消えた「泣いてるトラック」
小さな娘を思い起こそうとすると、ふわりと浮かぶ風景がある。
高い建物に切り取られたせまい空が、急に開けて明るくなる、川沿いの道だ。
赤茶色の煉瓦で舗装されている。

防波堤との境目には赤花夕化粧や胡瓜草、雛桔梗草といった、季節の野の花たちが顔をのぞかせる。

家では事あるごとにぐずる娘が、この道を通るときは、静かになるのが印象的だった。
目線の高さは、わたしのおなかくらい。
後ろからベビーカーを押すわたしには彼女の目になにが映っているのかわからない。
道向こうには橋がかかっている。
川は、テクスチャのあまりないいつも凪いだ感じの水で、汚いとも思わないけれど、きれいだと感じることはなかった。
さらに進んでいくと、わたしと娘が週の半分くらいを過ごしていた児童館が、見えてくる。
東京生まれの娘は、週の半分近くを児童館で過ごしていた。

出かける前によく写真を撮った。
同じ年ごろの子どもたちと踊ったり、うたったり、折り紙をしたり、粘土をしたり。先生たちが見守ってくれるなかで、ママに怒られることもなく、いつもにこにこしていた。
児童館に行くのも楽しかったけれど、なぜだろう、行き帰りの道がやけに記憶に残っている。
徒歩圏内には3つの児童館があった。
色々行ってみて、家から徒歩15分の場所がいちばん気に入った。
明るく広いホール。
先生やママの雰囲気。
ほどよい混み具合。
行き帰りの道が、東京とは思えないくらい自然いっぱいなのもよかった。

子どもが生まれてから、つねに頭のなかがうるさかった。
まとまらない思考やTodoがぐるぐる渦巻く中で、川沿いの道を歩いているあいだは娘も静かで、わたしのこころも無になっていた。
娘が歩けるようになると、途中に広がる遊歩道で娘を下ろして、そこだけ歩かせるようになった。

この遊歩道には、たくさんの生き物がいた。
春におたまじゃくしを見つけたときなんかは、田舎育ちのわたしですらじつは見たことがなくて、ふたりできゃあきゃあ喜んで観察した。
落ちている花びらや木の実に興味を示す。
枝を見つけると、がりがりと砂をかく。
蚊がうようよいるのになかなか帰りたがらず、むっとしてしまうこともあったけれど、どれも小さなかけがえのない時間だったと、いま振り返ってみると思う。
3歳に近くなると、長い距離にも関わらず、自分で歩く日も出てきた。

東京にいたころ、娘の目に映るのはいつも、低い位置から見上げる世界だった。
ベビーカーの上から、あるいは3歳の小さな身長から見える、世界。
あの道を何度通っただろう。
四国へ引っ越すまでの、3年にも満たないあいだに。
娘が3歳半になったとき、わたしたち家族は、夫の仕事の都合で四国に引っ越した。
広い空。
ずっと先まで続く田んぼ。
道々にある畑。
歩いて見える景色はまったくちがった。
いくら歩いても、児童館どころか公園もなかった。
一方、「3歳の誕生日」から入れる園は多い。
児童館を恋しがってしくしく泣く娘を不憫に思った夫が、すぐに途中入園を申し込んだ。

車通園になった娘の視界は、大きく変わった。
4WD車の、地面から高いところにある助手席に取りつけたチャイルドシートから見える世界は、きっと、ぜんぜん別なものだったのだと思う。
「泣いてるトラック!」
娘の声が跳ねる。
「あのね、泣いてるトラックと、泣いてないトラックがいるんだよ!」
「え、なんのはなし……?」
困惑するわたしに、フロントミラー越しの夫が、目を細めて笑いながら説明する。
「トラックをさ、後ろからみたら、泣いてるように見えるんやって」

娘はそれから車に乗るたびに「泣いてるトラック」を探した。
泣いてるトラックは”あたり”だ。
見つけただけで、娘がふっくりと笑顔になれる。怒っていたわたしもつられて笑顔になる。
娘は、2年生になった。

135cm。すらりと華奢な長身。
わたしとの身長差はついに20cmを切った。
足のサイズもほとんど変わらない。
わたしが助手席に戻ったのは2年ほど前だっただろうか。前をゆく車の”後ろ側”がよく見えることに気がついた。
「泣いてるトラックいたよ」
にこにこして娘にそう言うと、ミラー越しの娘は怪訝な顔をして「なんのはなし?」と答えた。
「あ、コサギ! コサギコサギ!」

声が弾む。
視線は車窓の向こうに吹き飛んでいく、小さなため池に固定されたまま。
コサギという白い水鳥を偏愛している娘は、車が通り過ぎる一瞬で、透き通った川やため池を注視し、より多くのコサギを見つけるのがライフワークになった。
娘の目に映る世界から、泣いてるトラックは消えてしまった。
でもわたしはきっと、おばあちゃんになっても泣いてるトラックを見つけると思う。
3歳の娘のおもかげを、探して。

(2,000字)
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