バイキンマンと天使のささやき
「エンジェルボイスだね、凜ちゃん」
あやちゃんのその声は、放課後の静まり返った教室で、まるで柔らかな風のように私の耳を撫でた。
一瞬、何かの聞き間違いかと思ったほどだ。
窓から差し込む光が、彼女の真剣な瞳をきらりと輝かせている。その視線を受け止めると、胸がどくんと跳ねた。
照れくさくて、ただ曖昧に笑うことしかできなかった。
けれど、その言葉は、心のどこか奥深くでじんわりと温かさを広げていった。
正直なところ、自分ではそう思えなかった。
鏡に向かって話す自分の声は、どこか頼りない。
高音も出ないし、声量もない。
歌だって、いつも音を外してしまう。
そんな私が、「天使の声」なわけない。
そもそも、天使の声ってどんな声なのだろう?
澄み切った泉の水のような、どこまでも伸びやかで、聴く人の心を癒すような、そんな声が浮かぶ。
でも、私の声は、どちらかというと、カラスの鳴き声に近いような気がする。
声へのコンプレックスは、いつしか自己紹介や発表の場面を苦痛なものにしていた。だから、中学校の国語の授業で詩を朗読する順番が回ってきたときも、逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
私の心臓はまるで小鳥の羽ばたきのように激しく鳴っていた。
「できるだけ落ち着いて、ゆっくり読もう」
自分にそう言い聞かせながら、教科書を握る手は微かに震えていた。
一行ずつ、言葉を紡ぎ出す。
途中、少しつっかえそうになりながらも、最後まで読み終えた瞬間、教室は静かだった。
緊張と恥ずかしさで顔を伏せていると、先生の柔らかな声が響いた。
「凜さんの声は、とても心に残るね。優しさが伝わってくるよ」
「将来、そういう職業もいいかもね」
その言葉は、私の心に小さな光を灯した。
少しだけ自分の声に自信が湧いてきた。
その後も、私の声は変わらなかったけれど、その言葉が私に与えてくれた意味は、日に日に大きくなっていった。
そんな私の前で、最近、2歳の娘がバイキンマンの声真似を始めた。
夫は「ママにそっくりだ」と笑うけれど、私の気持ちは少し複雑だ。
自分の声が好きになれなかった、あの頃を思い出すからかもしれない。
娘は両手を広げ、満面の笑みで「バイバイキーン!」と叫ぶ。
その無邪気さに、自然と笑みがこぼれた。
その声は、高くてハスキーで、どこかコミカルで、天使の声とは程遠いけれど、私を笑顔にする力を持っているのだ。
完璧じゃなくてもいい。
高音が出なくても、音程が外れていても、そこに込められた気持ちがあれば、それは天使の声にも負けないくらい尊いもの。
私がずっと探していた「声の価値」が、目の前の娘を通じてそっと教えられたような気がした。
友人の声も、先生の声も、娘のバイキンマンの声も、私が思い悩んできたカラスの声も、心が乗った声は誰かにとっての宝物なのだ。
声は単なる音ではなく、心の鏡。
その想いを届けるためのものだから。
私の声が、言葉が、誰かの心にそっと寄り添い、笑顔を作れるなら、それはきっと天使のささやきにも負けない。
これからも、この「声」で、温もりを届けていきたいと思う。
喜木 拝
(本文1245文字)
ことばと広告さんが主催の #モノカキングダム2024 に参加するために、書きました。
テーマは「こえ」。
すでにたくさんの素敵な作品が投稿されていて、読み応えあります。
ドキドキ。
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