蟻を踏めない私は肉を食べる
朝、部屋にクモが現れたら、私は何とかしてそれを外へ逃がす。
小さい頃に朝クモはいいクモで、夜クモは悪いクモと教わっていたからだ。そのような迷信がいつまでも頭の中にあり、昔は夜に現れたクモは〇ろしていたのだが、今は夜クモも外へ逃がす。
夜に爪を切ると親の〇に目に会えないとか、お盆中は故人が何の動物となって家に帰ってきているかわからないから、蚊とて殺生してはいけないだとか、アリやコオロギを踏み潰す男子が惨くて許せなかったりとか、長年の積み重ねで私という人物ができていて、生き物に対しての気持ちが出来上がったのかと思う。
◇
先週、マクドナルドで昼食をとっていたところ、近くに座っているご婦人が「ひぃ~」と小さい悲鳴をあげた。逃げ腰で何かをジッと見つめているその視線の先にはカミキリムシがいた。
捕まえてあげようか悩んでいるうちにそれはガラスの壁をどんどん登り天井に辿り着いてしまった。ご婦人と私だけが天井を見つめていた。
このカミキリムシは店員や客に〇されてしまうのか、そう考えると胸が痛んだ。私がいるうちに落ちてくれたら……と願っていた。だいぶ時間は過ぎ、少し目を離したあと壁や天井を見上げたがその姿はなく、次にご婦人に目をやるとジッとご自分の足元を見つめている。
これは落ちたな、ちらり床を見るとご婦人が座る椅子の真下にカミキリムシがいたので、すかさずペーパーナプキンを手に立ち上がり、「先ほどから見ていました。外へ逃がしましょう」とカミキリムシを掴み店の外へ出て植え込みの土の上に放した。生きろよって思った。
店内に戻ると、ご婦人は私に向かい無言のままぺこりと頭を下げた。
◇
カミキリムシを助けた同じ日の帰り道、歩道のど真ん中にトンボがとまっていた。危うく踏みつけてしまうところだった。
端に避けてあげようと思ったが、そこは緑もなくトンボにとって決して安全とはいえない場所だったので、私はトンボの羽2枚と2枚を重ねて指で摘まみ歩き出した。少しでも緑が多い場所に逃がしてあげたかったのだ。
すれ違う人たちはまさかトンボを持っているとは思わないだろう。誰一人、私の右手には気づかなかった。緑の場所はないに等しく、結局は帰り道にある小さな川の土手に放った。
そのカミキリムシもトンボも生き延びられるかはわからない。
だからただ一時の自己満足でしかないのはわかっている。でもそうしてしまう。
◇
アリを踏めない。視力の良い私はどうしてもアリを避けながら歩いてしまう。地上で働いているアリは皆おばあさんアリだと知ってから余計に気にするようになった。
いつ命を落としてもよい年寄りの雌アリは危険な目に合いながら餌を巣に運ぶのだ。若い雌アリは安全な地下で働いている。
アリは踏めない。でも私は肉を食べている。
豚も鶏も牛も。魚たちも。
家の害といわれている虫はやっつける。でもカブトムシやカマキリは助ける。
自分の何かが矛盾している。
なんなんだ自分……
ファーブルはお肉食べてたのかなぁ……
ヴィーガンやベジタリアンに憧れるけど、家族はそのことを知らない。
◇
世の中の多くの人々が苦手な虫の命を気にかけている自分がおかしいのかもしれない。
それでもいいか……
もともと「かわってる」って言われてるし。
ぼくらはみんな生きている
みんなみんな生きているんだ友だちなんだ
そんな歌だってあるではないか。
でもそうはいっても、触れない虫ばかりなんだな。たまたまカミキリムシもトンボも触れたけれど。
◇
蚊は……
ごめん。パシっとやっちゃいます。
自宅に何千匹もの蚊を飼育し研究を続けていた田上くんはすごいよ。
尊敬します。
◇
たぶん私、虫が好きなんだと思います。
今さらですが……
ここまできて、やはり何を書いているのだかわからなくなりました。
わからなくなったからってハッシュタグをつけるのも何だとは思いますが、
コニシ木の子さん
虫好きですみません。
よろしくお願いします。
