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【#創作大賞2024】いなくなったきみへ第八話

いなくなったきみへ

前回


interlude

 「えぇ!!今日古河さん休み!?」
 有紗がコルクボードの前で声を上げる。うるさい。

 「よくあんだって。気にしたら負けだよー」
 「え〜、今日三人だから楽だと思ったのにー!」

 いつも通りじゃん! という有紗の愚痴を聞き流しながらエプロンをつけ店に出る準備をする。私より後からバイトとして入ってきた有紗は誰にでも人懐っこく喋りかけるタイプで、よく言えば親しみやすい。悪く言えばずっと喋ってるから面倒くさい。

 でも、無遅刻無欠席でガンガン働く子だから一緒のシフトはやりやすい。いや普通なんだけど、無遅刻無欠席。古河さんが特異なんだけど。

 そんなに頻繁じゃないけど長くやってると気になってくる。

 古河さんは急に休むのだ。

 元々忙しいのか多くても週二ぐらいしか入らない人だった。それはいい。で、突然当日ギリギリに連絡が来る。ほんと申し訳ありません。すみません。行けません。

 なんかあんの? とそれとなく聞いてみたことがある。彼氏にデートDV紛いの束縛されてるとか。ほら、古河さん美人だから。

 古河さんは曖昧に笑って逃れたがっていたけど、お節介と野次馬根性で少しだけ踏み込んでみた。なんとなくそういう雰囲気があったから。

 「親、ちょっと難しい系?」

 「あぁ……まあ……そう」

 口を一本にキュッと結んでわざとらしく目を細めて笑う。あんまり言わないでって顔。わかる。

 店長にはうまく言っとくからいいんだけどさ、と軽い口調で彼女に告げる。

 「親、諦めると楽になる人もいるよ」

 古河さんは苦々しげに顔を歪めると、「そう簡単に思えたら……ね」と言って一人でタイムカードを切りに行ってしまった。

 まあ、いいけど。友達でもないし。

 早く実家出られるといいね。そう思ったけど、そんなことを伝えることは一生ないんだろう。

 そうしてまた、人生にとってほんのオマケでしかない本日のバイトのお時間が始まるのだ。

七.誘惑(7-1)

 我が儘。繊細。お姫様。だけど、どこまでも魅力的。美貌も、愛嬌も、困るほど持っているのに、いつも人目を気にして何かを大事に守っている。

 嫌なところもズルいところもこれでもかと見せつけられてきたのに、私はそれでもまだ、古河律子を美しいと思っている。

 綺麗な薔薇には棘がある。

 自らも傷つけてしまうほどの美しい棘が。

***(7-2)

 律子は入学した頃からなんとなくいつも近くにいた。多分、初対面が苦手だからどこにいたらいいかわからなかったんだと思う。先輩とも同期とも特に何も考えずに喋る私の後ろによく隠れていた。

 誰とも喋らずポツンとしてたら気を遣われるし、かと言って苦手なコミュニケーションはどうにも頑張れない。私は誰とでもいい具合に盛り上がれる。お互いがそういう性格だと出会って十五分ぐらいで察したので、新入生入部説明会の時点で私たちは各々が過ごしやすいそのポジションに落ち着いた。

 隣にいたら自ずと喋るわけで。ごくごく一般的な段階を踏んでお互い気を遣わない会話ができるようになった。絶妙な要領の悪さで単位を落としていく律子を腐しながら助けたり、律子は律子で私には言いたいことを結構ズバッと言っていた、と思う。実際はわからない。そんな風に思うだけ。

 律子のことはいつもわからない。

 「夏希はあれだね。性格悪いね」

 「え、なんでそんなストレートに言う? 私今なんかした?」

 「私とモノの見方が合う時点で、もう悪いよ」

 律子がちょっと悪びれた笑顔を浮かべる。綺麗な女って映画から出てきたみたいに笑うんだな、とぼんやり頭の後ろの方で思う。その現実感のなさが危うくて、なんとも古河律子然としていた。

 でも好きだよ。と、律子は言う。

 性格悪いとこも好きだし、全部正直に言う優しくなさも好きだよ。

 褒めてないじゃん。そうやって戯れながら律子を軽く小突いて笑う。普通の友達。

 遊びに行ったりもした。でも、遊びに行くよりどこに行きたいかって話をよくスマホ片手に部室でした。

 範囲を決めてお互いどこに行きたいか言い合う。何をしたいかプレゼンする。意見が一致したら実際に行こうと話していたけど、いつまで経っても全然合わなかった。

 律子はよく長野に行きたがった。阿智村、日本で一番星が綺麗に見える村なんだって。そこにする、っていつも勝手に締め括った。

 二人で旅行に行くことは結局なかった。一度だけ行こうとした時ならあったけど。

 〝ダメだ。親にバレた。〟

 その一通だけポンと送ってきて暫く音信不通になった。

 あの時はさすがに落ち込んでいた律子だったけど、そのちょっと後、いいこともあった。芳賀と付き合い始めたのだ。

 芳賀と付き合い始めた頃の律子は輝いていた。楽しくて、見ている側がちょっとムカつく充実感を醸していた。メッセージのやり取りも律子の方からどうでもいい報告をよく送っていたりして、この女もそういうことをやるんだと感心したものだ。

 別れた時は本人から何も言われなくて噂の方が先に回ってきた。大学生の恋愛なんてそんなもんだよなぁって感じ。一年の頃に付き合い出したけど、一周年にも満たなかった。落ち込んでんのかなって連れ出してみたけど、そういうわけではなかった。淡々としていてある意味心配だった。

 「ちゃんとしてて、私にはもったいなかった」

 それしか言わなかった。だから大丈夫だと思った。だけど、律子はそこから少しずつおかしくなった。

 笹原さんと会い始めた時、私は律子に「気をつけなよ」とだけ声をかけた。

 それは決して笹原さんが危険人物だとか邪な先輩だと思ったわけじゃない。律子が、律子自身を大事にするのをやめてしまった選択のように見えたからだった。

 〝芳賀は〟ちゃんとしてて、〝できてない〟私にはもったいなかった。

 律子が人間としてダメなことは決してない。律子の理想に律子自身が追いついてないのだ。誰かに刷り込まれいつのまにか染みついた自己否定が顔を出した。

 自分を見失ったまま、それでも性欲を孕んだ感情に気づくセンサーだけが正常に作動している。そんな状態でする恋愛がまともなわけがない。 

 律子はいくとこまでいって、正常な防衛本能で泣いて帰ってきた。笹原さんがまともな人でよかったと思う。一生消えない傷をつけられることだって珍しくない。

 なんでそれを私が知っているかというと問いただしたからだ。

 律子は泣いた。泣いて、なんで夏希にそんなことまで言わなきゃいけないのと萎らしく反抗した。それでも律子を大切にしたかったから、友達ならそうすべきだと思って問うた。

 嫌われたかなと思ったけれど、律子は私が側にいることを許した。そんな時も律子は綺麗だった。色素の薄い目が潤んだ膜を張って薄桃色に染まり、睫毛の先で涙が反射していた。

 私たちはこれを乗り越えたら、何かもっと強力な絆で結ばれる。私はあの時の律子をそういう気持ちで見ていた。この子が壊れてしまわないように。その前に二人で乗り越える。

 それなのに、律子の選択は残酷だった。

 外では話しにくいこともあるからとその頃から私は律子を家に呼ぶようになっていた。実家暮らしだったけど、基本親がいない家だったからだ。

 昼間の誰もいない時、空きコマの間に寄れる距離だったから本当によく遊びに来ていた。慣れているからベッドに腰掛けたり、だらしなく寝っ転がっていることもたしかにあった。

 その日ふっと会話が途切れた瞬間、律子の薄い唇が私のそれに柔らかく触れた。

 伺うような上目遣いはもはや断られるとは思っていない自信を帯びて優美に笑っていた。あんなに細い力のない手に優しく手首を掴まれる。ゆっくりと押し倒されるのを振り払うことも考えなかった。

 唇に、首に、律子のキスが落とされる。

 「嫌だったら言って」

 その眼は何の感情も持ってなくて、どこまでも性的に魅力的だった。

 律子のキスが肩に胸に降りていく。むず痒くて、本当はこんなことしている場合じゃないのに、何故か私は手を伸ばした。律子の、心配になるほど病的に細い背中に腕を回してしまった。
 律子の指がスカートの下で太ももを這い、際どい所でピタリと止まる。

 「夏希」

 律子はその続きを言わない。言わないで、してほしいから。

 わかっていた。律子のそれは性欲でも何でもなくて、ただめちゃくちゃにしてくれる人を求めているだけなのだ。〝この人はそれをくれる〟って人をちょっと刺激するだけで目的は簡単に達成される。

 わかっているのに、私は律子に触れてしまった。

 ズルい女。いつもそう。Aがいい? B がいい? って訊かれると答えられないのに、必ずAを選んでくれる相手を探している。Bしか選ばない人を私には合わなかったと遠ざける。Aにしたいって言えればいいのに。Aにしたいのか、Aで本当にいいのか、自分で自分がわからない。

 それが古河律子だった。

 三回ぐらいでこのふざけた戯れはやめた。

 「律子。あんた自分で自分愛せないからってわざわざ自分で傷つけるのもうやめなよ」

 そう言ってもう一度目を見て

 「もう、やめな」

 と伝えた。

 律子は目線を逸らして「うん」とつまらなそうに呟いた。一度も、私の言葉がこの女に届いたことはなかったのだと実感する。

 謙虚で、純粋、人の顔色を伺う癖に、誰よりプライドが高くて、我が道をゆく。美しくて、気高くて、そして孤独だ。

 なんで触れてしまったんだろう。私だけは律子の友達で在り続けねばならなかったのに。

 でも、もう遅い。そして、律子の次はもう始まっている。

 「宮野はあんたがめちゃくちゃやっても、あんたを怒れないし、傷つけてもくれないよ」

 律子は答えない。

 「やめなよ。宮野、いいやつだよ」

 「知ってる」

 いつもの冷めてて、大人びてて、整った古河律子が答える。

 「それは宮野が決めることでしょ」


続く

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