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問屋の衰退と小売が価格を決める時代へ

首都圏創生

第Ⅱ部
血縁・地縁・職縁


第11章


問屋の衰退と小売が価格を決める時代へ



街はある日突然
冷えたわけではなかった

現代の首都圏の街を歩くと、「なんとなく冷たい」と感じる瞬間があります。

人がいないわけでも、店がすべて消えたわけでもない。

しかし、生活の温度が薄い。

街が居場所のようで居場所でない感覚だけが残るのです。

この冷えは
昨日今日の変化ではありません。

昭和、平成、令和へと続く半世紀以上の積み重ねが静かに街の潜熱(パイΠ)を奪っていった結果です。

その縮退の中心にあったのは、技術革新でも、人口減少でもありません。

問屋の衰退と 小売による価格決定。

この二つが、街の生活圏を根本から書き換えました。

そして皮肉なことに、問屋は資本主義の象徴のように思われていたのに、消えてみたら初めて、彼らこそが 見えざる手そのものだった と気づくのです。


問屋が消えた街で何
が起きたのか

戦後から昭和の商店街には、必ずと言っていいほど問屋が存在していました。

仲買人、青果市場、魚河岸、酒問屋。

彼らは、物流の中継地点、商店の仕入れの相談相手、地域の価格の緩衝材の役割を静かに果たしていました。

時には結婚の相談や、仲人として人生の分岐点に、そっと立っていたのです。

しかし平成に入り、大型ショッピングセンターが普及すると、小売業はメーカーや産地へ直接買い付けを行うようになりました。

問屋を介さず、バイヤーが値段を先に決めてから商品を決める世界が生まれたのです。

問屋は急速に衰退し、地域の商店は仕入れの価格を自分で決めることがほぼ不可能になりました。

店主がどれだけ努力しても、買い付け価格はすでにどこかで決まっている。

そんな現実が広がりました。

すると、街は静かに変わり始めます。

・商店の利益が薄くなる
・仕入れの自由が消える
・競争力が奪われる
・廃業が増える
・生活動線が大型店に吸収される
・街の潜熱が蒸発する

どれも目立つニュースには
なりませんでした。

しかし、静かに確実に、街の層が剥がれていきました。


資本主義の果てに生まれた
私企業による社会主義

社会主義とは、国家がサプライチェーンを一元管理する仕組みです。

・生産
・流通
・価格
・販売
・供給量

これらを中央が決めるのが
計画経済です。

しかし、日本で起きたのは国家による計画ではありませんでした。

大資本(小売)が、サプライチェーンの入口をすべて握ってしまった。

その構造は
驚くほど社会主義的です。

生産者は小売に合わせて
生産量を調整する。

農家も漁師も
実質的に小売の発注表で動く。

物流は小売の指定網に組み込まれる。

小売は利益率から逆算してメーカーに価格を提示する。

消費者は選択肢があるようで、実際は一極化された商品群から選んでいるだけ。

つまり市場は自由市場ではなく、私企業による計画経済になっていた。

これは社会主義そのものです。

違うのは、統制しているのが国家ではなく大資本であるという点だけ。

そしてこの構造こそが街の生活圏を静かに痩せさせた最大要因です。


問屋の消滅
潜熱を支える層の喪失

問屋は単なる中間業者ではありませんでした。

・価格の緩衝材
・リスクの分散
・在庫のクッション
・相談相手
・仕入れの自由の源
・街の多様性の根幹

これらすべてが「層」として街の潜熱(Π)を支えていました。

問屋が消えたということは、街から 温度の層そのものが消えたということです。

大型店が悪いのではありません。
ECが悪いのでもありません。

ただ、
層が薄くなりすぎた。

そして層が薄くなると街の揺らぎ(子育て、介護、病気、不安)のほとんどが制度へ集中するようになりました。

これは
支援のプロ化の起点にもなります。

街が吸収できない負荷を
制度が肩代わりする構造です。

そして、奇妙な反転が起きます。

市場経済は社会主義化して、社会保障である福祉や医療が規制緩和されて、民間企業が参入し資本主義的な競争に晒されてしまいました。

社会保障に消費者マインドが流れ込んだのです。

価格の自由を街へ返す未来へ

商店街は懐古ではありません。

問屋もまた古き良き文化ではありません。

どちらも、街の潜熱(Π)を支えていた大切な層でした。

私は、昭和へ戻ることを望んでいるのではありません。

ただ、価格を地域へ返すこと。
それが生活を地域へ返すこと。
潜熱を取り戻す第一歩になる。

そう感じています。

街が多様な仕入れルートを持ち、多様な価格が生まれ、多様な選択肢が戻る時、街は静かに温まり出します。

それは制度の負荷を減らし、支援のプロ化の暴走を止め、街に生活の体温を戻す道です。


問屋は見えざる手だった
という皮肉

問屋が衰退したことで、私たちは知りました。

彼らこそが
「見えざる手」だったのだ、と。

アダム・スミスは「自由な市場が働けば、見えざる手が全体を最適化する」と言いました。

しかし現代の日本は逆です。

見えざる手が消えたとき、市場は突然、硬い計画経済に変わったのです。

私たちはそこで初めて、問屋・仲買人・市場の存在が自由市場の基盤だったことを知りました。

便利になればなるほど
街の潜熱は薄くなる。

選択肢があるようで
構造は一極集中する。

その皮肉が
令和の街に静かに横たわっています。


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