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自己理解が迷子になるとき

自己理解をしていると、
あるとき、ふいに

「あれ…? わたし、何がしたいんだっけ」
と、立ち尽くしてしまう感覚になることがあります。


ワークをこなして、ノートを埋めて。
自分と向き合い、
自分のことを考え続けてきたはずなのに。

気づいたら『自分』という言葉が
どこか遠くなっていた。


そんな経験、ありませんか?


► 考えすぎると、見えなくなるものがある

「自分」という言葉を何度も書いていると、
ある瞬間から急に意味がわからなくなる。

ゲシュタルト崩壊という現象に似ています。

実は自己理解も、同じことが起きやすい構造で。

自分のことを分析して、言語化して、
整理して、またワークをして…。


そのつちに
「分析している自分」が前に出てきすぎて、
「感じている自分」がどこかへ消えていく。


頭の中は情報でいっぱいなのに、
自分のことが、埋もれて見えなくなってしまう…。


► 「分析する自己理解」と
  「感じる自己理解」は別モノ

自己理解には、大きく分けて
ふたつの方向があると思っています。

ひとつは、分析する自己理解
強みや価値観を言語化して、パターンを見つけて、
「わたしはこういう人間だ」と整理していくもの。

もうひとつは、感じる自己理解
いまこの瞬間、自分の中に何があるのか、
どう感じているのかを静かに眺めていくもの。


わたしの経験上、迷子になりやすいのは
「分析する自己理解」をやりすぎているとき
です。

答えを出そうとすればするほど、
感覚からは離れていきます。


► 自己理解は、
  答えを出すためにするものではない

「自分のことがわかれば、答えが出る」

そう思って、自己理解をはじめた人は多いと思います。
わたし自身も、そのひとり。

でも、自己理解を重ねるほど気づいたのは、
答えは『自己理解の外にある』ということ。

自己理解でわかるのは、
「いまの自分が、どんな感覚を持っているか」


それをどう活かすかは、また別の話なんです。


答えを出そうとして自己理解をすると、
「まだ足りない」「もっと掘らなくちゃ」という
終わりのない無限ループに入ってしまう。

わたしも、何度もそこにハマってしまい
つまづき立ち上がり、またつまづき…を
くり返してきました。


► 迷子になったときにやること

自己理解が迷子になったとき、
わたしがやっていることがあります。

まずは、
分析をやめること。


書き出しノートを閉じて、
「いま、この瞬間に何を感じているのか」だけを
ただ眺めてみるんです。


心地よいか、そうでないか。
軽いか、重たいか。

それだけでいい。

名前をつけなくていい。
整理しなくていい。
意味を見つけなくていい。

ただ、感じていることを
感じているままにしてみるんです。


たとえば、飲み物を口に含んで飲み下す。
口から喉、食道、胃へと
あたたかさ、あるいは冷たさが
浸みわたっていく感覚を味わう。

それが、
感覚に戻るいちばんの近道だと思っています。


► 「わからない」は、スタート地点

自己理解が迷子になるのは、
失敗じゃありません。


それだけ真剣に、
自分自身と向き合ってきた証拠です。


「わからなくなった」は、
ゴールを見失ったのではなくて、
「分析」から「感覚」へ戻るためのサインかもしれない。


そんな視点を持ちながら、
答えを急いで出そうとするのを
少しだけ手放してみませんか?


「いまここにある感覚」と、
少しの間、一緒にいてみる。

それも、
ひとつの誠実な自己理解だと思います。


ここまで読んでくださったあなたの中に
「いま、ちょっと迷子になってるかも…」と
思う節があったなら。

ぜひ「いま感じていること」を
大切に眺める時間を持ってみてほしいと思います。



今回の記事も、
最後までお読みいただき
ありがとうございます。


では、また。




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