頭脳で巨富を得る時代は、なぜ生まれたのか──狩猟採集からAI時代までの「能力の価値」の変遷──
今日は温かかったですね。私も外に出ましたが、さすがに半袖の人はいなかったものの、上着を腕に掛けて歩いている人は結構いました。
さて、……。
はじめに
現代には、頭脳労働だけで破格の収入を得る人が存在する。しかしよく考えてみると、人類史の大半は農耕や狩猟の時代であった。
彼らの祖先は昔、集団生活の中でどのように生き延びたのかがふと気になった。本稿では、過去と現在の環境の違いから、人間社会における「能力に対する評価の変化」を読み解いていきたい。
① 狩猟採集時代──知能はすでに生存資源であった
まず確認すべきは、狩猟採集社会が決して腕力偏重ではなかった点。人類はその誕生時から、極めて認知能力に依存した生物であった。
狩猟は筋力勝負とのイメージを持たれがち。でも、実際に狩猟で獲物と一対一で戦うことは少ないことに思い至れば、狩猟で必要なのは筋力だけではないことに気付く。
獲物の行動予測
地形や季節の記憶
罠や道具の設計
集団での連携
これらは明らかに認知能力を要求する作業である。実際、現代でも狩猟採集で生きている民がいて、その研究でも「最強のハンター=最も筋力が強い人物」ではない例が多い。
さらに重要なのは、人類集団が早期から役割分業型であったことである。
狩猟が得意な者
採集に長けた者
道具製作に秀でた者
調停や交渉がうまい者
この多様性こそが、集団全体の生存率を高めていた。従って、いわゆる頭脳型の個体が淘汰される必然性は小さかったと考えられる。
② 農耕社会──能力格差は抑制されていた
農耕が始まると、社会構造はさらに変化する。しかし、ここでも「知能=巨富」という構図は、まだ成立しない。その理由は単純。生産性の上限が低かったからである。
農業社会では、
土地
労働力
水利
といった物理的な資源が、集団の生存に対し大きな割合を占めていた。即ち、個人の認知能力が収穫量を何十倍にも跳ね上げるのは、ほぼできなかったことになる。
また、共同体的な再分配圧力も強かった。
村落共同体
年貢制度
身分秩序
これらが、個人の突出を制度的に抑えていた。つまり能力差は存在しても、経済格差が大きくなりにくい構造であったと言える。当然、現代のような「頭脳だけで巨富」という現象は、まだ発生しなかった。
③ 近代以降――認知能力のリターンが爆発した
決定的な転換は、産業化と情報化の進展である。近代以降、価値創出の主戦場は次第に、
土地
筋力
物理的な労働
から、
設計
計算
抽象思考
情報処理
へと移行した。さらに現代社会には、過去には存在しなかったスケール効果がある。
例えば、
ソフトウェア
金融モデル
アルゴリズム
コンテンツ
これらは一度作れば、ほぼ無限に複製できる。ここに、歴史的にも新しい現象が生まれた。すなわち、一部の認知能力が極端な経済報酬に直結する社会の現出である。これが、現代の「頭脳で巨富」現象の本質である。
④ 将来像──AI時代は何を拡大し、何を縮小するか
では、この流れは今後どうなるのか。
AIの進展は、単純な認知作業の価値を確実に圧縮する。これはほぼ間違いない。しかし同時に、別の能力の価値はむしろ上昇する。例えば以下のようなものが上げられる。
問題設定力
統合的判断力
社会的信頼構築力
創造的編集能力
興味深いのは、ここに来て人類の原初的強み、すなわち「協力と社会性」が再評価されつつある点。狩猟採集時代に重要だった能力が、形を変えて戻ってきているとも言える。
将来は、
純粋な知識量
ではなく、
文脈を読む力
人と人をつなぐ力
不確実性の中で決める力
といった、より複合的な能力に報酬が集中していく可能性が高いと推測される。
まとめ
頭脳型の人間は、昔から決して無価値ではなかった。人類社会はもともと、多様な能力の協働で成り立ってきたからである。ただし現代は、認知能力の経済リターンが歴史的に見て異常に拡大した時代とも言える。
そしてAI時代は、その偏りをさらに推し進める一方で、人間固有の社会的知性を再び浮上させる可能性を秘めていると感じている。
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