなくなっていった。
大学時代のサプライズパーティーの真実に気づいて、泣きながら飛行機に飛び乗った、その翌年の誕生日──。
わたしは横浜の遊園地で観覧車に乗っていた。
赤い薄手のニットを着ていたことや、プライベートの芸能人を見て飛び上がったことなどを覚えている。
恋人がベロアのような手ざわりの、綺麗な濃紺の箱を差し出した。
開けてみると、親指の爪くらいの大きさの林檎のモチーフに、ダイヤがひと粒あしらわれたネックレスが入っていた。
二十歳の誕生日、わたしは生まれてはじめて、心からのお祝いをしてもらったのだ。
横浜の夜景がじゅわりと滲んでいった。
彼とはつきあって二ヵ月で、当時はわがままもよく言っていた。
「誕生日だから、ケーキがたべたい」
そう言うと、自分の実家ではそんな習慣がなかったと頭をかきながらも、彼は翌年からケーキを用意してくれるようになった。
じつは生クリームがとても苦手で、実家では毎年アップルパイと決まっていたのだけれど、それは言えなかった。
その後も、ディズニーランドに連れて行ってもらったり、帝国ホテルのディナーをたべたり、カメラや財布などをもらったりと、恋人のおかげで幸せすぎる誕生日が年々続いていく。
なお、当時もらった財布は汚れたので、違うものを使ってみたけれど、どうしてもしっくり来ずに、最近また使っている。
二十三歳で、恋人と結婚した。
そのころから、毎年もらっていた誕生日プレゼントはなくなってしまった。食事は自分が食べたいものを予約するように言われて、なんだか特別感がない。
「財布が同じだから」と夫は言う。
選んでくれているあの時間が幸せだったんだけどなあと思ったけれども、そう思ってしまうのは贅沢かもしれない。
それでもなぜか、毎年ケーキだけは用意されているのがふしぎだった。
長女が生まれた。
夫の誕生日の一日前だ。帝王切開の痛みに苦しみながら、困っていた。
今年はお祝いをしてあげられない……。プレゼントは買ってあったけれど、食事もケーキも用意できないじゃないか。困り果てたわたしは、手伝いで泊まりに来ていた母に「夫にハンバーグを作ってあげて」と頼んだ。
翌日病室に来た夫に「ハンバーグおいしかった?」と尋ねる。
夫は首をかしげた。終電で帰宅した夫は何の話かわからずにただハンバーグをもくもくと食べただけだという。
そうしてはじめて、夫は自分の誕生日を思い出したのだ。
彼はイベントごとに興味がないものだから、バレンタインも誕生日も、たいてい忘れている。
誕生日が近づくと、わたしは普段よりも感傷的な気分になる。
子どもが幼稚園に入ったあとは、スーパー銭湯までがんばって出かけて、スマホから離れるようにしていた。岩盤浴で背中からじわじわと温まってくるなかで、ふと泣きたい気持ちになる。
それはたぶん、これまでの「悲しい思い出」ばかりがよみがえってくるからなのだと思う。
時は流れて2024年──。
例年どおり、岩盤浴を終えて、自分のためにカフェに立ち寄ったわたしは、自分以外のつくった料理に舌鼓を打ちながらスマホをひらいて、驚いた。
LINEが届いていたのだ。
ママ友からだった。
青春時代を終えて長い長いときが経ち、家族以外のだれからも祝ってもらうことなどなくなっていた。当日にもらったメッセージに泣きそうになった。
しかも子どもの迎えに行くと、別なママ友から誕生日プレゼントまでもらった。
そうして子どもたちを迎えに行って家にもどると、夫が遅めの昼休みで抜けてきていた。
テーブルのうえに「これ」とだけ言って箱を置くと、また慌てて仕事にもどっていく。すぐにエンジン音が遠ざかって行った。ぽかんとしていたら、なかにはチョコレートケーキが入っていた。
今年も誕生日を迎えるにあたって、また、これまでの「だれかに大切にしてもらえなかった記憶」ばかりが湧き出してくる。
大人になっても何度でも傷つく自分のことがいやになりそうだ。
でも、だからこそ、記録しようと思った。
というのも数年前に実家に帰ったとき──。
後輩の女の子からの誕生日プレゼントや手紙が出てきたから。便箋二枚にびっしり書かれたメッセージから、わたしを慕ってくれている様子が伝わってきた。
ふと思い出した。
悪い記憶は残りやすい、ということ。
誕生日というのはつらい日──という、刷り込みにちかい感覚になっていたのかもしれない。
でも実際には上書きされていただけで、ちゃんと、いいことだってあったのだ。
それを忘れていたのがもったいないと思った。
大事なこと、幸せだったことほど、ちゃんと記録していく。
忘れないように。忘れてもまた思い出せるように。
その第一歩として過去の呪いをここにしるした。
今年こそ解くために。「がめつい」って思われるのが怖くてあまり書かないようにしてきた誕生日について、まずは書いてみた。
目を閉じると、実家から海へ歩いていく道が思い浮かぶ。
空き地からこぼれ種で飛んできた植物が群生している。それは、赤みを帯びたコスモス。
わたしの誕生花。
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